僕は一つ一つの悲しむべき事を大きく一つにまとめることが嫌いです。例えば、東京大震災では死者13,000人、負傷者170,000人、帰宅困難者6,5000,000人、全壊の建物850,000棟、避難者総数700万人、第一次世界大戦では戦闘員の戦死者は900万人、非戦闘員の死者は1,000万人、負傷者は2,200万人といったような数を統計に出し、被害の大きさや残酷さを表します。これは行政的利便のため、そして人が一目で今までの災害や過ちを再確認でき、もうこのようなことを繰り返してはならないと感じさすことができる意味を持っていると思います。しかし現在多くの人は、この「数」を見て、全てを即座に判断しているように思えてなりません。死者が多いから残虐、死者が少ないからニュースにする程でもない。僕は小学校の時に先生が、道徳の時間に行っていた言葉を今まで忘れたことはありません。それは、「人の命は一つ一つが大切なものであり、その命のために大勢の人が喜んだり悲しんだりする」というものです。
確かに統計に出すことで、歴史的にもその事件を残しやすくなりますし、ある程度の理解力があればその奥も読めてきます。しかし最近のニュースでは、交通事故で死んだ人の数、そしてそれがどのような事故だったかを報道しておわりです。テレビ局は時間が限られいて、そのうちに出来るだけ多くの事を報道しようとするために情報が多少おろそかになってしまうのは仕方がないことかもしれません。しかし視聴者は、そのニュースの言葉や数字だけをそのまま受け取ってしまってはいけないと思います。例えば、その事故や事件で亡くなられた方のご親族の方々、友人の気持ちなどを少しでも考えてみることが、その人に対する少しばかりの供養になるのかなとも思います。人は皆平等です。自分と同じ人間が辛い目に合っているときは、最低その人の事を考えるというのが当たり前のような気がします。
それでは、この文章の上にある表を見て、何かを感じとってください。
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