- アルゼンチンの第一印象といえば、街中のいたるところに公園があり、そこでは人々がマテ茶を飲みながらくつろいでいました。そして歩道にはかならず木が並んで植えられ、首都で280万人が住むブエノスアイレスでも東京や大阪のような人ごみに酔うという事にはなりませんでした。
「渋谷、新宿や心斎橋、梅田には公園はあまりありませんし、緑もあまり感じることがありませんよね。とりあえず買い物をするか、仕事をする場所といった感じです。しかしブエノスアイレスには、日本の主要都市の機能がある上に、人々の憩いの場があります。これもラテンアメリカ独特の、仕事で忙しい合間にも、頑張りすぎず人生を楽しむといった目的が見られます。日本人の仕事のリズムをラテンの仕事のリズムに合わすことはなかなか難しいと思います。しかし日本人も、仕事の合間、または忙しくしている合間に一息入れ、気持ちを落ち着かせ、人生を楽しもうと自分に言い聞かす時間があっても良いのではと思います。仕事をすることが人生を楽しむことだとしてもそれは全く構わないと思います。それはその人にとってその仕事が楽しいと感じることができるということであり、それは一つの人生にとってとても喜ばしいことであると思うからです。しかし、仕事を楽しいと思う人も、少し手をとめて一息入れ、心を落ち着かせ「人生を楽しもう」とゆっくり考えることが、より人生を有意義に過ごすことができるきっかけになると思うのです。僕はいつまででも続かない人生、精一杯楽しみたいと思います。感謝の気持ちをいつでも忘れずに。」
- メキシコの挨拶の習慣は、男性同士なら握手か抱擁と紹介しましたが、アルゼンチンでは男性同士でも頬を寄せてキスをします。
「うわ、きしょっ!と思われる方がきっと多いと思います。僕も最初はそう思っていましたし、メキシコ人の人も皆そう思っているようです。しかし実際に男同士でキス(キスと言っても口と口ではありません)をすれば、なぜか喜ばしい気持ちになるのです。あぁ、友達だなって思えるのです。それから握手の文化へ戻り、なぜか物足りなさを感じます。きっと日本へ帰ると、極限の寂しさを感じることでしょう。」
- Betoの部屋は12階にあり、いつもエレベーターを使っていました。そして僕がエレベーターを乗っていて、誰か知らない人が入ってくると、必ず"Hola, ¿qué tal?" "Hi, how are you?" と挨拶をし、そこから普通に会話になることも少なくありません。全く知らない人ですよ。しかも僕は日本人で、スペイン語を話すかどうかも彼らは知らないのですよ。そして最後は必ず"¡Hasta luego! ¡Suerte!" "See you later! Good luck!" と言い別れます。
「これってつい昔まで日本にもあった習慣だと思いませんか?近所付き合いです。アルゼンチンの場合は近所でなくとも少し距離が近くなると話し始めてしまうのですが。しかし、挨拶をするってとても気持ちが良いことがアルゼンチンに来て理解できるようになりました。メキシコに帰ってから、大学の門番、掃除のおばちゃんには必ず挨拶をしてしまっています。この気持ち良さ、病みつきになりますよ!」
- アルゼンチンではよく「ありがとう」と言うと、"No, por favor."と言い返されることがあります。これは英語にすると"No, please."です。
「この言葉の感じを大阪弁で表現すると(単に標準語での表現力をもち合わせていないだけの話なのですが)、”いやいや、そんなんわし何にもしてへんしやな、ありがとうなんか言わんとってや”となります。すごく気持ち良くないですか?ありがとうと言うと、当たり前の事をしただけと返されるのですよ。日本語では”いえいえ”となると思いますが、アルゼンチン人の気持ちの良さに言葉一つから感動することができました。」
- ブエノスアイレスの中心街に日本庭園があり、日本の天皇もその地を訪れたという石碑がありました。
「僕はその日本庭園にBetoとJuanと3人で行きました。この庭園は日本の移民の方たちが、ブエノスアイレス市民に自分たちを受け入れてくれた感謝の意味を込めて寄贈したそうです。そして僕が行った日はかなり多くの人で賑わっていました。アルゼンチン人が日本庭園??って思うかもしれませんが、僕はなぜアルゼンチン人が日本庭園へ行くのか、その理由が分かりました。アルゼンチンの人々は公園や綺麗な景色の場所でマテ茶を回し飲みし、心を落ち着かせる習慣があります。そしてそれは日本の文化である俳句や茶会の意味と非常によく似ているように思います。だから、アルゼンチンがラテンアメリカの中で日本に一番近い文化を持っているようで、非常に居心地良く感じました。この経験から、日本人は日本の良き文化を身近な所に復活させるべきではないかと思います。」
- アルゼンチン人の親友の家でのクリスマスパーティーに招待され、ブエノスアイレス州の町の一つ、ラ・ドゥルセの彼の家へ行きました。そしてそのパーティーでは、その家の家族はもちろん、数多くの親戚が集まり、最終的には40人程が参加する盛大なパーティーとなりました。
「Betoの家系はイタリア人で、イタリアの家庭は親戚を大切にする習慣があるようです。しかも彼の実家はとても小さな農業町なので、皆が近くに住んでいるため、頻繁に食事会をしたり、夜お酒を飲んだりしているようです。親戚付き合いは昔の日本には多くあったように思います。(僕は昔を知りませんが)しかし今は仕事で忙しくなったり、親戚付き合いは面倒という考えが多くなり、親族同士での関係が薄れてきています。しかし血の繋がっている人というのは数多くありません。親族同士しかできない話も沢山あるはずです。だから僕はこれから親戚付き合いを大切にしていきたいと思っています。」
- 首都ブエノスアイレス滞在中は、メキシコ留学1年目で知り合ったBetoのアパートで居候をし、またBetoの親友であるJuanと3人でよく遊びにでかけました。そしてその滞在中に僕が感動したのが、2人の僕に対する優しさでした。僕は半年ほど前からBetoに、冬休みはアルゼンチンへ必ず行くと言っていたので、彼は僕と少しでもいる時間を作るために、そして僕に出来る限りブエノスアイレスを教えるために、その時書いていた彼の卒業論文を必死に進めてくれていました。また彼は卒業論文を進めると同時に彼の大学の国際交流部で働いているのですが、僕が滞在中に多く休めるように、そこの仕事もできる限り事前に進めてくれていました。そしてBetoが仕事でどうしても家にいれない時は、彼の親友であるJuanに連絡し、僕をどこかへ連れていくように頼んでくれていました。しかしJuanもあるマスコミ会社の翻訳の仕事をしているので、Juanが僕と遊びに行く時には、彼も事前に仕事を早めてくれていたり、彼の上司に早く退社できるようにしてくれていました(上司に嘘をつき、仕事を休んでくれた時もあります)。そして彼らと出かける時は、必ず1日中歩き続けました。そしてブエノスアイレスやアルゼンチンに関する色々な事を話してくれました。1日中歩いていてもしんどいという言葉は決して言わず、いつでも楽しそうに、そして日本の話もいつも興味を持って真剣に聞いてくれました。
- またBetoはクリスマスの時、僕を彼の実家へ招待してくれ、僕の事も事前に、彼の家族だけではなく、彼の親戚全員に話してくれていたのです。なので僕が彼の実家に着いて、彼の家族や親戚の皆と初対面をしたときには、皆はもうすでに僕の名前や、どうしてBetoと知り合ったか、僕は今どこで何を勉強しているかなどを知っていました。そして、愛情を持って歓迎してくれ、クリスマスの夜は一晩中日本や僕についての質問攻めに合いました。しかし、そこまで僕や僕の国に興味を持ってくれることが非常に嬉しかったのです。だから、僕もできるだけ皆の質問に答え、本当に楽しい時を過ごしました。またそのクリスマスパーティーでは、初対面の僕のために沢山のプレゼントも用意してくれていました。それもBetoの両親だけではなく、彼の祖父母や彼の叔父、叔母からもです。(彼は彼の家族や親戚だけでなく、彼の町(人口2000人なので、ほとんどの人はその町の人なら誰でも知っているようです)の人に僕の事を話してくれていたので、僕が彼と歩いている最中、彼の知り合いに会うたびに、町の人は僕に優しく接してくれました。そして、僕がその地に来たことを本当に喜んでくれました。(彼らの話によると、日本生まれの日本人がその地を踏んだのは、その土地の歴史上僕が初めてかもしれないと言うのです。それ程田舎でした。)
「僕はアルゼンチンで人の温もりと優しさを沢山受けました。そこで僕は、人は人に優しくされると、とても幸せな気持ちになり、次は自分が他人に優しくし、自分が感じた幸せな気持ちをその人にも感じてほしいと思うようになると言うことを学びました。だから僕は今後、僕の周囲の人が、僕が感じた喜びを感じることができるよう、人に優しくしていこうと思います。」
そして最後に、僕はこの冬休みにウルグアイの綺麗な海、ペルーの天空の都市マチュピチュ、アルゼンチンの広大なイグアスの滝とカラファテの、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスと同じ面積を持つ氷河といった自然や人が作り上げた美しい世界遺産をいくつも観てきましたが、僕にとって一番美しいのは人類だということに気づきました。
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