2008年12月28日日曜日

本年もありがとうございました。

 いよいよ年明けが近づいてまいりました。今年は私にとっては激動の年だったと思います。2年間のメキシコ留学から帰国し、教育実習、就職活動、そして私の人生の大きな一部となる企業に出会うことができました。そして何かが起こった時にはこのブログを更新し、まだまだ不完全な文章と内容にも関わらず、このブログを読んでいただいた方、ありがとうございます。来年もこのブログに対する御ひいきの程よろしくお願いいたします。そして、今年私がお世話になった人、ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。また会える日を楽しみにしながら、社会生活に趣味に満身を注いでいこうと思います。

 それでは、今から毎年恒例の家族での香川の親戚のお寺に行ってまいります。帰郷は1月1日の夜の予定ですので、更新はそれ以降になるであろうと思います。香川では、2月から始める八十八か所遍路の旅に向けて、経本や納経帳等、必要なものを買いそろえておこうと思っています。1月2日には従兄と天野山のパグリックゴルフ場に赴き、練習をしようと計画をしています。


 来年も皆さんにとって、繁栄と健全の年でありますように。

2008年12月27日土曜日

優雅なお手洗い

 私は大学にいるときは、昼飯時にはいつも行く焼肉屋さんで、から揚げ定食をいただきます。そしてそこで食後に、ミルで挽いてくれるコーヒーを啜り、そこのお孫さんと遊んでからまた授業に出ます。

 そこのお店を出る間際にいつも用を足す(お食事中の方、申し訳ありません)のですが、その日にはお手洗いの中でなぜかもの凄く優雅な気持ちになりました。そして、いつも以上にスッキリしてしまいました。その原因は、BGMです。店内はいつもFMラジオが流れているのですが、お手洗いの中ではその音量が店内よりも3割増しなのです。そしてその時に流れていた曲が、Sarah Brightmanさんの"Time to say goodbye"です。この曲はおそらく皆さん一度は聴いたことがあるでしょう。イギリスの女優でありソプラノ歌手でもある彼女の素晴らしく透き通った声で歌われているこの音楽を聴きながら、用をたす状況を想像してみてください。






 




 ね、更に気持ちいいでしょ???

2008年12月20日土曜日

英語の格好良さ

 日本で英語教育を幼い頃から始める利点の一つに、発音の流暢さが言われています。学校での英語教育でも、英会話学校の売り文句でも、人々の間でも、英語の発音の流暢さ(いわゆる英語圏の人々の発音にどれだけ近づくことができるか)が一つのステータスになり、また他人に自慢でき、他人もそれを羨むものになっています。日本語の発音は英語のものとはかなりかけ離れたものなので、習得がかなり難しく、だからその会得自体が高根の花的存在になってしまっているのでしょう。中には英語の発音を中心とした英語教材まで販売されている始末です。

 外国語大学に通う学生の中でも、かなりの人数が、英語の発音をアメリカ人風に、イギリス人風にできれば格好良い、日本語発音の英語は不細工だと思っているようです。(確かな人数や割合は詳しく調べていないのでここで示すことはできませんが)また英語の良い発音を目指すために留学を志す学生も少なくないようです。(確かにこれは留学を目指す学生の中ではごく僅かなようですが)私はこのような話を聞くと、いつも「なぜ日本語発音ではだめなのか」、「会話で一番重要なのは、発音ではなく内容なのではないのか」と問いかけたくなります。

 例えばアグネス・チャンはもう日本に来て35年以上たつが、未だに日本語の発音は完璧ではありません。しかしきちんと社会的地位を築き、大学の教授や日本ユニセフ協力大使等、様々な形で社会に貢献されています。パックンマックンのパックンも、彼はハーバード大学という世界に名の知れた優秀な大学を卒業した秀才でありながら、そして日本語も非常に上手でいながら、発音はまだ完璧とは言い難いものがあります。しかし彼も冠番組を持ち、家族をきちんと養われています。また和田あきこも、彼女は英語を堪能に操ることができないにも関わらず、彼女の今までの歌手人生の功績がアメリカで認められ、2008年9月29日にアメリカでポップミュージックにおいて聖地と言われるアポロシアターでライブを行いました。この人たちの例を見てみると、それ程外国語の発音だけに執念を燃やしても、どうってことはないと感じざるをえません。

 もちろん日本語と英語は発音においては似ても似つきませんので、英語の全てをローマ字読みすれば相手に英語が通じません。だから通じる英語の発音は学ぶ必要があります。しかし「通じる英語」であれば、もうそれは英語ではないのでしょうか。そして「上手い英語」とは、発音が上手いのではなく、自分の言いたい内容を相手に的確に英語で伝えることができる能力を兼ね備えていることではないのでしょうか。そして会話の中で意見をすることは、その人の人間性の現れではないかと思います。即ち、相手が外国人なのであれば、日本人と話す時以上に相手の異文化を理解した上で、相手を傷つけないように話さなければなりませんし、日頃から様々な事を経験し、勉強しておかないと、いざ誰かと会話をする時にも意見ができず、それではいくら英語の発音をきれいにできたとしても、それは宝の持ち腐れとなってしまいます。

 ですから、私が誰かに英語を教える時は(私のこのような未熟な英語を教えるなどということは誠に恐縮なのですが)、発音は相手に通じれば良い、それよりも英語を上達させるためには、まず自分を磨くこと。なぜならば英語は言語であり、言語は使う機会が無ければ意味がないものだから、といつも言います。

 外国語大学の一学生としてこのような意見を持つのに正当性が無いと批判されるかもしれませんが、少なくともこれは私の経験を元に私自身が見つけ出した意見です。

2008年12月14日日曜日

弱い人間

 私は非常に弱い人間です。又狭い心の持ち主です。私は他人が冒した間違いを見逃すことができず、しかしそえを忠告することもできず、そのやるせない気持ちをため込み、結局は自らを苦しめているのです。もしかすると他人の行為に正しい、間違いなどと判断してしまう時点で私自身が間違っているということなのでしょうね。

 皆さんにはこのような人間になってほしくないという願いを込めて、今日はこのような事を書かせていただきました。

2008年12月3日水曜日

何のために努力をするのか

 「何のために努力をするのですか?」「なぜ頑張るのですか?」と質問されたとき、あなたはどう答えられますか?「目標や夢を叶えるため。」という答えが大多数ではないかと思います。私も目標を叶えるために努力は惜しみません。しかし、努力をしたから目標や夢は必ず達成されるのでしょうか。答えは皆さんもご存じの通り、NOです。

 先日NHKで王貞治さんを特集した番組を拝見したところ、王さんは素晴らしいことをおっしゃられていました。

 「努力をしても必ず目標を達成できるということはない、しかし努力をすれば目標を達成できる可能性が増える。」

 まさしくその通りだと思いました。だから努力をするのです。そして私は、努力をする理由が目標達成以外にもう一つあるとよく実感します。それは、努力は人間力を高める効力があるということです。例えば、四国八十八か所(約1100km)を歩くとします。その途中では足を痛め辛い思いをしたり、風邪をひき一日中歩くことができなくなる時もあるでしょう。また道に迷い、マムシに襲われるかもしれません。(実際四国にマムシは数多くいます)しかしお遍路行をすると、人に道を教えて頂いたり、お接待をして頂いたりすることで、自分の周りの人々に対する感謝の気持ちを常に持つことができます。そうすることによって、お遍路さんは他人に対して、相手を理解し優しく振舞うことができるという可能性を見いだせることができます。それが人間力を高めることに繋がります。

 努力するということはそう簡単な事ではありません。人間は誰しも楽な方を求めるものです。そしてその気持ちに打ち勝ち、努力を遂行することによって、努力する厳しさや辛さが分かり、結果努力する他人の気持ちも分かるようになります。そして人々はより理解し合えるようになるでしょう。

 この事をいつも考えていると、何かに力を注いでいる時は何故か気持ち良くなります。そして後には努力することが楽しく、習慣化されるのでしょう。だから私は現在、そしてこれからも努力を惜しみません。自分の弱い心に打ち勝つ楽しみを覚えられるように。そして、自分には厳しく、他人には優しくできる、人間力のある一人類を目指して。