- メキシコの多くの企業は、2時から5時の間に、約2時間ほどの昼食休憩があり、その間に労働者は自宅に帰るか同僚と一緒に食事をとり、その後1時間昼寝をするか会話をゆっくりと楽しみます。
「日本では仕事は朝から始まり、中には忙しいため、昼食を抜いて仕事をする人も珍しくはないと思います。そして残業は日常生活の一部となっている労働者もかなり多いと思います。残業の理由も様々で、仕事が山積みだから、上司が残っているから先に帰りずらく、等。このような日本の仕事の習慣のおかげで、日本の社会は短期間で急成長を遂げました。そして現在では世界の経済界をリードする存在となり、世界各国から注目を受けています。しかし、その日本の労働者は、自分のためや家族のために費やせる時間をはたしてどれ程持っているのでしょうか。 僕は基本的に、人生楽しく笑って過ごそうと思っています。笑う時間が多い程、僕にとって人生楽しく過ごせるということを経験しているからです。なぜなら、メキシコでは日本での生活よりも笑う時間が多く、僕自身日本にいるよりメキシコにいる方が生き生きしていると感じるからです。そのため、メキシコでの学業の方が身になっていると思います。(それは結局自分が日本で自分を噴気できていないという事なのですが)なので僕は、日本で働くことになった時、意識して人生を精一杯楽しく、常に笑顔を忘れずに過ごしていきたいと思っています。そして自分が楽しく、周囲の人にも好影響を与えることができれば尚更良いと思います。」
- 人と挨拶をするとき、男性は同性には握手かハグ、異性には頬を合わせてキス。女性は同性、異性両方にキスをします。
「この習慣はメキシコだけではなく、中南米の多くの国、そしてヨーロッパにもあるようです。人と人との距離感は世界各国様々で、日本は世界の中でもかなり離れているように思います。それには相手を尊うという日本独特の文化があるからです。相手を敬う気持ちからお辞儀が生まれ、そこからある一定の距離間が生まれたのだと思います。これは日本にしかない素晴らしい文化であり、僕たちはこれを大切に後世に伝えていかなくてはならない日本の宝物の一つだと思います。 そしてメキシコでは、その人と人との距離がかなり近く、それによって日本よりも相手と打ち解けやすくなるように僕は感じます。そのため日本人より他人を敬う気持ちが欠けていると思いますが。しかしメキシコの挨拶の習慣から、初対面でも今までよりもう少しだけ積極的に話しかけ、相手を知ろうとする勇気と好奇心が必要だと思いました。そうすることによって、より多くの人を知ることができ、またより多くの知り合いと呼べる人、また友達と呼べる人を持つことができるようになると思います。」
- スーパーマーケットには、多くの小学生が働いてる姿をよく目にします。
「日本の労働基準法では、{児童の健康及び福祉に有害でなく、かつ、その労働が軽易なものについては、行政官庁の許可を受けて、満十三歳以上の児童をその者の修学時間外に使用することができる。映画の製作又は演劇の事業については、満十三歳に満たない児童についても、同様とする。}となっています。すなわち、13歳以上の児童は、学習を優先し、学業に影響が出る場合や自動の健康を害する場合は仕事をしてはならないというように規定されてあります。しかしメキシコでは、大手スーパーのSorianaは深夜10時になっても小さな小学生がカートをなおしたり、客の購入物をビニール袋に入れたりと働いています。彼らは何時に寝、何時に起きるのでしょう。また、学校の宿題をしたり、親とその日学校で友達と遊んだことや何を学んできたのかを話す時間はあるのでしょうか。そして彼らの親は、子供とコミュニケーションをとる時間がないため、 子供の事はおそらくほとんど知らないのでしょう。メキシコの国民全体の約70%は貧民であり、スーパーマーケットで働くことすらできない人も沢山います。その人達はどうするのでしょう。道で道行く人にお金をねだります。寒さで足が腐っている人もある教会の前で見かけました。これが現実です。 僕はこの人たちに同情はしたくはありません。この人達は一生懸命生きているのですから。しかし、全力を尽くして助けたいと思います。今の僕には助ける力など全くありません。だから今は自分の恵まれている人生の中で、自分が恵まれた環境で生きていることに感謝する気持ちを決して忘れず、そして少しでも人のために将来何ができるかという事を常に考え、その目標に繋がることを今実践しなければならないと思います。」
- メキシコには多くの先住民が生活し、彼らの文化を守りながら生活しています。だから、メキシコのどの場所に行っても、必ず違う何かを見つけ、学ぶことができ、文化が国を非常に豊かにしています。
「メキシコの友達に日本の事を教えてと尋ねられ、日本特有の文化を話す機会がよくあります。僕は必ず初めに、食事について話します。なぜなら日本の食事は他の国にはない、健康的で、しかも人間の特徴である味覚と視覚の両方で楽しむという、人間の機能を思う存分使って楽しむことができるものだからです。これは海外にはない、日本が自慢できる特有の文化です。しかし仕事の話になると、いつも寂しい気持ちになります。日本は以前は農業、林業が盛んで、企業でも年功序列制度が主流でした。しかし第二次世界大戦後、アメリカ志向が広がり、日本企業はアメリカの実力主義を取り入れるようになり、他人をけ散らしてでも上にのし上がるという社員が増え、企業はとにかく売上や成績だけを重視するようになり、人間味が職場から減り、結果貧困の差が大きくなってきているように思います。文化が守っていた日本の生活レベルの均等が、文化を失うことによって日本人の安定が崩れてきているのです。この話はメキシコ人の友達にはしたことがありません。好きな日本の悪い部分を知られたくないからです。しかし、日本の文化は着実に失われていることは事実です。服装を見ても、夏下駄を履く人を見ることは非常に少なくなりました。あの音は厚い日に、気持ちを涼しくしてくれるさせてくれるのですが。 僕は今日本にいないため、日本にいる時よりも日本独自の文化をよりはっきりと見ることができます。だから、自分が今感じる日本の文化をよく考え、今後少なくとも僕がその文化を実践していきたいと思います。」
- 多くの大学生は金曜日と土曜日の夜は、友達とディスコに行き楽しみます。
「多くの日本人大学生は、週末はアルバイトをしていて友達と一緒にいる時間がないというのが一般だと思います。メキシコと日本の大学生の大きな違いは、メキシコの学生でアルバイトをしている数が日本に比べて非常に少なく、日本人がアルバイトにかけている時間をメキシコでは学生同士遊んで楽しむということです。その結果、メキシコ人の方が人づきあいがうまいような気がします。少なくとも、平均的に見ると、メキシコの大学生の方が人との付き合いの経験を日本人の大学生よりも多く持っています。もちろんメキシコの夜のディスコには様々な危険が存在し、お酒も沢山飲むので健康的な場所ではありません。しかし、人と人との付き合いを知っている人が将来社会で活躍する、もしくは社会でうまくやっていくことが出来ると思います。日本で多くのいじめや社交性に欠けている人が増えてきている今日、大学生活で人との関わりの大切さをもっと重視するべきなのではと感じます。」
- 友達に家に招かれたり、ホームステイ先に初めて訪れたとき、メキシコでは必ずEstas en tu casa.と言われます。また、そこを去るときも、Ya sabes que tienes tu casa.と言われます。
「"Estás en tu casa." は英語で "You are at your home." という意味であり、"Ya sabes que tienes tu casa aquí." は英語で "You already know that your have your house here." という意味になります。とても温かい言葉だと思いませんか?もしこの言葉がただの習慣であり、それを言った人がそこまで深い意味を込めて言っていなかったとしても、その習慣自体から人の温もりを感じませんか?友達や知り合いがその人たちの重要な人生の一部を自分の家で過ごしてくれるのです。そう考えると、その人達のためにこの時間を最高のものにしたいと思うのは当然のことなのでしょう。」
- チラシ配りの時、受け取る側はgraciasと言う人が多いように思います。
「日本でもメキシコでもチラシ配りはよく目にします。日本ではチラシを受け取らない人がかなり見受けられます。その人の中には、ゴミになるから、どうせつまらない情報だからを考える人が大半だと思います。また、こんな楽な仕事をして金儲けをするなんてと腹をたてて、そのためチラシを受け取らないという人も中にはいるでしょう。しかし僕たちは決してそのチラシを配る人たちの本当の気持ちを知りません。もしかすると、その人たちは本当に良い情報を少しでも多くの人たちに提供したいと思いチラシを配っているかもしれません。もしくは、そのチラシ配りの人たちの中には、子供がいるが自分は職業に就くことができず、就職活動の合間をぬって少しでも自分の子供にミルクを飲ませるために一生懸命働いている人もいるかも知れません。そう考えると僕は、たとえそのチラシがキャバクラのものであったとしても、受け取らないわけにはいかないという気持ちになります。 またメキシコでは、チラシを受けとる時に、一言ありがとうという人が日本に比べて多く見られます。おそらく日本ではチラシ配りの人にありがとうと言う人はほとんどいないでしょう。少なくとも僕の今までの人生で、ティッシュをもらう人以外にありがとうと言う人は見たことがありません。しかし、その人がもし精一杯チラシ配りをしているのなら、ありがとうと言われるとどう感じるでしょう。 今日、日本だけでなく世界の多くの人が真剣に他人の気持ちになって考えるということを忘れているような気がします。自分の利益のためだけを考える結果、他人を助けることなどせず、少しでも自分が贅沢できる方法を考えるのです。その結果貧困の差が起きるのです。貧困の差が日本よりも激しいメキシコで1年半住み、人の心を大切にするということを学びました。」
注)ここに僕が書いている外国から学べることは、僕の海外の経験から、自分、もしくは日本、世界全体が今後向上できると考える要素であり、僕自身、そして僕が大好きな日本や世界がより人々にとって居心地の良い場所になってほしいという願いを込めて挙げています。日本の悪口を言っていたり、日本を嫌っているということは決してありません。
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