2008年1月16日水曜日

ウルグアイで思ったこと


 突然ですが、ここでウルグアイで感じたことを書き留めていたので、紹介します。



 12月21日昼12時24分、気温35度の中、ウルグアイの首都モンテビデオのビーチのヤシの木の下で寝ころび、何も考えずに空を見ています。今考えると、ここ数年何も考えないという時は全くなかったように思います。大学入試合格から入学の間は何も考えず、近所の浜寺公園に散歩に行ったり、ランニングに行ったり、和歌山の加太へ鯛釣りに行ったりと、定年退職後の第2の人生のような生活を送っていたので、今はその時以来の自分のためだけに過ごせる時間です。といっても別に今まで常に人のために役に立っていたという意味ではなく、学業や将来の事、人生の意味等について考える事に時間を費やして、毎日睡眠不足の日々を送っていただけのことなのです。


 今までを振り返ると、僕は本当に運が良かったと思います。僕の欲求を十分満たすことのできるだけの経済力を持った家庭に生まれ、両親からの愛情を受け育ち、小学生時代には多くの経験や習い事やスポーツをさせてもらい、中学生時代には卓球で泉北地区(堺市、高石市、和泉市、泉大津市、泉北郡忠岡市)3位になり、高校ではサッカー部で多くの良きチームメートや友人と出会い、2年の夏急にアメリカに留学したいと思いつき、その2ヶ月後に、僕にとっては厳しいと言われていたYFU(Youth For Understanding)の試験に運良く合格。3年の夏から約1年間アメリカ、ウィスコンシン州へ留学し、帰国後は留学中に身につけた英語力無しでは難しかった関西外国語大学の公募推薦試験に合格。大学では多くの、自分と同じ興味や目標を持った素晴らしい友人と出会い、2005年に、大学に入る前からの目標であったメキシコ2カ年交換留学の試験に合格し、両親も反対をせず、僕のやりたいようにさせてくれ、また様々な援助を与えてくれました。メキシコではホームステイ先をはじめ、周囲の人々や環境に恵まれ、そして休暇はメキシコ国内を始め、キューバ、エクアドル、アルゼンチン、僕の小学生時代からの夢だったガラパゴス諸島に行くことができ、そして今はウルグアイの浜辺のヤシの木の下で寝転がり、空を見ながら何も考えず、今僕が思っていることを書くことができます。


 もちろん悲しく、辛い経験もありました。しかし、それ以上に僕は幸運に恵まれてきました。だから僕はまでの自分の幸運のお返しに、たくさん努力し、多くの事に挑戦し学び、どのようにすれば他人の役に立てるかということを考えてきました。そしてその答えの一つとして、僕は教師になるという目標を見つけました。教師になれば、アメリカで学んだ英語を教えることができる他、今までの海外での経験や自分が実際に見たことや、その国の人と話して感じた事を、感受性豊かな生徒に伝える機会が与えられ、その結果少なくとも自分の生徒がより広い視野と優しい心を持ち、物事を見、考えることができるようになると思っています。また今日本では教育界に多くの問題が充満しています。たとえ教育会全体を変えることができなくても、学校レベル、もしくは教室レベルでそれらの問題を一つでも多く解決していけたらと思います。


 日本の社会には日本の古き良き伝統を忘れ、秩序のない行動をする人が増えてきています。そしてその結果、多くの社会問題が起こっています。僕はそれらの問題は、人間形成の基盤を作る教育の問題や質が改善されない限り、解決させることはないと思います。だから、その教育に携わり、少しでも社会の力になりたいと思い、教師になることを近い将来の目標にしたのです。


 だから僕は今まで常に、良い教師になるには、日本の教育界や社会に存在する問題はどのようにすれば改善されるかと考えながら過ごしてきました。そして今後もそうして人生を過ごしていくでしょう。
しかし今だけは、少しの間全く何も考えずに、頭を休め、心を落ち着かせようと思います。そして、ウルグアイのゆっくりと変化していく空を、じっくりと眺めようと思います。

2008年1月15日火曜日

日本と各国の違いから学べること (アルゼンチン)




  • アルゼンチンの第一印象といえば、街中のいたるところに公園があり、そこでは人々がマテ茶を飲みながらくつろいでいました。そして歩道にはかならず木が並んで植えられ、首都で280万人が住むブエノスアイレスでも東京や大阪のような人ごみに酔うという事にはなりませんでした。

「渋谷、新宿や心斎橋、梅田には公園はあまりありませんし、緑もあまり感じることがありませんよね。とりあえず買い物をするか、仕事をする場所といった感じです。しかしブエノスアイレスには、日本の主要都市の機能がある上に、人々の憩いの場があります。これもラテンアメリカ独特の、仕事で忙しい合間にも、頑張りすぎず人生を楽しむといった目的が見られます。日本人の仕事のリズムをラテンの仕事のリズムに合わすことはなかなか難しいと思います。しかし日本人も、仕事の合間、または忙しくしている合間に一息入れ、気持ちを落ち着かせ、人生を楽しもうと自分に言い聞かす時間があっても良いのではと思います。仕事をすることが人生を楽しむことだとしてもそれは全く構わないと思います。それはその人にとってその仕事が楽しいと感じることができるということであり、それは一つの人生にとってとても喜ばしいことであると思うからです。しかし、仕事を楽しいと思う人も、少し手をとめて一息入れ、心を落ち着かせ「人生を楽しもう」とゆっくり考えることが、より人生を有意義に過ごすことができるきっかけになると思うのです。僕はいつまででも続かない人生、精一杯楽しみたいと思います。感謝の気持ちをいつでも忘れずに。」




  • メキシコの挨拶の習慣は、男性同士なら握手か抱擁と紹介しましたが、アルゼンチンでは男性同士でも頬を寄せてキスをします。

「うわ、きしょっ!と思われる方がきっと多いと思います。僕も最初はそう思っていましたし、メキシコ人の人も皆そう思っているようです。しかし実際に男同士でキス(キスと言っても口と口ではありません)をすれば、なぜか喜ばしい気持ちになるのです。あぁ、友達だなって思えるのです。それから握手の文化へ戻り、なぜか物足りなさを感じます。きっと日本へ帰ると、極限の寂しさを感じることでしょう。」

  • Betoの部屋は12階にあり、いつもエレベーターを使っていました。そして僕がエレベーターを乗っていて、誰か知らない人が入ってくると、必ず"Hola, ¿qué tal?" "Hi, how are you?" と挨拶をし、そこから普通に会話になることも少なくありません。全く知らない人ですよ。しかも僕は日本人で、スペイン語を話すかどうかも彼らは知らないのですよ。そして最後は必ず"¡Hasta luego! ¡Suerte!" "See you later! Good luck!" と言い別れます。

「これってつい昔まで日本にもあった習慣だと思いませんか?近所付き合いです。アルゼンチンの場合は近所でなくとも少し距離が近くなると話し始めてしまうのですが。しかし、挨拶をするってとても気持ちが良いことがアルゼンチンに来て理解できるようになりました。メキシコに帰ってから、大学の門番、掃除のおばちゃんには必ず挨拶をしてしまっています。この気持ち良さ、病みつきになりますよ!」


              • アルゼンチンではよく「ありがとう」と言うと、"No, por favor."と言い返されることがあります。これは英語にすると"No, please."です。

              「この言葉の感じを大阪弁で表現すると(単に標準語での表現力をもち合わせていないだけの話なのですが)、”いやいや、そんなんわし何にもしてへんしやな、ありがとうなんか言わんとってや”となります。すごく気持ち良くないですか?ありがとうと言うと、当たり前の事をしただけと返されるのですよ。日本語では”いえいえ”となると思いますが、アルゼンチン人の気持ちの良さに言葉一つから感動することができました。」




              • ブエノスアイレスの中心街に日本庭園があり、日本の天皇もその地を訪れたという石碑がありました。

              「僕はその日本庭園にBetoとJuanと3人で行きました。この庭園は日本の移民の方たちが、ブエノスアイレス市民に自分たちを受け入れてくれた感謝の意味を込めて寄贈したそうです。そして僕が行った日はかなり多くの人で賑わっていました。アルゼンチン人が日本庭園??って思うかもしれませんが、僕はなぜアルゼンチン人が日本庭園へ行くのか、その理由が分かりました。アルゼンチンの人々は公園や綺麗な景色の場所でマテ茶を回し飲みし、心を落ち着かせる習慣があります。そしてそれは日本の文化である俳句や茶会の意味と非常によく似ているように思います。だから、アルゼンチンがラテンアメリカの中で日本に一番近い文化を持っているようで、非常に居心地良く感じました。この経験から、日本人は日本の良き文化を身近な所に復活させるべきではないかと思います。」


              • アルゼンチン人の親友の家でのクリスマスパーティーに招待され、ブエノスアイレス州の町の一つ、ラ・ドゥルセの彼の家へ行きました。そしてそのパーティーでは、その家の家族はもちろん、数多くの親戚が集まり、最終的には40人程が参加する盛大なパーティーとなりました。

              「Betoの家系はイタリア人で、イタリアの家庭は親戚を大切にする習慣があるようです。しかも彼の実家はとても小さな農業町なので、皆が近くに住んでいるため、頻繁に食事会をしたり、夜お酒を飲んだりしているようです。親戚付き合いは昔の日本には多くあったように思います。(僕は昔を知りませんが)しかし今は仕事で忙しくなったり、親戚付き合いは面倒という考えが多くなり、親族同士での関係が薄れてきています。しかし血の繋がっている人というのは数多くありません。親族同士しかできない話も沢山あるはずです。だから僕はこれから親戚付き合いを大切にしていきたいと思っています。」



              • 首都ブエノスアイレス滞在中は、メキシコ留学1年目で知り合ったBetoのアパートで居候をし、またBetoの親友であるJuanと3人でよく遊びにでかけました。そしてその滞在中に僕が感動したのが、2人の僕に対する優しさでした。僕は半年ほど前からBetoに、冬休みはアルゼンチンへ必ず行くと言っていたので、彼は僕と少しでもいる時間を作るために、そして僕に出来る限りブエノスアイレスを教えるために、その時書いていた彼の卒業論文を必死に進めてくれていました。また彼は卒業論文を進めると同時に彼の大学の国際交流部で働いているのですが、僕が滞在中に多く休めるように、そこの仕事もできる限り事前に進めてくれていました。そしてBetoが仕事でどうしても家にいれない時は、彼の親友であるJuanに連絡し、僕をどこかへ連れていくように頼んでくれていました。しかしJuanもあるマスコミ会社の翻訳の仕事をしているので、Juanが僕と遊びに行く時には、彼も事前に仕事を早めてくれていたり、彼の上司に早く退社できるようにしてくれていました(上司に嘘をつき、仕事を休んでくれた時もあります)。そして彼らと出かける時は、必ず1日中歩き続けました。そしてブエノスアイレスやアルゼンチンに関する色々な事を話してくれました。1日中歩いていてもしんどいという言葉は決して言わず、いつでも楽しそうに、そして日本の話もいつも興味を持って真剣に聞いてくれました。

              • またBetoはクリスマスの時、僕を彼の実家へ招待してくれ、僕の事も事前に、彼の家族だけではなく、彼の親戚全員に話してくれていたのです。なので僕が彼の実家に着いて、彼の家族や親戚の皆と初対面をしたときには、皆はもうすでに僕の名前や、どうしてBetoと知り合ったか、僕は今どこで何を勉強しているかなどを知っていました。そして、愛情を持って歓迎してくれ、クリスマスの夜は一晩中日本や僕についての質問攻めに合いました。しかし、そこまで僕や僕の国に興味を持ってくれることが非常に嬉しかったのです。だから、僕もできるだけ皆の質問に答え、本当に楽しい時を過ごしました。またそのクリスマスパーティーでは、初対面の僕のために沢山のプレゼントも用意してくれていました。それもBetoの両親だけではなく、彼の祖父母や彼の叔父、叔母からもです。(彼は彼の家族や親戚だけでなく、彼の町(人口2000人なので、ほとんどの人はその町の人なら誰でも知っているようです)の人に僕の事を話してくれていたので、僕が彼と歩いている最中、彼の知り合いに会うたびに、町の人は僕に優しく接してくれました。そして、僕がその地に来たことを本当に喜んでくれました。(彼らの話によると、日本生まれの日本人がその地を踏んだのは、その土地の歴史上僕が初めてかもしれないと言うのです。それ程田舎でした。)

              「僕はアルゼンチンで人の温もりと優しさを沢山受けました。そこで僕は、人は人に優しくされると、とても幸せな気持ちになり、次は自分が他人に優しくし、自分が感じた幸せな気持ちをその人にも感じてほしいと思うようになると言うことを学びました。だから僕は今後、僕の周囲の人が、僕が感じた喜びを感じることができるよう、人に優しくしていこうと思います。」





               そして最後に、僕はこの冬休みにウルグアイの綺麗な海、ペルーの天空の都市マチュピチュ、アルゼンチンの広大なイグアスの滝とカラファテの、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスと同じ面積を持つ氷河といった自然や人が作り上げた美しい世界遺産をいくつも観てきましたが、僕にとって一番美しいのは人類だということに気づきました。

              2008年1月14日月曜日

              日本と各国の違いから学べること (メキシコ合衆国)

              • メキシコの多くの企業は、2時から5時の間に、約2時間ほどの昼食休憩があり、その間に労働者は自宅に帰るか同僚と一緒に食事をとり、その後1時間昼寝をするか会話をゆっくりと楽しみます。

              「日本では仕事は朝から始まり、中には忙しいため、昼食を抜いて仕事をする人も珍しくはないと思います。そして残業は日常生活の一部となっている労働者もかなり多いと思います。残業の理由も様々で、仕事が山積みだから、上司が残っているから先に帰りずらく、等。このような日本の仕事の習慣のおかげで、日本の社会は短期間で急成長を遂げました。そして現在では世界の経済界をリードする存在となり、世界各国から注目を受けています。しかし、その日本の労働者は、自分のためや家族のために費やせる時間をはたしてどれ程持っているのでしょうか。 僕は基本的に、人生楽しく笑って過ごそうと思っています。笑う時間が多い程、僕にとって人生楽しく過ごせるということを経験しているからです。なぜなら、メキシコでは日本での生活よりも笑う時間が多く、僕自身日本にいるよりメキシコにいる方が生き生きしていると感じるからです。そのため、メキシコでの学業の方が身になっていると思います。(それは結局自分が日本で自分を噴気できていないという事なのですが)なので僕は、日本で働くことになった時、意識して人生を精一杯楽しく、常に笑顔を忘れずに過ごしていきたいと思っています。そして自分が楽しく、周囲の人にも好影響を与えることができれば尚更良いと思います。」

              • 人と挨拶をするとき、男性は同性には握手かハグ、異性には頬を合わせてキス。女性は同性、異性両方にキスをします。

              「この習慣はメキシコだけではなく、中南米の多くの国、そしてヨーロッパにもあるようです。人と人との距離感は世界各国様々で、日本は世界の中でもかなり離れているように思います。それには相手を尊うという日本独特の文化があるからです。相手を敬う気持ちからお辞儀が生まれ、そこからある一定の距離間が生まれたのだと思います。これは日本にしかない素晴らしい文化であり、僕たちはこれを大切に後世に伝えていかなくてはならない日本の宝物の一つだと思います。 そしてメキシコでは、その人と人との距離がかなり近く、それによって日本よりも相手と打ち解けやすくなるように僕は感じます。そのため日本人より他人を敬う気持ちが欠けていると思いますが。しかしメキシコの挨拶の習慣から、初対面でも今までよりもう少しだけ積極的に話しかけ、相手を知ろうとする勇気と好奇心が必要だと思いました。そうすることによって、より多くの人を知ることができ、またより多くの知り合いと呼べる人、また友達と呼べる人を持つことができるようになると思います。」

              • スーパーマーケットには、多くの小学生が働いてる姿をよく目にします。

              「日本の労働基準法では、{児童の健康及び福祉に有害でなく、かつ、その労働が軽易なものについては、行政官庁の許可を受けて、満十三歳以上の児童をその者の修学時間外に使用することができる。映画の製作又は演劇の事業については、満十三歳に満たない児童についても、同様とする。}となっています。すなわち、13歳以上の児童は、学習を優先し、学業に影響が出る場合や自動の健康を害する場合は仕事をしてはならないというように規定されてあります。しかしメキシコでは、大手スーパーのSorianaは深夜10時になっても小さな小学生がカートをなおしたり、客の購入物をビニール袋に入れたりと働いています。彼らは何時に寝、何時に起きるのでしょう。また、学校の宿題をしたり、親とその日学校で友達と遊んだことや何を学んできたのかを話す時間はあるのでしょうか。そして彼らの親は、子供とコミュニケーションをとる時間がないため、 子供の事はおそらくほとんど知らないのでしょう。メキシコの国民全体の約70%は貧民であり、スーパーマーケットで働くことすらできない人も沢山います。その人達はどうするのでしょう。道で道行く人にお金をねだります。寒さで足が腐っている人もある教会の前で見かけました。これが現実です。  僕はこの人たちに同情はしたくはありません。この人達は一生懸命生きているのですから。しかし、全力を尽くして助けたいと思います。今の僕には助ける力など全くありません。だから今は自分の恵まれている人生の中で、自分が恵まれた環境で生きていることに感謝する気持ちを決して忘れず、そして少しでも人のために将来何ができるかという事を常に考え、その目標に繋がることを今実践しなければならないと思います。」

              • メキシコには多くの先住民が生活し、彼らの文化を守りながら生活しています。だから、メキシコのどの場所に行っても、必ず違う何かを見つけ、学ぶことができ、文化が国を非常に豊かにしています。

              「メキシコの友達に日本の事を教えてと尋ねられ、日本特有の文化を話す機会がよくあります。僕は必ず初めに、食事について話します。なぜなら日本の食事は他の国にはない、健康的で、しかも人間の特徴である味覚と視覚の両方で楽しむという、人間の機能を思う存分使って楽しむことができるものだからです。これは海外にはない、日本が自慢できる特有の文化です。しかし仕事の話になると、いつも寂しい気持ちになります。日本は以前は農業、林業が盛んで、企業でも年功序列制度が主流でした。しかし第二次世界大戦後、アメリカ志向が広がり、日本企業はアメリカの実力主義を取り入れるようになり、他人をけ散らしてでも上にのし上がるという社員が増え、企業はとにかく売上や成績だけを重視するようになり、人間味が職場から減り、結果貧困の差が大きくなってきているように思います。文化が守っていた日本の生活レベルの均等が、文化を失うことによって日本人の安定が崩れてきているのです。この話はメキシコ人の友達にはしたことがありません。好きな日本の悪い部分を知られたくないからです。しかし、日本の文化は着実に失われていることは事実です。服装を見ても、夏下駄を履く人を見ることは非常に少なくなりました。あの音は厚い日に、気持ちを涼しくしてくれるさせてくれるのですが。 僕は今日本にいないため、日本にいる時よりも日本独自の文化をよりはっきりと見ることができます。だから、自分が今感じる日本の文化をよく考え、今後少なくとも僕がその文化を実践していきたいと思います。」

              • 多くの大学生は金曜日と土曜日の夜は、友達とディスコに行き楽しみます。

              「多くの日本人大学生は、週末はアルバイトをしていて友達と一緒にいる時間がないというのが一般だと思います。メキシコと日本の大学生の大きな違いは、メキシコの学生でアルバイトをしている数が日本に比べて非常に少なく、日本人がアルバイトにかけている時間をメキシコでは学生同士遊んで楽しむということです。その結果、メキシコ人の方が人づきあいがうまいような気がします。少なくとも、平均的に見ると、メキシコの大学生の方が人との付き合いの経験を日本人の大学生よりも多く持っています。もちろんメキシコの夜のディスコには様々な危険が存在し、お酒も沢山飲むので健康的な場所ではありません。しかし、人と人との付き合いを知っている人が将来社会で活躍する、もしくは社会でうまくやっていくことが出来ると思います。日本で多くのいじめや社交性に欠けている人が増えてきている今日、大学生活で人との関わりの大切さをもっと重視するべきなのではと感じます。」

              • 友達に家に招かれたり、ホームステイ先に初めて訪れたとき、メキシコでは必ずEstas en tu casa.と言われます。また、そこを去るときも、Ya sabes que tienes tu casa.と言われます。

              「"Estás en tu casa." は英語で "You are at your home." という意味であり、"Ya sabes que tienes tu casa aquí." は英語で "You already know that your have your house here." という意味になります。とても温かい言葉だと思いませんか?もしこの言葉がただの習慣であり、それを言った人がそこまで深い意味を込めて言っていなかったとしても、その習慣自体から人の温もりを感じませんか?友達や知り合いがその人たちの重要な人生の一部を自分の家で過ごしてくれるのです。そう考えると、その人達のためにこの時間を最高のものにしたいと思うのは当然のことなのでしょう。」

              • チラシ配りの時、受け取る側はgraciasと言う人が多いように思います。

              「日本でもメキシコでもチラシ配りはよく目にします。日本ではチラシを受け取らない人がかなり見受けられます。その人の中には、ゴミになるから、どうせつまらない情報だからを考える人が大半だと思います。また、こんな楽な仕事をして金儲けをするなんてと腹をたてて、そのためチラシを受け取らないという人も中にはいるでしょう。しかし僕たちは決してそのチラシを配る人たちの本当の気持ちを知りません。もしかすると、その人たちは本当に良い情報を少しでも多くの人たちに提供したいと思いチラシを配っているかもしれません。もしくは、そのチラシ配りの人たちの中には、子供がいるが自分は職業に就くことができず、就職活動の合間をぬって少しでも自分の子供にミルクを飲ませるために一生懸命働いている人もいるかも知れません。そう考えると僕は、たとえそのチラシがキャバクラのものであったとしても、受け取らないわけにはいかないという気持ちになります。 またメキシコでは、チラシを受けとる時に、一言ありがとうという人が日本に比べて多く見られます。おそらく日本ではチラシ配りの人にありがとうと言う人はほとんどいないでしょう。少なくとも僕の今までの人生で、ティッシュをもらう人以外にありがとうと言う人は見たことがありません。しかし、その人がもし精一杯チラシ配りをしているのなら、ありがとうと言われるとどう感じるでしょう。 今日、日本だけでなく世界の多くの人が真剣に他人の気持ちになって考えるということを忘れているような気がします。自分の利益のためだけを考える結果、他人を助けることなどせず、少しでも自分が贅沢できる方法を考えるのです。その結果貧困の差が起きるのです。貧困の差が日本よりも激しいメキシコで1年半住み、人の心を大切にするということを学びました。」


              注)ここに僕が書いている外国から学べることは、僕の海外の経験から、自分、もしくは日本、世界全体が今後向上できると考える要素であり、僕自身、そして僕が大好きな日本や世界がより人々にとって居心地の良い場所になってほしいという願いを込めて挙げています。日本の悪口を言っていたり、日本を嫌っているということは決してありません。

              2008年1月7日月曜日

              日本と各国の違いから学べること (アメリカ合衆国)


               この冬休み(1か月間)に、南米の様々な国(アルゼンチン、チリ、ペルー、ウルグアイ)へ行ってきました。僕が留学や海外旅行が好きな理由が、日本とその訪れた国の違いをはっきりと見たり感じたりできることです。そして今回もはやり、多くの日本との違いを各国で見つけることができました。そしてその違いから、僕は日本人が忘れかけている大切な事を学ぶことができると思います。

               今までにおとずれた国(アメリカ、メキシコ、キューバ、エクアドル)を含め、日本との違いと、そこから何を学べるかを毎ブログ1カ国ずつ紹介していきたいと思います。(なお、これから僕が紹介する例は、僕が実際に体験したことに基づき、それがその国全体の文化や習慣ではない可能性があることをあらかじめ了承しておいてください。)

               初回は、僕が高校3年生の夏から約1年間留学していたアメリカ合衆国についてです。

              ・ 僕のホームステイ先は、ボランティアで学生を受け入れています。ですから、その家庭が僕を受け入れる事によって、お金はいっさい受け取りません。食事、水道、ガス代はすべてその家族持ちで、高校で食べる昼食代もその家庭の両親が僕に毎月決まったお金を与えてくれていました。

              ・ 高校ではKey Clubという、年間を通してボランティア活動を行うクラブがあります。そこでは生徒が集まって、いつどういった活動ができるかを考え、それを実行します。


              ・ 教会の活動でもボランティアが盛んに行われ、僕はテネシー州の貧しい地域に教会関係者と訪れ、そこの家などの修復作業を手伝ったり、クリスマスに、昔はその教会に通っていたが、健康上の都合により通えなくなった人の家や、病院、老人ホームへ訪れ、色々な会話をしたり、クリスマスソングを皆で一緒に歌ったりしました。

              「アメリカではボランティア活動が人々の生活の一部になっていると感じました。日本ではアメリカ程気軽にボランティア活動に参加できる機会が少ないように思います。もちろんボランティアが人生の全てではありませんし、ボランティア活動をする人だけが善のある人間たということも決してありません。しかし日本人の中には、ボランティア活動に関わりたいのに、出会う機会が少ないが故に、結局それを実際に行動に移せないという人が多くいると思います。(実際に僕の友達の中にもそういう人がいます)ボランティア活動をしたければなぜしない、と思う人もいるかも知れませんが、ボランティア活動を一から組織し始める事は本当に時間と労力を費やします。そして、学業や仕事で忙しいが、少しでもボランティア活動に関わり自分が出来る事を精一杯したいと思う人には、日本ではなかなか簡単にそれを行うことはできないのです。出来たとしても、その活動を見つける機会がアメリカに比べ、断然少ないのです。ボランティア活動の普及が、日本の社会全体が、より人々の希望に応える事ができる方法の一つではないのかなと思います。」

              「また、ボランティア活動を通して、非常に素晴らしい経験ができます。これは教会の行事で、クリスマスに病院に訪れた時の話です。僕たちはその日の最後に、一人の老人を訪ねました。その人はもう90歳近く、耳は少しは聞こえるがしゃべることができず、体も動かすことができない状態になっていました。僕はその時18歳で、そういう健康状態の人間と対面するのは初めての経験だったので、初めは少し戸惑っていたのをよく覚えています。そして僕たちがその老人の娘さんと会話をし、その後クリスマスソングを歌い出すと、3曲目位から左手を少しだけ動かして一緒にリズムを取り始めてくれたのです。耳は少ししか聞こえず、全く体を動かす事ができなかった人が、僕らの歌で元気を取り戻してくれたのです。その瞬間その老人の娘さんは泣き出し、僕らも皆感動し、泣きながら、でも楽しく歌を歌えたのを覚えています。これはボランティア活動を通してしか感じることのできない、人間対人間の素晴らしい経験だったと思います。もし僕が中学校の先生になったら、僕のボランティア活動の経験を少しでも自分の生徒に伝え、もし数人の生徒がそれに興味を持ったら、少しでも協力して、生徒がボランティア活動に参加できる環境を作ってやりたいと思います。」

              ・ アメリカの高校ではスポーツクラブが年間3つのシーズンに分かれており、僕は夏はサッカー、冬は水泳、春はテニス部に所属しました。そして文化部も併行して所属することが許されており、僕はKey ClubとModel UN-clubに所属していました。

              「僕は今まで文化部には一度も入部したことがありませんでした。そして水泳部もテニス部も経験がありませんでした。しかしアメリカの高校で、一気に4つの新しいものに挑戦することができました。日本の学生は、大抵は中学校や高校の3年間、1つの部活を全うすることに意義があると感じます。それは確かにそうです。一つの事を毎日、3年間やり遂げるということは決して簡単なことではなく、そこから我慢をする強さと達成する喜びを学びます。しかしそこから自分の他の、自分ではまだ知らない可能性を見つけ出すことはなかなか難しいと思います。その点アメリカの高校では、色々なスポーツや文化部を体験することができ、自分には何が一番合うのか、自分は何が得意で何が苦手か、また様々な世界を知ることができます。僕は高校は3年間サッカー部に所属していましたが、今メキシコでは、サッカー以外にテニスも大学でレッスンを受けています。アメリカで僕は、一度に様々な運動や活動をする楽しさを学ぶことができました。その結果、日本に帰ってからは、バドミントン、ゴルフやゲートボール等、今まで全く体験したことがなかったスポーツにも挑戦し、そこで様々な人や、様々な考えを知ることができました。」
              (ちなみに、上にある写真は僕がアメリカ留学時代に通っていた高校です。)

              2008年1月6日日曜日

              冬休み

               メキシコ2年目の前期が無事終わり、ついに念願のアルゼンチンに到着しました。まぁアルゼンチンに来たのは12月9日の事なのですが。アルゼンチンに来てからは、アルゼンチンの友達と遊びに行ったり、旅行に行ったり、とにかく1日1日を大切に、楽しめるだけ楽しんでいるので、全くブログを書く時間がありませんでした。アルゼンチンにいる間にも、来期の授業を選らび、登録しなければならなかったというのもあり、ブログは少しお休みしていました。しかし、違う国にいると、常に色々な事を経験し、学び、感じるものです。そして、今までアルゼンチン以外に、ウルグアイ、ペルーで感じた事をその都度メモに残していたので、それをこれから少しずつブログで紹介していこうと思います。

               そして、この冬休みに旅行した写真をもう一つのブログに載せているので、そちらもよければ覗いてみてください。その写真を見て、僕が行った場所に行ったことのない方が少しでもそこへ行ったような気持ちになって頂ければ、僕にとっては非常に嬉しいことです。

              http://hey-my-buddies.spaces.live.com/

               僕が訪れた場所:

                ブエノスアイレス(アルゼンチン)
                イグアスの滝(アルゼンチン、ブラジル)
                モンテビデオ、プンタ・デル・エステ(ウルグアイ)
                ラ・ドゥルセ(アルゼンチン)
                サンティアゴ(チリ)
                クスコ、マチュピチュ、リマ(ペルー)
                カラファテ(アルゼンチン)

              (ペルーの写真は、my spaceの1か月に投稿できる写真の枚数の限度を超えてしまったので、まだ全てを載せていません。もちろんカラファテの写真は、1枚も載せることができていません。2月に入れば、できるだけ早く載せようと思っています。しかし、1か月に722枚も写真を載せる人は中々いないでしょう。)