2008年12月28日日曜日

本年もありがとうございました。

 いよいよ年明けが近づいてまいりました。今年は私にとっては激動の年だったと思います。2年間のメキシコ留学から帰国し、教育実習、就職活動、そして私の人生の大きな一部となる企業に出会うことができました。そして何かが起こった時にはこのブログを更新し、まだまだ不完全な文章と内容にも関わらず、このブログを読んでいただいた方、ありがとうございます。来年もこのブログに対する御ひいきの程よろしくお願いいたします。そして、今年私がお世話になった人、ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。また会える日を楽しみにしながら、社会生活に趣味に満身を注いでいこうと思います。

 それでは、今から毎年恒例の家族での香川の親戚のお寺に行ってまいります。帰郷は1月1日の夜の予定ですので、更新はそれ以降になるであろうと思います。香川では、2月から始める八十八か所遍路の旅に向けて、経本や納経帳等、必要なものを買いそろえておこうと思っています。1月2日には従兄と天野山のパグリックゴルフ場に赴き、練習をしようと計画をしています。


 来年も皆さんにとって、繁栄と健全の年でありますように。

2008年12月27日土曜日

優雅なお手洗い

 私は大学にいるときは、昼飯時にはいつも行く焼肉屋さんで、から揚げ定食をいただきます。そしてそこで食後に、ミルで挽いてくれるコーヒーを啜り、そこのお孫さんと遊んでからまた授業に出ます。

 そこのお店を出る間際にいつも用を足す(お食事中の方、申し訳ありません)のですが、その日にはお手洗いの中でなぜかもの凄く優雅な気持ちになりました。そして、いつも以上にスッキリしてしまいました。その原因は、BGMです。店内はいつもFMラジオが流れているのですが、お手洗いの中ではその音量が店内よりも3割増しなのです。そしてその時に流れていた曲が、Sarah Brightmanさんの"Time to say goodbye"です。この曲はおそらく皆さん一度は聴いたことがあるでしょう。イギリスの女優でありソプラノ歌手でもある彼女の素晴らしく透き通った声で歌われているこの音楽を聴きながら、用をたす状況を想像してみてください。






 




 ね、更に気持ちいいでしょ???

2008年12月20日土曜日

英語の格好良さ

 日本で英語教育を幼い頃から始める利点の一つに、発音の流暢さが言われています。学校での英語教育でも、英会話学校の売り文句でも、人々の間でも、英語の発音の流暢さ(いわゆる英語圏の人々の発音にどれだけ近づくことができるか)が一つのステータスになり、また他人に自慢でき、他人もそれを羨むものになっています。日本語の発音は英語のものとはかなりかけ離れたものなので、習得がかなり難しく、だからその会得自体が高根の花的存在になってしまっているのでしょう。中には英語の発音を中心とした英語教材まで販売されている始末です。

 外国語大学に通う学生の中でも、かなりの人数が、英語の発音をアメリカ人風に、イギリス人風にできれば格好良い、日本語発音の英語は不細工だと思っているようです。(確かな人数や割合は詳しく調べていないのでここで示すことはできませんが)また英語の良い発音を目指すために留学を志す学生も少なくないようです。(確かにこれは留学を目指す学生の中ではごく僅かなようですが)私はこのような話を聞くと、いつも「なぜ日本語発音ではだめなのか」、「会話で一番重要なのは、発音ではなく内容なのではないのか」と問いかけたくなります。

 例えばアグネス・チャンはもう日本に来て35年以上たつが、未だに日本語の発音は完璧ではありません。しかしきちんと社会的地位を築き、大学の教授や日本ユニセフ協力大使等、様々な形で社会に貢献されています。パックンマックンのパックンも、彼はハーバード大学という世界に名の知れた優秀な大学を卒業した秀才でありながら、そして日本語も非常に上手でいながら、発音はまだ完璧とは言い難いものがあります。しかし彼も冠番組を持ち、家族をきちんと養われています。また和田あきこも、彼女は英語を堪能に操ることができないにも関わらず、彼女の今までの歌手人生の功績がアメリカで認められ、2008年9月29日にアメリカでポップミュージックにおいて聖地と言われるアポロシアターでライブを行いました。この人たちの例を見てみると、それ程外国語の発音だけに執念を燃やしても、どうってことはないと感じざるをえません。

 もちろん日本語と英語は発音においては似ても似つきませんので、英語の全てをローマ字読みすれば相手に英語が通じません。だから通じる英語の発音は学ぶ必要があります。しかし「通じる英語」であれば、もうそれは英語ではないのでしょうか。そして「上手い英語」とは、発音が上手いのではなく、自分の言いたい内容を相手に的確に英語で伝えることができる能力を兼ね備えていることではないのでしょうか。そして会話の中で意見をすることは、その人の人間性の現れではないかと思います。即ち、相手が外国人なのであれば、日本人と話す時以上に相手の異文化を理解した上で、相手を傷つけないように話さなければなりませんし、日頃から様々な事を経験し、勉強しておかないと、いざ誰かと会話をする時にも意見ができず、それではいくら英語の発音をきれいにできたとしても、それは宝の持ち腐れとなってしまいます。

 ですから、私が誰かに英語を教える時は(私のこのような未熟な英語を教えるなどということは誠に恐縮なのですが)、発音は相手に通じれば良い、それよりも英語を上達させるためには、まず自分を磨くこと。なぜならば英語は言語であり、言語は使う機会が無ければ意味がないものだから、といつも言います。

 外国語大学の一学生としてこのような意見を持つのに正当性が無いと批判されるかもしれませんが、少なくともこれは私の経験を元に私自身が見つけ出した意見です。

2008年12月14日日曜日

弱い人間

 私は非常に弱い人間です。又狭い心の持ち主です。私は他人が冒した間違いを見逃すことができず、しかしそえを忠告することもできず、そのやるせない気持ちをため込み、結局は自らを苦しめているのです。もしかすると他人の行為に正しい、間違いなどと判断してしまう時点で私自身が間違っているということなのでしょうね。

 皆さんにはこのような人間になってほしくないという願いを込めて、今日はこのような事を書かせていただきました。

2008年12月3日水曜日

何のために努力をするのか

 「何のために努力をするのですか?」「なぜ頑張るのですか?」と質問されたとき、あなたはどう答えられますか?「目標や夢を叶えるため。」という答えが大多数ではないかと思います。私も目標を叶えるために努力は惜しみません。しかし、努力をしたから目標や夢は必ず達成されるのでしょうか。答えは皆さんもご存じの通り、NOです。

 先日NHKで王貞治さんを特集した番組を拝見したところ、王さんは素晴らしいことをおっしゃられていました。

 「努力をしても必ず目標を達成できるということはない、しかし努力をすれば目標を達成できる可能性が増える。」

 まさしくその通りだと思いました。だから努力をするのです。そして私は、努力をする理由が目標達成以外にもう一つあるとよく実感します。それは、努力は人間力を高める効力があるということです。例えば、四国八十八か所(約1100km)を歩くとします。その途中では足を痛め辛い思いをしたり、風邪をひき一日中歩くことができなくなる時もあるでしょう。また道に迷い、マムシに襲われるかもしれません。(実際四国にマムシは数多くいます)しかしお遍路行をすると、人に道を教えて頂いたり、お接待をして頂いたりすることで、自分の周りの人々に対する感謝の気持ちを常に持つことができます。そうすることによって、お遍路さんは他人に対して、相手を理解し優しく振舞うことができるという可能性を見いだせることができます。それが人間力を高めることに繋がります。

 努力するということはそう簡単な事ではありません。人間は誰しも楽な方を求めるものです。そしてその気持ちに打ち勝ち、努力を遂行することによって、努力する厳しさや辛さが分かり、結果努力する他人の気持ちも分かるようになります。そして人々はより理解し合えるようになるでしょう。

 この事をいつも考えていると、何かに力を注いでいる時は何故か気持ち良くなります。そして後には努力することが楽しく、習慣化されるのでしょう。だから私は現在、そしてこれからも努力を惜しみません。自分の弱い心に打ち勝つ楽しみを覚えられるように。そして、自分には厳しく、他人には優しくできる、人間力のある一人類を目指して。

2008年11月29日土曜日

川原 慎太郎君 (ピアニスト)


 このピアニストは私の友人、川原 慎太郎君です。彼とは高校が同じなのですが、高校時代は一言も話をしたことがありません。それが、あることがきっかけて卒業後に再び出会い、私がヨー・ヨー・マ(世界的に有名な中国のチェリスト)が好きなことで彼が色々とクラシックの世界を教えてくれ、そして彼の演奏にも興味を持ち始めました。

 初めて彼の演奏を生で聴いたのが、堺のコンクールです。そこで私は、生まれて初めてと言っても過言ではない程の衝撃を受けました。同じ年齢の友人が、これ程一つの事に磨きをかけ、それで人を感動させる事ができるのか、そう思いました。そして先日、京都の青山音楽記念館で催された彼のリサイタルに行かせてもらいました。そして、またまた感動させられ、その時は心を洗い流されたような気持ちになりました。会場を出た時に、心がすっきりと、清々しい気持ちを感じたことを今でもよく覚えています。

 彼はピアノの技術だけではなく、性格も素晴らしいのです。私は今まで彼の演奏を3度聴きに行ったのですが、彼は毎回私にチケットを送ってくれるのです。本当は訪れる者が買うべきチケットを、演奏者が切手まで自腹で払い、私にチケットを送ってくれるのです。彼には、私がいつも行動する時に気をつけている「自分の利益の前に他人の利益、またそれは自分の利益になる」ということが既に兼ね備えられているのでしょう。

 これから更なる飛躍を期待できる彼に注目し、応援していきたいと思います。川原、いっつも気持ちが生き生きなる、そして安らぐ演奏ありがとうな。

 


 最後に、簡単ではありますが、彼のプロフィールを紹介しておきます。

第7回堺国際ピアノコンクール一般部門第1位(第2位空席)2006年、第31回ピティナ・ピアノコンペティション全国決勝大会、ソロ特級部門の4名のファイナリストに残り、入選。その模様はインターネットによりライヴ配信される。同年、第19回宝塚ベガ音楽コンクールピアノ部門第2位受賞。堺国際ピアノコンクールでは第3回ジュニアE部門(高校生の部)第1位。第55回、及び56回全日本学生音楽コンクール大阪大会高校の部入選。開田千鶴氏のもとでピアノを始め、これまでクラウディオ・ソアレス、服部久美子、坂井千春の各氏に師事。その他、世界的に著名なピアニストであるディーナ・ヨッフェ氏にも来日の際、数回に渡りプライベートレッスンを受けている。日本演奏連盟主催「ディーナ・ヨッフェ公開マスタークラス」に選出され、大阪いずみホールで演奏。これまでに大阪シンフォニカー交響楽団、東京ニューシティ管弦楽団、大阪チェンバーオーケストラ等と共演。第17回ABC新人コンサートに合格。現在、京都市立芸術大学大学院音楽研究科に在籍。

2008年11月24日月曜日

試合結果

 今朝起きて、1日に12試合もするべきではないなと強く感じます。胸、背中、右腕全体、尻、腿・・・体中が筋肉痛で、何をするにも「よいしょっ」と行動しています。なので今日は外に出ず、アラビア語でも勉強しようかなと思っています。アラビア語は楽しいですよ。覚えるのはなかなか難しいですが、アラビア語を発音できるようになっただけでも嬉しくなれます。

 少し話が脱線しましたが、昨日は個人戦、団体戦合わせて12試合しました。そして団体戦の結果は散々でしたが(これは団体戦が個人戦の後に行われたので、日頃練習をしていない私の体力が続かなかったのが理由なのですが・・・私と団体を組んでくれた人、すみませんでした・・・)、個人戦は3位に入賞することができました!!!まぁこれもくじ運が驚くほど良かったというのもあるのですが。


  ちなみに賞金もありました。なんと!!!!!!!!!!!!!!1000円です。参加費は1550円です。賞金を頂いても、赤字です。

  昨晩はよくゴルフに御一緒してくださるご近所さんの家の晩御飯をおよばれしに行きました。そして、以下の物を御馳走になりました。


  国産いくら丼、おばちゃん特製茶碗蒸し、大根おろしwithいくら、薄揚げの中に糸こんにゃく、筋肉のようなもの、人参などを入れたものを御馳走になりました。いくら丼は、今までに食べたことのない量でした。高級な牛肉よりもおいしかったです。おばちゃんの茶碗蒸しは、本当においしいんです。プリプリで、味付けも程良く、いくらでも食べたくなる程です。そして薄揚げのもの。初めていただいたのですが、これがボリューム満点で、本当においしい。これ一つで丼鉢一杯の白ごはんは軽くいけますよ。

 試合は本当に疲れましたが、これ程のおいしい食事で完全復活しました。さて、それではアラビア語の勉強をします。

2008年11月23日日曜日

趣味


 今日は大阪の高石体育館で開催される、卓球の大会に個人、団体とも出場します。(団体と言ってもメンバーは私を含めて二人だけなのですが)そしてそのために、一昨日は難波の浜田卓球(以前までは大阪で唯一の卓球専門店でした)に行き、試合用の、最近流行りの少し長めのパンツを買い、昨晩は二時間みっちりと練習しました。そのおかげで今日はばっちに筋肉痛・・・(笑) またつい先ほど、今日の試合のために使うゼッケンを、約10年振りに作りました。中学校時代に作ったものよりも何故か汚くなったのは気のせいでしょうか。まぁ今の私の性格を表しているのでしょう。(大雑把)


 それにしても、私は多趣味です(恐らく)。釣り(鮎、鯛)、焼き物(備前)、ゴルフ、サッカー、バドミントン、テニス、卓球、料理、旅行、ドライブらが現在の私の趣味にあたり、もう少し後には自転車も追加される予定です。それにしても趣味が多いというのは、時間を弄ばずに済むので、とてもありがたいです。そして私は趣味を選ぶ際にはいつも、年寄りになってもできるものと条件をつけています。これからももっともっと自分の趣味を増やしていきたいですね。
  よし、今からきばっていこ~~~!!!!!!!!!

2008年11月21日金曜日

心の掃除

 今晩ゴルフの打ちっぱなしに行ってきました。そしていつも通り、ドライバーが不調でした。まぁドライバーが好調の時など皆無に等しいので、ここで「不調」という言葉が適切かどうかと言われると、それはそうだと納得せずにはいられなくなるのですが。ゴルフというスポーツは精神的な強さや安定感が結果を大きく左右します。ですから数多くあるクラブの一つが不調になると、他のクラブを振る時にも影響してきます。ゴルフ歴4か月の私の場合では、ドライバーの不調が精神の不調(少しの苛立ち)となり、それが完全に他のクラブへ悪影響を及ぼします。そしてその後は、とんでもないことになります。これはゴルフ経験者の方は、多かれ少なかれ経験したことがあると思います。

 この観点においては、ゴルフと人生は良く似た性質を兼ね備えていると感じます。一つの怒りや苛立ちが、他の関係のないと思われる事にも影響を及ぼす。この原因は、「これはこれ、それはそれ」といった、問題点に対して客観視できていないということと同時に、何かが心に詰まっていて、いっぱいいっぱいな状態なのではないでしょうか。部屋は掃除をしないと埃がたまります。浴槽も掃除をしないと水垢や人の垢がたまります。それと一緒で心も掃除をしないと、何か埃や澱みが溜まってしまうのかもしれません。ということで私は、来年の春から社会人として新たな人生をスタートするに当たり、事前に心を綺麗に、ピカピカの一年生として社会に飛び出したいと思いました。そして、心の掃除方法をいくつか考え抜いた末、これだと思ったのが「四国八十八か所 歩き遍路の旅」です。



 ということで、私は卒業旅行を修行旅行にし、自己向上に努めます。歩き遍路の旅は、来年の2月上旬から、3月の中旬から下旬(川崎への引っ越し)までに実行します。旅の途中では日記をブログに載せていく予定ですので、また興味のある人は覗いてみてください。






 明日の朝、早朝ゴルフ行こかな・・・・

2008年11月19日水曜日

平和のために私たちができること

  平和に関しては、メキシコや外大での国際関係論の授業で理論的に学ぶ。国際関係的観点から現代の世界を見れば、今日の国際社会はアナーキー(無政府状態)、つまり国家の上に立つ世界政府が無いということであり、それは国際社会における基本的な社会システムが存在しないということになる。従って、各国は同等の権利を持つ主権国家である。

  リアリズム的思考によれば、Balance of Power(勢力均衡)を基に平和は保たれるとされる。Balance of Powerとは、恰好が似通った国力を持つことである。アメリカの国際政治学者モーゲンソーは、国力は地理的条件、天然資源、工業力、軍備、人口、国民性、国民の士気、外交の質及び統治の質で構成されると説明している。

  しかしBalance of Powerには欠点がある。各国は国力、特に自国を守るのに必要な軍力を高め、安全、安堵を求める。そうすると他国にとってはその軍力増加が脅威となり、更に自国の軍力に力を入れる。その結果世界各国が競い合うように、最先端技術を駆使した戦車、ミサイル、軍艦、爆撃機、そして核爆弾を生みだし、その勢力競争がBalance of Powerを崩し、戦争を引き起こす可能性がある。

  国際社会システムとして機能する国際法や条約は、国と国の間での合意の上だけで成り立つものであり、その国際社会システムの存在を否定する国に対しての法的強制力はない。(国際連合で決議される条約のいくつかは、他国に対しても強制力を持つものが制定されている。)



  国際平和に大きな影響力を与えるということは、非力な僕個人が決してできることではありません。しかし今現在、この一秒単位に何人もの人々が紛争や飢餓、その他の争いや病により亡くなっていることは事実です。その事を考えると、人として平和を望むのは当たり前の事ではないでしょうか。僕はいつも、個人レベルで平和達成のために何ができるのかということを無意識のうちに考えています。

  例えば、人間個人の意識の持ち方によって、その人の平和意識はその周囲の人々、そして国民全体へ善い影響を与え、敷いては一つの国の現実的な平和の実現が、その他の国が平和を目指す際の規範となり得るものではないかと考えます。

  では、個人では平和実現のために何ができるのか。それは総して、平和な心を持つということになります。これは抽象的な表現であるので、僕の考えを具体例としていくつか挙げていきます。

1. 怒りを感じた時こそ、平常心を保つ。そしてその怒りの理由と、その怒りの理由が生じたのはなぜかということを客観的に思考する。

2. いつでも顔を上げ様々な物を観察し、自分の表情が暗くならないよう努める。歩く時は胸を張り、姿勢を正す。

3. まずは他人の幸せをもとめる。そのためにしなければならない最大の努力をする。他人の幸せを求めることにより自分も幸せな気持ちになることができる。

4. 自分の意見を一度述べる時は、二度相手の意見を聞く。その際は相手に何かを「教え聞かす」という上からの目線ではなく、「聞いていただく」という下から目線で。この点を注意すれば、自然と相手の意見な気持ちを大切にするようになる。

5. 何かをしてもらった時は、必ず「ありがとう」を言葉と表情で伝える。(例: レストランでの食事の際、その料理を作ってくれた人、あなたに接客してくれた人に対して。 また、例えば学校で前の人がプリントを回してくれた時。 道を歩いていて、ビラ配りをしてくれている人に対して。)

6. 話し言葉はできるだけ柔らかく、丁寧に、はっきりと。相手の気持ちや状態、思考能力を十分に考慮した上で、相手が嫌な気持ちにならないように、声のトーンや話の速さ、言葉を選ぶ。

7. 他人を不愉快にする可能性がある行動をとった時や、自分がされて不愉快になる行動を自らとった時、またとる前は「すみません」の一言を。(例: 混んだ電車の中で、中に入っていく時や、中から外へ出たい時。 また、自分が他人よりも道を早く歩いていて、自分が通るスペースがないので、少し他人にどちら側かに寄ってもらいたい時。)

2008年11月16日日曜日

my sister's wedding

 My sister's weddingと書くと、突然Big Fat Greek Weddingを思い出しました。なにかゴロが似てませんか?Big Fat Greek Weddingといえば、アメリカ留学中に初めて家族に誘われて観に行った映画で、英語の映画だと緊張しながらもほとんど理解ができ、自分の英語に少しばかり自信を持てたことを思い出します。まぁ次の日の学校で、再び撃沈しましたけど。Beg Fat Greek Weddingは、ギリシャ人の女性とアメリカ人の男性が結婚する話であり、ギリシャの方はそれ程英語が達者ではないように演じられていましたので、だからよく英語が理解できたのです。しかし高校内では普段の、日本の高校では習わない表現とスピードに圧倒され、再び元に逆戻りでした。

 ということで、前置きが長くなりましたが、昨日11月15日は姉の結婚式でした。27歳でした。(ご臨終されたみたいですけど、決してそうではありません)27歳での結婚を知りあいに話したところ、理想的な年齢での結婚だという答えがほとんどでした。旦那とも仲良くラスベガスにハネムーンにも行ったことですし、末長く仲良くいてもらうことを望むばかりです。

 さて、ここでひとつ問題があります。それは、まだ彼女の旦那の事を「兄貴」と呼んだことがないということです。昨日姉の親友に「それはお兄さんと呼ばんとあかんでぇ」とご指摘を受けました。しかしこれはなかなか慣れないものですよね。そして慣れないことを習慣化するというのは非常に勇気と努力が必要とされます。しかも、まだお互い話をするときには敬語なのです。あちらが年上なので、せめて彼から「タメ口」で話をしてくれると、こちらももう少しfrankに話ができるのですが・・・”蜂蜜の月”から帰ってきた時にどうですか、楽しみです。

 ま、第一には、彼らがずっと仲良くいてくれることを望みます。そうすれば他の小さな事もすぐに解決されるでしょう。お二人さん、おめでとさん。お幸せに。就職祝いはラスベガスでの儲けでええで。





 あと一つ。僕のブログを毎回チェックしてくれる数少ない方々の一人(彼は僕の事を、僕が生まれた時から知っている)が披露宴へわざわざ足を運んでくれ、僕のブログの更新頻度の低さを指摘されました。確かに、2週間に1度、または3週間に1度は少ないでしょう。これからちょくちょく更新しようと思います。

2008年11月7日金曜日

2度目のコースラウンド





 昨日、兵庫は加東市のぜんカントリークラブへ、父親と、仲良くして頂いている近所のご夫婦に連れて行ってもらいました。2度目のコース。1度目の酷いスコア(136)を少しでも減らせるよう、そして120台を目標に、高ぶる気持ちを抑えながら前の晩はぐっすりと寝ました。

 コースデビュー後昨日まで練習して、アイアンはある程度安定(っと言っても満足には程遠いですが)して打てるようになったのですが、はやりドライバーが・・・散々です。もっともっと練習が必要です。テイクバック時の右内転筋への意識、左手首の角度、ヘッドアップ・・・・・・・・言い出せばきりがありません。冷静になれば何が悪いか分かるんです。しかしコースに出て、いざ打つ時には、2つ位しか覚えてません!!

 しかしコースデビューのスコアより23打も縮めることができました!!!昨日は合計113打でフィニッシュしました。といっても昨日のコースはパー70で、しかもフロントティーなんですけどね。まぁでもアイアンをしっかり練習していた甲斐がありました。8番と9番はもっともっと練習しないといけないですけど。あと、グリーン周りとパターです。はい、要するに、全てです。

 これに満足せず(誰もこれで満足する人はいないと思いますが)、今後も一生懸命練習します!!

2008年10月22日水曜日

独りの時間の楽しみ方

 以前のブログでも書いたように、私は焼物、特に備前焼きが大好きで、よく岡山備前へ行っては、目当ての物を探します。私は昔からお茶が好きで、それから自然に和菓子も好きになり、そうするとお茶や和菓子を良い食器でいただきたいと思うようになりました。そして備前にはまっていったのです。


 先日(10月19日)備前で備前焼祭りというものがありました。そこでは備前焼の労働組合に加入しているお店や窯元が駅周辺に集まり、まるでタイの朝市のように各店舗が店を出していました。もちろんそれに行き、様々な焼物を購入しました。(今回は誕生日ということもあり、ほとんどは母に買ってもらいました)それで、今回のブログでは、皆さんに見せびらかし「これええやろ~~~」と言うためではなく(どうせ「またおっさん臭なったなぁ」と言われるだけなのですが・・・)、自分のアルバムとして残すために、私が持っている焼き物を紹介したいと思います。


                       <茶碗(備前)>



                       <小皿1(備前)>


                       <小皿2(備前)>



                       <湯呑1(備前)>



                      <湯呑2(信楽)>

      

                      <湯呑3(備前)>



                    <コーヒーカップ(備前)>



                    <コーヒーカップ(信楽)>



                       <丼鉢(備前)>



                  <ちょい呑み&醤油注し(備前)>



                    <ビアジョッキ1(備前)>



                    <ビアジョッキ2(備前)>



                    <ビアジョッキ3(備前)>



                     <ティーポット(備前)>



                   <コーヒードリッパー(備前)>




 そしてコーヒーが大好きなので、ミルも買ってしまいました。



2008年10月17日金曜日

コースデビュー

 先日遂に念願のコースデビューを果たしました。これはすぐにブログに書いておこうと思っていたのですが、なんせ私は面倒くさがりの性格なので、これが今までに伸びてしまいました。ゴルフの練習は、大学3年生の頃に5~6回したきりメキシコに行ってしまったので、それ以降は練習をできずにいました。そして日本へ帰国後就職が運良く決まり、将来は営業職だということもあり、再びきちんとゴルフを練習して、接待をする準備をしておこうと考えました。

 コースは9月25日に奈良県の室生カントリーへ、父と知り合い夫婦と計4人で行ってきました。いや~、実際にコースで打つのは違いますね。難しい!!!まず風があります。そしてアップヒルやダウンヒル、急な傾斜、ラフ・・・中でもパットには苦戦しました。スコアの半分ほどはパットだったのではないかと思う程です。例えば、165yのパー3で運良くワンオンできたにも関わらず、カップインしたのは6打目。いやいやお恥ずかしい。そして最終スコアは136。今後はとりあえずこの数字を超えないように頑張らないとと肝に銘じて、打ちっぱなしに励みたいです。

 しかし、いくら本コースが難しいとはいえ、やはりあの鮮やかな緑の芝の上で、鳥のさえずりとともにするゴルフはなんと気持ちの良いことでしょう!!!完全にゴルフにはまりました。なのでゴルフをする人、これからしようと思っている人、ちょっとやってみたいなと思う人、誘ってください。いつでも付き合います。というか、付き合わせてください!!笑

 9月25日以降練習をずっとさぼっていたのですが、先日知り合い夫婦からまたお誘いをいただき、11月に今度は違うコースを回るので、それに向けて週2~3で練習をしています。

 最近ハニカミ王子みたいに若者がゴルフをするのって流行ってるみたいですもんね。目指すぞ、若返り!!!!!!!!!!!

2008年10月16日木曜日

朝の通学

 僕は毎日大学へ自宅から通っています。家から大学の門まで約1時間45分の道のりを、電車を3つ乗り継いで、本を読みながらのんびりと電車に揺られる日々を送っています。

 そこで最近ふと気づいたことがあるのです。気づいたというか、分かったと言った方が正しいのでしょうか。それは、通勤ラッシュ時に目にする多くのサラリーマン、又はOLの方たちについてです。彼らは大抵は毎朝同じ時間の電車の同じ車両に乗り、そして夜遅くまで自分の生活を(中には妻や子供、両親の生活)支えるために、一生懸命働きます。彼らには多くの責任が全身にのしかかっているのです。その上彼らは一人一人特定の専門分野を持ち、プロフェッショナルとしてまた別の責任の下で働いているのです。朝の難波駅や淀屋橋駅には非常に多くの労働者がおり、彼ら一人一人にprofessionがあり専門の技術や知識を持っていると思うと、難波駅や淀屋橋駅を眠気眼をこすりながら急ぎ足で歩いておられる全員が格好良く見えて仕方がありません!!!

 今の日本の経済を支えているのは、紛れもない、彼らなのです。それを、ハゲ親父と気持ち悪がる人たちや、中には自分の利益のためだけに、他人の迷惑を顧みず、何も触られていないのに痴漢とののしり、和解金を目当てにする(数少ないのは確かだが)女性の方。僕は、社会の波にのまれながらも必死に働いておられるサラリーマンやOLの見方です!!!彼らは本当にかっこいいです!!!

2008年9月25日木曜日

イグアスの滝

 今回は世界遺産であるイグアスの滝を動画でどうぞ!!アルゼンチン、ブラジル、パラグアイの国境付近にあるイグアスの滝は、最大落差約100m、滝幅はなんと約4000mもあり、世界最高峰の滝の一つです。そこへは2007年の年末に訪れたのですが、ここで大きなハプニングに見舞われました。現地へ到着し、すぐさま日帰りツアーを組むためにツアーコンダクターのところへ行きました。そこで2つのツアーへ参加することを決め、清算をする際に財布を開けると、そこには1万5000円しかありませんでした。まぁ僕はいつでも財布に大金を入れていないので、すぐに銀行でお金を引き下ろしてくると言い銀行へ向かったのですが、そこで財布のどこを探しても、いつも持っているはずのシティーバンクのカードが見当たらないのです。もしかしたらブエノスアイレス(アルゼンチンの首都)の銀行でお金を引き落とした時にカードを取り忘れたのかとも思ったのですが、その銀行の電話番号も分からず・・・ とりあえずその時は2日間のツアー代1万4000円を支払い事は済んだのですが、残金は1000円。幸運な事に、その時はもうすでにホテル代と飛行機代、空港までの送迎バス代は支払っており、更にそのホテルには朝食と夕食が含まれていたので、基本的にそれ以外の出費はなかったのですが、それにしても異国にいて、1000円しかないというのはなかなか落ち着きません。しかも銀行のカードを紛失してしまったとなると、それから先の旅行とメキシコでの留学生活にかなりの負担が重なります。

 とりあえずその時はカードの事は忘れ、イグアスの滝を楽しみ、ブエノスアイレスに帰り、その後ブエノスアイレスに住む友人の家へ戻り、すぐに以前利用した銀行へ直行し、ラテンアメリカという貧しい土地柄だから9割9分諦めつつもカードの事を尋ねました。そしたら、心の清い人が僕のカードを受け付けへ届けてくれていたのです!!!!!まさに、天にも昇るような喜びを覚えました。アルゼンチンの友達にその事を伝えると、失ったカードが戻ってくるのはそうあることではないと言い驚き、その夜は有頂天の僕が彼に夕食(carne asada)を御馳走しました。

 そのような、色々な事を経験した時に撮ったビデオです。皆さん、楽しんで観てください☆


2008年9月11日木曜日

マチュピチュの全景

 Bloggerでビデオを載せることができると今頃になって気付きました。ですので、記念すべきビデオ第一号は、マチュピチュを訪れた際にその地の全体を録画したものを紹介することにします。マチュピチュは本当に行って良かったと思います。マチュピチュ自体も大変素晴らしかったのですが、僕がより楽しめたのは、マチュピチュに行くために訪れないといけないペルーの首都リマやクスコ(インカ帝国の首都)での生活です。リマやクスコでは朝早くに市場を訪れ、そこで現地の朝ごはんを食べ、その市場の人と他愛もないことを話し、そこの国の人の習慣を生で感じることができます。そこの国の人の生活を体験できると、不思議と人々の国民性や物事の考え方等も理解できるようになります。だから僕は留学や海外旅行が大好きであり、僕が成長する上で欠かすことのできないものとなっているのだと思います。

 それでは、非常に短いビデオですが、これでマチュピチュに実際に行かれる方がおれば幸いです。

<マチュピチュ>

マチュ・ピチュ(Machu Picchu)は、現地語では「老いた峰」の意味で、よく保存されたインカの遺跡である。ペルーのウルバンバ谷 (Urubamba valley) に沿う高い山の尾根(標高約6,750ft、2,057m)に位置し、山裾からはその存在を確認できない。しばしば《インカの失われた都市》あるいは《空中の楼閣》と呼ばれる。この遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっている。遺跡の面積は約13Km2で、石の建物の総数は約200戸が数えられる。マチュ・ピチュに関する多くの謎が未だに解明されていない。 (Wikipedia)

クスコ中心街

クスコの朝の市場

2008年9月1日月曜日

これで社会人になる準備完了です!


 やっぱり社会人で、しかも営業職と言えば「ゴルフ」でしょう。ということで、就職祝いに父にいただきました、マイゴルフセット。カバンも付いて、約6万円。これがまた使いやすいんです。昨日これを購入後、すぐさま二人で打ちっぱなし場へ。ドライバー、5番ウッド、7番、ピッチング・・・・全て調子が良い。ということで、次回は父と知り合いと合わせて4人でコースを回ることになりました。はてさて、コースではどうなることやら。とりあえず目標は100台です。

2008年8月29日金曜日

最近のなんとも言えない幸せ


 先日宇治へ行き、その時にふとお茶が買いたくなり、寺島屋で抹茶入り玄米茶と抹茶入り菊茶を購入しました。と言いますのも、3週間ほど前に滋賀の信楽に行く機会があり、そこで湯呑をいくつか手に入れたので、その湯呑でおいしいお茶を飲みたいなと思いましたので。なので今日は、玄米茶と、これまた滋賀の「叶 匠壽庵」という和菓子のお店の、夏の玉露地というお菓子をいただきました。夏の玉露地とは、贅沢な小豆を上品な甘さのお餅で包んだもので、ほのかに甘い抹茶入りの玄米茶と良くマッチしていました。


 叶 匠壽庵は堺東の高島屋の2階に店を構えておられるので、最近は頻繁にお世話になっているお店です。少し高級感のある、上品な甘さのお菓子が揃っており、そこのお菓子とおいしいお茶をすすることで、たまにちょっとした贅沢と一時の休息を味わうのがマイブームとなっています。このお菓子の器も、今月半ばに備前で、暇そうな友達を30分程待たせながら買ったお気に入りのもので、更なる贅沢感を味わうことができました。これからもちょくちょくここの和菓子を紹介したいと思っております。


 ちなみに、備前ではいつも「しょうざん」という窯蔵に訪れます。

2008年8月28日木曜日

勤務地決定!!

 勤務地と言いましても、研修の6か月間しかそこにはいないのですが。6か月間は、神奈川県川崎市の溝の口というとこです。「うわ、そこ近いって~~~~!!!」って思われた方、ぜひ僕にご一報ください。僕はそこに来年の4月から住む予定です。

 さて、最近はブログの更新スピードが極端に落ちていました。というより、放置状態でした。あれこれとやることがいっぱいで・・・(もちろん釣りもその一つですが) しかし書きたい事は沢山ありますので、今後暇を見つけて書いていこうかなと思っています。

 皆さんは最近どうお過ごしでしょうか。

2008年7月9日水曜日

遂に全てが終わりました。

 遂にと言いますか、まぁ一般的に見れば早いと思われるかもしれませんが、就職活動が終わりました。僕は個人的には、就職活動は長かったなと感じました。それも就活のほとんどが東京であったからかもしれません。なぜか僕は東京にいると、常に咳がで、両目がむしょうに痒くなってしまいます・・・しかし僕が来年4月から務める企業の本社は東京なのです。さて、どないしよ。和歌山へ鮎釣り、鯛釣りに行けなくなります。

 ま、とにもかくにも終わりましたので、これから何かをしたいと思います。何かは分かりませんが。とりあえず8月は日本中色々回ろうと思っています。あと、中国語も勉強しなければなりません。やりたいことがいっぱいや。

2008年7月2日水曜日

帰国、教育実習&就職活動

 皆さん、お久しぶりです。もうかれこれ1ヶ月半、ブログを更新していませんでした。メキシコでの生活の終盤では期末テストやレポートがあり、そして日本へ帰国するや否やすぐに就職活動をはじめ、また6月は3週間中学校へ教育実習のために行っていたために、ブログを更新する時間と気力がありませんでした。そして今も就職活動は現在進行形で進めております。まさに今は就職活動のため、東京にいます。東京は、本当に世の中には色んな人がおるんやなと思わせてくれる街です。(それが良いのかどうかは別として)

 さて、今から東京キャリアフォーラムに行ってきます。就職先が決まり次第、またブログを更新していこうと思っておりますので、今後とも御ひいきの程よろしくお願いします。

2008年4月15日火曜日

メキシコ、アメリカと日本の小さな違い

 今日の大学からの帰り道、ふとアメリカ留学でも感じた日本とアメリカ、メキシコの違いを思い出しました。

 アメリカやメキシコ(ヨーロッパもそうかもしれません)に旅行や留学経験のある人は一度は感じた事があるとは思いますが、これらの国では、建物に入る際、後ろに入ろうとしている人がいれば、その入口の扉が引き扉なら、開けて先に後ろの人を通すか、押し扉なら先に自分が通って、しかし後ろの人が通るのを待ってから扉を閉めますよね。これって、他人の事をよく考える文化を持っていると自負する日本人の間ではなかなかない習慣ですよね。

 事実僕も、アメリカから日本に帰ってすぐの頃、高島屋に入る時、先に入った人が僕を待たずに扉を閉めたことがありました。その時僕は「あ、冷たい・・・」と感じました。その後はその行為には慣れましたが、アメリカ人やメキシコ人はそういったところで、日本人は他人に対して冷たいと感じてしまうのかもしれないと思いました。だから僕は、その後気を付けて、人を先に通すようにしています。より人に対して温かくなれるために。ま、今はそれが僕のごく自然の習慣になってしまっていますけど。

2008年4月13日日曜日

ヒラメとカレイの違い

 この前友達が、「ヒラメとカレイの違いって何なん?一緒やん。」と言っていました。

 ・・・こら~~~~~~~~!!!ヒラメとカレイは全然ちゃう!!釣った時の引きもちゃうし、味もちゃうし・・・と言っても釣りマニアと気持ち悪がられるだけなので、やめておきます。

 それでは、どのようにヒラメとカレイを見分けるのでしょう。とても簡単です。




 上の絵の通り、目を上に向けて向いた方が左のものがヒラメ、右に向いたものがカレイです。そして、正面から見た時は、左に目が寄っているものがヒラメで、右に寄っているものがカレイです。


 「左ヒラメに右カレイ」

 
です。

 ちなみにヒラメは高級魚で、カレイはそれ程高価な魚ではありません。しかしどちらも非常に美味です!!




 それではここで問題です。これはヒラメ、カレイ、どちらでしょう?



2008年4月12日土曜日

寝る前に1杯

 「寝る前に軽く1杯飲んで、ほろ酔い気分で寝たら気持ちええねん」

 「寝る前に飲んだ方がよう寝れるねん」


 と思っているそこのあなた!!!絶対にこのブログを読んでください。



 実は寝る前にアルコールをとると、深い眠りにはつけないのです。しかも、様々な睡眠障害の他、アルコール依存症になる可能性もかなり高くなるのです。


 東京医科大学教授で代々木睡眠クリニックの井上雄一院長によれば、アルコールにより良く寝れるのは、睡眠でなく、意識が失っている証拠だそうです。そしてアルコール摂取後の睡眠は、かなり浅い睡眠(以前紹介した、ノンレム睡眠)となるため、脳にも体にも十分な休息を与えることができず、夜中に何度も目が覚めたり、早く起きてしまう原因にもなります。


 また寝酒の習慣を繰り返していくと、体が酒に慣れていき、それまで摂取していた量では寝付けなくなり、段々と酒の量が増えていきます。これがアルコール依存症となるのです。そして寝酒からアルコール依存症になる確率は、ストレス発散のための飲酒よりも高いそうです。そして大量の寝酒の結果、一時的に強い不眠症に陥ったり、動悸や震え等の症状もあらわれるようになります。


 その他、アルコールには生体リズムの周期を遅らせる作用があるため、だんだん夜更かしになり、しまいには朝起きられずに出勤できなくなる例も。脳・脊髄(せきずい)の神経障害を引き起こして、睡眠中にむずむずしてじっとしていられなくなったり、夢遊病などの睡眠中の異常行動を悪化させる場合もあります。


 中でも自殺行為となるのが、飲酒と睡眠薬との併用だそうです。睡眠時無呼吸症候群を悪化させ、長時間呼吸が止まることもあります。


 とにかく、寝酒は今すぐにでもやめましょう。そして夜すぐに寝付けないあなたは、病院へ行き、医師の指示に従って睡眠薬を服用しながら、徐々に就寝リズムを正常に戻していきましょう。その方が体に負担を与えずに済みます。



 まぁ、酒に弱いにもかかわらず、調子に乗ってビールを飲みながら宿題をし、その結果パソコンにビールを溢してパソコンを壊してしまった僕にはあまりかかわりのない話だとは思いますが。









 寝る前のテキーラショットなど、おこちゃまの僕にとっては自殺行為ですね。

2008年4月8日火曜日

日本にある差別

 先日、お嫁さんが日本人のメキシコ人の方と知り合い、その人と差別について話をしていました。そして、そのメキシコ人の方が非常に驚いた、日本である人種差別について話してくれました。

 彼の息子に日本国籍を与えるためにその手続きを行っていた際、彼はある決まりを目にしました。それは、日本人になるには、日本語の苗字をつけなければならないということです。すなわち、父親のスペイン語の苗字ではなく、母方の漢字の苗字をつけなければ、彼の息子には日本国籍を与えられないのです。

 なぜ日本人の苗字は漢字でなくてはならないのでしょうか。カナカナではいけないのでしょうか。名前がカタカナであろうと、ひらがなであろうと、日本人という事実に変わりはないのです。このような話は、人種差別が表面的に日本より多くみられるアメリカ合衆国ですらありません。もしかすると、日本では人種差別が起こる程まだ外国との深い関係がないのかもしれません。多くの日本企業は近年国際化していっています。しかし外国人による個人レベルで日本を見てみると、日本という国は簡単に行ける場所ではありません。(金銭面、文化面、言語面等) なぜかは僕にもわかりませんが、約1年間のアメリカ留学中、そして約2年間のメキシコ留学中でもそれはよく感じます。日本の中からはなかなか日本を全体的には見ることが難しいですが、外国にいればそれが良く見えるときがあります。

 例えば、アメリカの高校の友達に「日本てどこにあるか知ってる?」と尋ねると、数人は「中国の中にある国」と答えます。少なくともアジアにある国というのは知っているようなのですが、どこにあるかすら知っていません。そして今だに侍や忍者が存在すると思っています。侍は明治時代まで存在しましたが、彼らの活動が活発だったのは江戸時代よりも前ということになります。すなわち、多くの外国人の日本に対する理解は、約150年前以前の日本とかわらないということになります。それだけ日本は文化的に孤立してしまっているということになります。

 自国の文化を守り続けるということは非常に難しく、とても素晴らしいことであると同時に、その国民のアイデンティティーの大きな要素の一つとなります。しかし、文化を守るのと、他の文化から自国の文化を切り離すのとはわけが違います。自国の文化が素晴らしく、力を注いで守り続けるだけの価値があると思うのならば、それを世界の人々にも知ってもらおうと努力するべきであると思います。それがまだ国レベルではできていない。だから日本では漢字の苗字しか認められないのです。

 外国の苗字を多く取り入れてしまうと、漢字やその他の日本の文化が他の文化に押しつぶされてしまうと思う人もいるかもしれません。しかし日本の文化は他の文化の介入により、弱くはなりえないと思います。僕は今まで8つの国々を旅してきました。そして一番強く感じたことが、人々は日本の事を何も知らない、そして、日本文化とは非常に強く、固有のものということです。だから僕は留学の最低目標に、草の根交流を掲げています。僕が行く土地の人々に、本当の日本を、日本人である僕から、ほんの少しでも知ってもらう。そして、お互いに理解しあえる関係を築き上げることが大切だと常に考えています。

 これから海外へ行く機会がある人は、少しでもその国の人に日本の事を知ってもらうようにしてみてください。それはたとえ言語がうまく使えなくても出来ることです。人は心で会話をするのが相手を理解する一番良い方法だからです。相手が日本の事を知ると、彼らはあなたにとってすごく近い存在になるでしょう。そして、日本をもっと世界に広げていきましょう。

メキシコにある・・・

 日本語で書かれたコーラです。今年はオリンピックシーズンなので、ちょっとインターナショナルな感じにしているのだそうです。


 しかし、字が何か古臭いです。昭和に売り出された匂いがぷんぷんします。

2008年4月5日土曜日

メキシコの実態

 僕がいるメキシコは、近年の安定した経済成長に加え(実質経済成長:2004年度4.4%、2005年度3・0%、2006年度4・8%)、以前の中立・不干渉主義から積極的な外交政策により、1992年に米国、カナダとの北米自由貿易協定(NAFTA)、1993年にアジア太平洋経済協力(APEC)、1994年に経済協力開発機構(OECD)に参加し、また2002~2003年期には国際連合安全保障理事会非常任理事国を務めた他、国際司法裁判所判事やOECD事務総長など国際機関の主要ポストを占めています。日本との関係は良好で、2004年には日墨経済連携(EPA)が結ばれ、日墨貿易総額はその1年後に約38.4%、2年後には約76.3%と両国にとって利益となる関係が築かれています。

 表面的には先進国の仲間入りを果たしたメキシコですが、現実はまだまだ多くの問題がうずまいています。メキシコには多くの南米からのマフィア集団(特にコロンビアから)が、麻薬取引を米国で行うためにメキシコに違法入国をします。彼らの入国の手口は、メキシコとグアテマラの国境にいるメキシコの入国審査官に、賄賂を受け取り彼らを通すか、殺されるかの選択を迫ることです。数人の審査官(軍隊)は、数十人で押し寄せるマフィア集団をもちろん食い止めることはできないため、金を受け取り、違法入国をさせます。そしてメキシコ国内で政府にも賄賂を渡し、勢力を広げていきます。

 そのマフィア集団は頻繁に殺人事件を起こす他、メキシコ北部の山岳地域に住む貧困層の弱みをつけ、半強制的に麻薬を栽培させます。貧困層の人たちは農業を営むよりも麻薬を栽培する方が収入が良い他、断ると殺されるので、マフィアの要求を受け入れるしかありません。そして政府もその実態を知っているのですが、マフィアから事前に賄賂を受け取っている上、貧困層の人々からその職業を奪うと、彼らは生きていくことができなくなるので、見て見ぬふりをしなければならないというのが現状です。

 マフィアの問題の他には、窃盗の犯罪も多発しています。僕も最近財布を盗まれたのですが、その後2週間の間に僕の知り合いが3人も窃盗の被害に遭いました。窃盗の中には、単なるスリではなく、人に危害を加えてから物を盗む犯罪も少なくありません。メキシコシティーでは以前、ある通行人に腕時計が素敵だから見せてくれと言い、その手をつかみ、訪ねた他の仲間が、その通行人の腕を切り、時計を奪うという事件も多発しました。またメキシコシティーの貧困層が集まって窃盗集団を作り、盗みのために他の州の裕福な地域へ行き、犯行を繰り返しています。

 警察の汚職もメキシコ国内の安全を悪化さす原因となっています。これは有名な話ですが、例えば飲酒運転をし、警察の検問を受け、飲酒が発覚したとします。メキシコでは飲酒運転の事故が多発してるため、飲酒運転をすれば投獄と罰金の重い罪が科せられます。しかしその警察官に5000円程度(その時の所持金により金額が変わる)の賄賂を渡すと、見逃してくれるケースが大半です。(現在は警察官の給料が少し上がり、こういったケースは減少傾向にあります)

 まだまだメキシコには解決すべき問題が多くあります。しかし、だからこそこの国での留学には、大きな意味があるのだと思います。

2008年4月4日金曜日

授業中に横でオーケストラ


 この写真では少し分かりずらいでしょうが、この広場の奥では、新学長歓迎祭がオーケストラの演奏と共に盛大に行われています。その時の時間、午後1時。僕の心理学の授業が始まる時間です。その広場では、お酒やおつまみが振る舞われ、初めは招待された者だけが参加できるはずのお祭りが、学生もタダ飲み、タダ食いができるということで集まり、結果そこには軽く400人を超える人が集まっていました。
 教育機関でこのような事が起こって良いのでしょうか。盛大な祝いのすぐ隣では、いくつもの授業が行われています。僕のクラスはオーケストラの正面にある教室で行われるため、先生の話す言葉がほとんど聞こえません。そして結果、その授業は2時15分に終わるはずが、先生がこれでは授業にならないと判断し、1時半に終わりました。
 学生や学校関係者は、大学内での優先順位をどう考えていたのでしょうか。大学とは自分が学びたいと思うものを学び、そしてその知識を元に自らの研究を進める場です。その学生の学業の妨げをしているのが、その大学の学長なのです。新しい学長が就任するのはめでたい事なのかもしれません。しかしそれを祝いたいのであれば、生徒の学ぶ時間の邪魔にならない方法を考えるのが当たり前です。たとえ祭り行事が文化の重要な要素であるメキシコでも、教育機関での今回の行為は許されるべきではありません。教育機関は学生の成長を一番に望むべきです。その機関の代表者が彼の大学の学生が学ぶ機会を減らしているのです。就任早々このような行動をとる学長は、たとえ大学の利益をあげることが出来たとしても、学生のために自分を犠牲にすることは決してできないでしょう。そしてそれを出来ない学長がいる大学では、学生の平均的なレベルはある程度のところで止まってしまうでしょう。事実、約400人の学生は、他の学生の事など考えず、酒を飲み、騒いで楽しそうにしていました。
 全ての学生の手本になるべき教育機関のトップが、教育機関では決してしてはいけない事をしてしまい、そして学生もそれを何とも思わない。しかもこの大学はメキシコ国内で4本の指に入る大学です。これではメキシコの教育が伸び悩むのも無理はないと思いました。

2008年4月1日火曜日

外大通信に載りました

 4月1日発行の関西外国語大学の外大通信に、海外留学生からのe-mailということで、僕のコメントが載りました!!!下のURLから直接その外大通信を閲覧することができますので、時間のある方は読んでみてください。11ページに登場します。大まかに僕が2年のメキシコ留学で何をしてきたかを紹介しています。

http://www.kansaigaidai.ac.jp/img/pdf/news_paper/235.pdf

 あと、僕の大学での親友の一人である真崎 雅大君も、卒業式の際に着た衣装が、卒業式のoutstanding fashionとして登場しています。彼は日本の大学の卒業式で、アメリカなどの大学の卒業式でよく着られるガウンを着ていました。しかもそのガウンは、彼はアメリカに留学していたにも関わらず、購入先はネットだそうです。彼は「これはほんもんやねんでぇ~」と自慢をしてきました。別にほんもんでも偽もんでも、どっちゃでもかまわへんです。

2008年3月30日日曜日

本当に強い人間

 まずこのニュースを読んでください。





 先天的に右腕のない障害があり、生後間もなく母親に病院に置き去りにされた宇都宮市の栃木県立のざわ養護学校高等部3年、和知誠宏さん(18)=同県那須烏山市=が今春、高齢者施設の職員になる。

 会いたいと待ちこがれた母親との中学時代のたった一度の再会を経て、高校時代には「お母さん」というタイトルのCDも出した。和知さんは「僕は祖父母も知らないが、施設でたくさんの人に会いたい」と話している。  和知さんが生まれた時、両親は離婚協議中だったといい、母親は病院で出産した数日後に姿を消した。高校2年まで養護施設や前橋市内のカトリック教会で過ごした。  

 母親は和知さんに隠して病院の助産師と連絡を取り、中学2年の時に姿を現した。児童相談所の面会室で再会し母親の再婚相手を交えて約1時間話した。  遠慮がちに近況を尋ねる母は「ごめんね」を繰り返した。「家に行っていい?」と聞くと、事前に連絡をするように言われ、一緒に暮らせないことを悟った。なぜ僕を捨てたの。一番知りたかったことは聞けなかった。

 2年後、高等部の授業で詩を書いた。  

 <お母さんってなあに><甘えたい。けんかもしてみたい><お母さんとずっと一緒に暮らしたい>  

 教会の神父が読んで知人に作曲を依頼。信者ら10人の合唱でCD1000枚を自主制作し、養護施設などに配った。  介護ヘルパー3級の資格を持つ和知さんは4月から地元の聖園(みその)ヨゼフ老人ホームに勤務する。今は母を恨む気持ちはない。  「新しい出会いに挑戦したい」と目を輝かせた。【鈴木敦子】




 和知さんって、本当に強い人間ですよね。本当に強い人間は、弱者を助けることができると思います。弱者の経験をしたことがあるから、または弱者の気持ちを理解することができるから、だから人を助けることができるのです。人が本当に目指さなくてはならない目標は、和知さんのような人間になることではいないでしょうか。



 勉強ができる、お金がある、社会における自分の地位を高める、これはら非常に大切な事です。それは人を助ける力となるのですから。

1日の中に天国と地獄

 3月26日(水)、ず~~~~っと心配していた国際機関に関する授業の中間テストが終わり、心がすごく軽くなり、その日はテストが終わった状況を最大限楽しむために、グアダラハラに僕と同じ2年留学をしている友達がプエブラに遊びに来ていたので、その友達と散歩をしに行きました。

 プエブラ独特の町並みを紹介したり、この地特有の食事をしたり、とりあえずプエブラを満喫していました。そして路上で売っているおいしい食べ物を買い、公園のベンチに座り、ゆっくり今までの留学生活を二人で振り返りました。本当に僕たちにとって留学は素晴らしいものになりました。留学は、それをする人全員にとって必ずしも良いものになるとは限りません。留学をしたせいで人格が悪い方にかわってしまった人を僕たちは今までに何人も見てきています。決して僕たちが出来た人間というわけではありませんし、留学をしたから僕たちは成長できたと自負できる程人間性を高めれたとも思ってはいません。しかし本当に留学でだめになる人は世界中にたくさんいます。そのような留学の意味なども深く話をしていました。

 そして次にカフェに入り、コーヒーをすすろうということになりました。そこでも長い間話をし、清算をしようとした時です。ポケットにあったはずの財布がありません。そうです、スられたのです。そして、僕の懐まで軽くなったのです。

 すぐに諦めました。学生証、クレジットカード、郵便局のカード、2万円、知り合いの名刺、僕が小学校の授業中になぜか書いた「南無大師遍照金剛」という真言宗のお経の紙・・・全て失いました。(もちろんその後すぐに家へ帰り、カード類は停止をかけました。運よく、お金を使われてはいませんでした。)僕はこれらを失ったとき、もしも僕の財布を盗んだ人がすごく貧しい家の人で、その人の兄弟や両親に病気の人がいたとしたら、その2万円を医療費にあて、その病気が治ってくれればと自然に思いました。それと同時に、少し幸運にも思えました。もし僕がスリに気づき、抵抗をしていたら、ナイフで刺されていたかもしれません。(実際メキシコではそのような事件が多発しています)それを考えると、気づかなくてよかったとも思いました。

 日本人やその他先進国に住む方なら、この考えはおかしいと思うかもしれません。親が汗水流して稼いだ2万円を無駄にした上、それを盗んだ人をかばう様な考えをするなんてと思う人も多いと思います。しかしここはメキシコです。法的に定められた1日の最低賃金は約500円です。1時間ではありません。1日8時間でです。そして1日10時間働き、500円にも満たない給料しか受け取れない人も沢山います。しかしメキシコは本当に貧しい国ではないのです。政治家や一部の富豪が国にある全ての富を占領しているのです(事実、世界の富豪の中の第2位はメキシコ人です)。この状況の中に生活している人であれば、人の物を盗むという習慣が身につくのも理解できます。

 日本に帰り、仕事を始めれば、その2万円はすぐに親に返そうと思います。しかし僕はその2万円を悔やむよりも、相手の身になって考える大切さを学ぶことができたことを誇りにしたいと思います。

2008年3月29日土曜日

狙いを定めて

頭の中を一度空にし


精神を集中し



統一させ



力を一点に集め



自分の力を信じ



心の中で念じて



的の中心めがけて



解き放つ


豚の角煮 2


 以前に豚の角煮を紹介したのですが、それは日本にいた時に作ったものであり、今はメキシコで白ダシが売っていないので、白ダシを使わなくてもよい角煮を紹介します。味は、どちらも違ったもので、僕はどちらも好きです。

 材料:

  豚バラ肉1kg
  大根1本
  生姜1片
  にんにく5片
  ネギ(青い部分)2本分
  酒100cc
  醤油150cc
  砂糖大さじ2
  ゆで卵 好きなだけ

 作り方:
  1.バラ肉は煮ると縮むので、大きめに切る。生姜は皮つきのまま薄切り、にんにくは皮を剥いてたたいておく。そして鍋にバラ肉、生姜、にんにく、酒、ネギ、水を5カップ入れ、強火で沸騰させ、その後は灰汁を取りながら弱火でじっくり2時間ほど煮込む。

  2.肉に竹串がすっと通るようになったら、火を止め、ネギ、にんにく、生姜を取り除き、そのまま冷やす。そして一晩冷蔵庫に入れておく。

  3.翌日、表面に浮いてる白く固まった油を半分ほど取り除く。(脂分が必要でなければ全部取り除いてもOKです) そして火にかけ、沸騰したら醤油を50cc入れ、弱火で30分~1時間ほど煮込む。残りの醤油と砂糖を加え、更に煮込む。

  4.煮込んでいる間に、卵を水から約18分茹でる。大根は下ゆでしておく。

  5.卵と大根を入れ、どちらもおいしそうな色がつけば出来上がり。


 <ポイント> 取り除いた脂分は、野菜などの炒め物に使うとおいしいです。

 僕の家族と、近所の仲良しの人までが角煮を食べに家まで来てくれました。「おいしい、おいしい」と言ってくれました。メキシコ人にもうける豚の角煮です。

  

餃子


 餃子をなんとなく作ってみたくなり、作りました。レシピを紹介しておきます。

 具:

  豚肉(脂分の多いもの)
  ニラ
  キャベツ
  しいたけ
  玉ねぎ
  青ねぎ
  生姜
  にんにく
  醤油
  酒
  ごま油
  片栗粉

  <ポイント> 肉と野菜の比が3:7くらいになるようにしてください。野菜が多い方が、おいしくいただけます。

 皮:

  小麦粉400g
  熱湯 200g強 (その日の湿度により、多少水の量が変わりますので、少しずつ水を入れていってください。
  塩小さじ2
  砂糖小さじ2
  酒多さじ2

  <ポイント> 生地が耳たぶの固さになれば、ラップをして40分程寝かせてください。

  時間は多少かかりますが、しかし手順はそこまで難しくはありません。市販の皮で作ったことはないのですが、気持ち手作りの皮の方がもちもち感が楽しめるかもしれません。皮の厚さを自分の好みで調整できるのも手作りの利点ですね!!

2008年3月16日日曜日

統計の怖さ




 僕は一つ一つの悲しむべき事を大きく一つにまとめることが嫌いです。例えば、東京大震災では死者13,000人、負傷者170,000人、帰宅困難者6,5000,000人、全壊の建物850,000棟、避難者総数700万人、第一次世界大戦では戦闘員の戦死者は900万人、非戦闘員の死者は1,000万人、負傷者は2,200万人といったような数を統計に出し、被害の大きさや残酷さを表します。これは行政的利便のため、そして人が一目で今までの災害や過ちを再確認でき、もうこのようなことを繰り返してはならないと感じさすことができる意味を持っていると思います。しかし現在多くの人は、この「数」を見て、全てを即座に判断しているように思えてなりません。死者が多いから残虐、死者が少ないからニュースにする程でもない。僕は小学校の時に先生が、道徳の時間に行っていた言葉を今まで忘れたことはありません。それは、「人の命は一つ一つが大切なものであり、その命のために大勢の人が喜んだり悲しんだりする」というものです。


 確かに統計に出すことで、歴史的にもその事件を残しやすくなりますし、ある程度の理解力があればその奥も読めてきます。しかし最近のニュースでは、交通事故で死んだ人の数、そしてそれがどのような事故だったかを報道しておわりです。テレビ局は時間が限られいて、そのうちに出来るだけ多くの事を報道しようとするために情報が多少おろそかになってしまうのは仕方がないことかもしれません。しかし視聴者は、そのニュースの言葉や数字だけをそのまま受け取ってしまってはいけないと思います。例えば、その事故や事件で亡くなられた方のご親族の方々、友人の気持ちなどを少しでも考えてみることが、その人に対する少しばかりの供養になるのかなとも思います。人は皆平等です。自分と同じ人間が辛い目に合っているときは、最低その人の事を考えるというのが当たり前のような気がします。








 それでは、この文章の上にある表を見て、何かを感じとってください。




男女平均寿命の違いの謎


 先日ある人と話をしていて、ふと男女の平均年齢の違いの話になりました。なぜたいてい女性の方が男性よりも長生きをするのか。WHO(世界保健機関)の2007年11月4日付の調査では、男性の平均寿命は女性のものより1割短く、これは生物学的な理由によるものだとされています。しかしその理由は今だに明らかにはされていません。国別に見てみると、バングラディッシュ、パキスタン、クウェートといったイスラム国では男女の平均寿命の差が短く、貧困国でもその差は小さくなっています。それは医療へのアクセスが乏しいため、出産時の母体リスクの高さが原因だとされています。またウクライナ、リトアニア、ベラルーシの旧ソ連諸国では、男性の平均寿命が女性よりも1.5割から2割程短くなっています。これらの国は自殺率が非常に高く、特に男性の自殺が際立っているのが要因であるとされています。
 しかし、その他にも少し原因となりえる事柄を調べてみました。


  • 労働時間の差。男性の方が労働時間が多い国がほとんどで、例えば自動車の運転が長ければ、それだけ事故に遭う可能性も高くなります。

  • 危険の伴う作業に従事する機会が多い。

  • 社会的責任からストレスを抱え込むことが多くなり、それに関連した疾患にかかりやすい。

  • 人間の性染色体にはX,Yがあり、卵子はXのみ精子はXとYの2種類がある。女は2対の性染色体がXXで男はXYでありY染色体の方が病気などに弱く生命力もXに比べて弱いらしい。

 日本は世界で一番の長寿国であり、男性は78.4、女性は85.3です。


 ちなみに僕が今住んでいるメキシコは、世界の36位で、男性71.7、女性が77.0です。



 このことについてもっと知りたい人は、次のウェブサイトを訪ねてみてください。世界各国の平均寿命が表であらわされています。


http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1670.html

2008年2月29日金曜日

サッカーの試合

 昨日はサッカーの試合があったので、昼過ぎに授業が終わり、友達と少し早目の昼食を済ませ、試合時間の五時まで友達と一緒に宿題をしていました。そしてウォーミングアップのため試合開始30分前にはグラウンドに到着。誰もまだ来ていないみたいなので、一人でランニング、ストレッチ、そして軽くシュート練習をしていました。
(20分経過)
相手チームの選手が続々と集まりだしてくる。その時の時間、試合開始10分前。
ちなみに僕のチームメート、0。
(40分経過)
審判到着。試合予定時間から10分遅れ。
チームメート、未だに0。
(70分経過)
不戦敗。
僕は今メキシコにいるのです。

2008年2月28日木曜日

ブログの意味

 僕はアメリカに留学していた時、自分の留学中での気持ちや体験をずっと残すため、初めて一年間日記を書きました。そしてそれは今でも僕の大切な宝物の一つです。そしてメキシコ留学で、また日記をつけ始めました。一年目(Monterrey)はずっと日記を書いていたのですが、僕のルームメートであったアルゼンチン人の子がよく彼のブログを更新していたのを見て、「パソコンで日記書いたら早いよなぁ~」と思うようになり、彼も僕にブログを書くことを勧め、ブログを作ることを決心しました。
 僕のブログには、二つの意味があります。一つは、アメリカ留学同様、自分の経験や思ったこと、感じたことなどを書き残しておくことです。そして二つ目は、僕の知っている人、また知らない人に、僕が今メキシコで経験している事や感じる事、また僕が留学とは関係無しに気になったことなどを知ってもらい、そしてそれから何か少しでも考えてもらえたら嬉しいと思い、ブログを書き始めました。そして今までに、本当に様々な内容の日記を書いてきました。ブログを書き出すようになってから、ブログを書くネタを見つけるために、出来るだけ多くの事に目を光らせるようになり、それまで気がつかなかったようなことも見えてくるようになりました。それだけではなく、自分が分からない事はそれを調べ、ブログに書き、今後の自分の知識になるとともに、このブログを読んでくれる人の中でそれを知らなかった人は、このブログを読むだけで何かを学んでくれれたら、何か人の役に立ちたいとも思うようになりました。
 僕は以前、外国語学習のモチベーションについて書いたことがあります。僕は将来中学校(私立ではなく公立)の英語教師を目指しているので、どのようにすれば必修科目である英語を生徒に効率よく教えることができるかということを考えるようになり、自分を考えを紹介し、そして読者の皆さんにも問いかけました。(結局返事をしてくれたのは一名ですが。)
 そして最近、僕に日本のある大学のスペイン語の先生(アルゼンチン人)からメールが一通届きました。その先生は大学でスペイン語を教える傍ら、日本人のスペイン語学習のモチベーションを研究しているというのです。その先生は僕のその日記の内容と、僕の友達のその日記に対するコメントがすごく参考になったと、お礼をメールで送ってきてくれたのです。そしてその内容以外に、もっとフィードバックがあれば教えてほしいとおっしゃっていただきました。僕のブログの目標が達成された瞬間です。
 インターネットで何かを探し、それが見つかった時、そしてそれが誰かのブログの場合、普通はその著者にお礼はしないですよね。あ、見つかった、良かった、で終わりだと思います。しかしその先生は、真剣に僕のブログを読んでくれ、参考にし、お礼、そして質問までしてくれました。僕でも人の役(それも他人)にたてるのだと気付かさせてくれ、もっともっと人の役に立ちたいと思いました。


 未熟な著者が書く未熟なブログだとは思いますが、これからもどうぞ御ひいきの程よろしくお願いいたします。

2008年2月26日火曜日

人に何かをしてもらったら、その倍をお返しに。

 僕の家族は毎年香川の光蓮寺で年を越します。そこには僕の祖母のいとこ(玉子姉ちゃん)が住職をしています。玉子姉ちゃんは僕が生まれてからの事全てを知っていて、僕の3人目のおばあちゃんです。いつも僕と僕の姉に優しくしてくれ、1年に1回行くか行かないかの僕らのために、そのお寺に二段ベッドや自転車を買ってくれたり(僕らが小さい頃だったので、二段ベッドや自転車は最高のプレゼントでした)、おいしいものを御馳走してくれたり、とにかく僕の祖母達と全く引けを取らない位優しくしてくれます。

 玉子姉ちゃんの行動や考えにはいつも尊敬してやまないのですが、その中でも一つ、僕が本当に、何も考えずにこういう風になれたらいいのになと思うことがあります。それは、玉子姉ちゃんの「お礼」の仕方です。

 玉子姉ちゃんはお寺さんなので、お中元やお歳暮にはたくさんの人からたくさんの物をもらいます。そしてそのお返しに玉子姉ちゃんは、もし5000円の物をくれた人には1万円の物、1万円の物をくれた人には2万円の物を送ります。なので、いつでもお中元やお歳暮には、約50万円の出費となります。玉子姉ちゃんはいつでも「人に何かしてもらったら、それと同じ程度の物でお返ししてはだめ。それ以上の物を常にお返しして、感謝の気持ちを伝えないと。」と言います。相手の優しさや気持ちはお金では代えれないものと考えるが故なのだと思います。だから自分も出来るだけのお礼をして、自分の気持ちを相手に伝える。これってすばらしく人間味のある行動だと思いませんか?これは一見誰にでも出来ることではないように思えます。ある程度経済的に裕福でないと、こんなこと出来ないと思ってしまう人も沢山いると思います。しかし、僕はこれは金額の問題ではないと思うのです。

 例えば、近所の人から鯛を貰うとします。(今気づいた人もいるかもしれませんが、これは完全に釣り好きな僕の例です) そうすると、もらった人はその鯛を使って、何か料理をし、そして鯛をくれた人を夕食に招待します。これが「倍にしてお返しをする」ということだと思います。値段は、いつでも鯛の倍とはならないかもしれません。しかし、その人の気持ちは、鯛の値段の倍以上の価値があります。

 「ありがとう」という言葉は大切です。それは常に表現しなければなりません。ありがとうという一言は自分も相手も気持ち良くさせる力があるからです。しかし、ありがとう以上の物を表現できたとき、その人は本当の意味で恩を返したのだと思います。
 

日本と各国の違いから学べること (ペルー)

  • ペルーでは町中やビーチで非常に多くの子供を見かけました。

  メキシコやペルーでは、未だに男尊女卑が根強く残っています。なので社会での役割は、男性は家の外で仕事をし、金を稼ぎ、女性は家で家事と子供の世話が当たり前と多くの人々は思っているようです。去年の留学先の大学、モンテレー工科大学で僕の友達が履修していた授業の一つで、ある時先生が生徒に、家で料理、食器洗いや洗濯をする男性についてどういった印象を持っているか尋ねたことがあります。(生徒はその子以外ほぼ全員メキシコ人でした)女子学生は「そのような旦那さんが欲しい」と大賛成していたのですが、男子学生は「なんでそんなことせあなかんねん!それは女の仕事やろ!」とブーイングだったとのことです。

  一見男尊女卑は男女差別であり、あってはならないことのように思われます。僕も差別はこの世にあってはならないことだと思います。しかし、これを差別とは考えず、役割分担と考えてみましょう。より体力のある男性が社会へ出、家族のために給料を稼ぐ。一方子供の事を一番に分かる女性が家で、子供にきちんとした躾(しつけ)や健康面の管理をする。それを実行しているペルーやメキシコでは、子供の数が多い。(メキシコでは最近少子化が問題視されるようになってきていますが、その問題の危機性は日本に比べれば軽いものです) それに引き替え日本では、近年の経済成長、そして社会での男女差別撤廃の動きにより、女性が家庭よりも仕事を重視することが増えてきています。その結果子供を産まなくようになり、医療科学の発達も後押しし、少子高齢化が進んでいます。

  女性にも男性と同じ労働や他のものに関しても機会を与えることは重要であり、人権を考えればそれは当たり前のことなのです。しかし、仕事をし給料を稼ぐのを重要視しすぎ、自国の将来を考えない人は、自分を今まで育ててくれた自国を潰していることになるのです。

2008年2月22日金曜日

帰国日決定!

 最近やっと自ら進んで勉強をする楽しさを学び、その結果ブログを全く更新せずにいました。ブログに書こうとその内容を沢山貯めてはいるのですが・・・ また時間を見つけ、ぼちぼちと勝手気ままに書いていこうと思います。


 それはそうと、帰国日が決定しました。5月5日です。(日本に到着するのは5月6日の昼過ぎの予定です。)


 帰国後は教育実習、教員採用試験の準備、教職課程の授業へ出席、就職活動、自分勝手な論文、加太で釣り、市民オリンピックへ向けて卓球の再開・・・色々とやる事はいっぱいですが、学生生活の最後を精一杯満喫したいと思います。(密かにヨーロッパ縦断旅行も考えています。ここで発表している段階で、すでに秘密事項ではありませんが。)しかしもし週末とかに会える人、遊んでください。就職活動と教員採用試験が終われば、とりあえずは一段落すると思います。

2008年2月5日火曜日

友達から学ぶこと

 僕には保育園時代からずっと家族ぐるみで交友のある幼馴染がいます。そして彼が先日、mixiで次の日記を書いていました。それを読んだ僕は、共感を超えて感動してしまいました。意識をしない所で何かを学べたり感動を与えてくれる友達や幼馴染って、本当に貴重ですよね。僕の人生の宝物のの一つです。そして僕も、僕の友達に対して彼のようでいたいなと思いました。




「優しさと思いやり」

酔った勢いで日記書きます。


日記はゆる~いのを信条としてますが。。。


人生において、可能な限り「紳士たれ」 と思ってきましたが(自己中なんで自分で思ってるだけですが)、最近になって優しさと思いやりについて考えてます。

以前ある親友が「もし人運ってものがあるなら俺は最高に恵まれてる」と言いましたが、俺もその言葉をそっくりそのまま使わせてもらいます。 ごく平凡やけど俺にとっては最っっっ高の家族、人生について真面目でがむしゃらに頑張ってる友人達、バイトの職場仲間やこれから一緒に過ごす職場の同僚にも本当に恵まれてると思います。

果たして俺はその恵まれた周囲の思いやりに対して、思いやりを返すことが出来てるのか。

本来思いやりは返したりするものではないやろうけど、自分は周囲に甘えてるんじゃないかと。。。

多大なる愛情をもらった親に対しても、長い付き合いの友人に対しても。。。

俺はもっと頑張って生きんといかんと。。。



優しさで誤魔化して(人に言われるだけですが)人生歩んでで本当にいいのかと。

相手を思いやることに欠けてる自分に気付いてしまった。



甘えを捨てていかんと切に思います。


別に欝に浸ってる訳じゃないけど、


人生頑張らにゃと思います。。



ちぐはぐな文章ですみません。

P.S. 最近写真のブログにマチュピチュ(ペルー)とパタゴニアの氷河(アルゼンチン)の写真を更新しました。どうぞ暇な時にでも、ご覧ください。

http://hey-my-buddies.spaces.live.com/

2008年1月16日水曜日

ウルグアイで思ったこと


 突然ですが、ここでウルグアイで感じたことを書き留めていたので、紹介します。



 12月21日昼12時24分、気温35度の中、ウルグアイの首都モンテビデオのビーチのヤシの木の下で寝ころび、何も考えずに空を見ています。今考えると、ここ数年何も考えないという時は全くなかったように思います。大学入試合格から入学の間は何も考えず、近所の浜寺公園に散歩に行ったり、ランニングに行ったり、和歌山の加太へ鯛釣りに行ったりと、定年退職後の第2の人生のような生活を送っていたので、今はその時以来の自分のためだけに過ごせる時間です。といっても別に今まで常に人のために役に立っていたという意味ではなく、学業や将来の事、人生の意味等について考える事に時間を費やして、毎日睡眠不足の日々を送っていただけのことなのです。


 今までを振り返ると、僕は本当に運が良かったと思います。僕の欲求を十分満たすことのできるだけの経済力を持った家庭に生まれ、両親からの愛情を受け育ち、小学生時代には多くの経験や習い事やスポーツをさせてもらい、中学生時代には卓球で泉北地区(堺市、高石市、和泉市、泉大津市、泉北郡忠岡市)3位になり、高校ではサッカー部で多くの良きチームメートや友人と出会い、2年の夏急にアメリカに留学したいと思いつき、その2ヶ月後に、僕にとっては厳しいと言われていたYFU(Youth For Understanding)の試験に運良く合格。3年の夏から約1年間アメリカ、ウィスコンシン州へ留学し、帰国後は留学中に身につけた英語力無しでは難しかった関西外国語大学の公募推薦試験に合格。大学では多くの、自分と同じ興味や目標を持った素晴らしい友人と出会い、2005年に、大学に入る前からの目標であったメキシコ2カ年交換留学の試験に合格し、両親も反対をせず、僕のやりたいようにさせてくれ、また様々な援助を与えてくれました。メキシコではホームステイ先をはじめ、周囲の人々や環境に恵まれ、そして休暇はメキシコ国内を始め、キューバ、エクアドル、アルゼンチン、僕の小学生時代からの夢だったガラパゴス諸島に行くことができ、そして今はウルグアイの浜辺のヤシの木の下で寝転がり、空を見ながら何も考えず、今僕が思っていることを書くことができます。


 もちろん悲しく、辛い経験もありました。しかし、それ以上に僕は幸運に恵まれてきました。だから僕はまでの自分の幸運のお返しに、たくさん努力し、多くの事に挑戦し学び、どのようにすれば他人の役に立てるかということを考えてきました。そしてその答えの一つとして、僕は教師になるという目標を見つけました。教師になれば、アメリカで学んだ英語を教えることができる他、今までの海外での経験や自分が実際に見たことや、その国の人と話して感じた事を、感受性豊かな生徒に伝える機会が与えられ、その結果少なくとも自分の生徒がより広い視野と優しい心を持ち、物事を見、考えることができるようになると思っています。また今日本では教育界に多くの問題が充満しています。たとえ教育会全体を変えることができなくても、学校レベル、もしくは教室レベルでそれらの問題を一つでも多く解決していけたらと思います。


 日本の社会には日本の古き良き伝統を忘れ、秩序のない行動をする人が増えてきています。そしてその結果、多くの社会問題が起こっています。僕はそれらの問題は、人間形成の基盤を作る教育の問題や質が改善されない限り、解決させることはないと思います。だから、その教育に携わり、少しでも社会の力になりたいと思い、教師になることを近い将来の目標にしたのです。


 だから僕は今まで常に、良い教師になるには、日本の教育界や社会に存在する問題はどのようにすれば改善されるかと考えながら過ごしてきました。そして今後もそうして人生を過ごしていくでしょう。
しかし今だけは、少しの間全く何も考えずに、頭を休め、心を落ち着かせようと思います。そして、ウルグアイのゆっくりと変化していく空を、じっくりと眺めようと思います。

2008年1月15日火曜日

日本と各国の違いから学べること (アルゼンチン)




  • アルゼンチンの第一印象といえば、街中のいたるところに公園があり、そこでは人々がマテ茶を飲みながらくつろいでいました。そして歩道にはかならず木が並んで植えられ、首都で280万人が住むブエノスアイレスでも東京や大阪のような人ごみに酔うという事にはなりませんでした。

「渋谷、新宿や心斎橋、梅田には公園はあまりありませんし、緑もあまり感じることがありませんよね。とりあえず買い物をするか、仕事をする場所といった感じです。しかしブエノスアイレスには、日本の主要都市の機能がある上に、人々の憩いの場があります。これもラテンアメリカ独特の、仕事で忙しい合間にも、頑張りすぎず人生を楽しむといった目的が見られます。日本人の仕事のリズムをラテンの仕事のリズムに合わすことはなかなか難しいと思います。しかし日本人も、仕事の合間、または忙しくしている合間に一息入れ、気持ちを落ち着かせ、人生を楽しもうと自分に言い聞かす時間があっても良いのではと思います。仕事をすることが人生を楽しむことだとしてもそれは全く構わないと思います。それはその人にとってその仕事が楽しいと感じることができるということであり、それは一つの人生にとってとても喜ばしいことであると思うからです。しかし、仕事を楽しいと思う人も、少し手をとめて一息入れ、心を落ち着かせ「人生を楽しもう」とゆっくり考えることが、より人生を有意義に過ごすことができるきっかけになると思うのです。僕はいつまででも続かない人生、精一杯楽しみたいと思います。感謝の気持ちをいつでも忘れずに。」




  • メキシコの挨拶の習慣は、男性同士なら握手か抱擁と紹介しましたが、アルゼンチンでは男性同士でも頬を寄せてキスをします。

「うわ、きしょっ!と思われる方がきっと多いと思います。僕も最初はそう思っていましたし、メキシコ人の人も皆そう思っているようです。しかし実際に男同士でキス(キスと言っても口と口ではありません)をすれば、なぜか喜ばしい気持ちになるのです。あぁ、友達だなって思えるのです。それから握手の文化へ戻り、なぜか物足りなさを感じます。きっと日本へ帰ると、極限の寂しさを感じることでしょう。」

  • Betoの部屋は12階にあり、いつもエレベーターを使っていました。そして僕がエレベーターを乗っていて、誰か知らない人が入ってくると、必ず"Hola, ¿qué tal?" "Hi, how are you?" と挨拶をし、そこから普通に会話になることも少なくありません。全く知らない人ですよ。しかも僕は日本人で、スペイン語を話すかどうかも彼らは知らないのですよ。そして最後は必ず"¡Hasta luego! ¡Suerte!" "See you later! Good luck!" と言い別れます。

「これってつい昔まで日本にもあった習慣だと思いませんか?近所付き合いです。アルゼンチンの場合は近所でなくとも少し距離が近くなると話し始めてしまうのですが。しかし、挨拶をするってとても気持ちが良いことがアルゼンチンに来て理解できるようになりました。メキシコに帰ってから、大学の門番、掃除のおばちゃんには必ず挨拶をしてしまっています。この気持ち良さ、病みつきになりますよ!」


              • アルゼンチンではよく「ありがとう」と言うと、"No, por favor."と言い返されることがあります。これは英語にすると"No, please."です。

              「この言葉の感じを大阪弁で表現すると(単に標準語での表現力をもち合わせていないだけの話なのですが)、”いやいや、そんなんわし何にもしてへんしやな、ありがとうなんか言わんとってや”となります。すごく気持ち良くないですか?ありがとうと言うと、当たり前の事をしただけと返されるのですよ。日本語では”いえいえ”となると思いますが、アルゼンチン人の気持ちの良さに言葉一つから感動することができました。」




              • ブエノスアイレスの中心街に日本庭園があり、日本の天皇もその地を訪れたという石碑がありました。

              「僕はその日本庭園にBetoとJuanと3人で行きました。この庭園は日本の移民の方たちが、ブエノスアイレス市民に自分たちを受け入れてくれた感謝の意味を込めて寄贈したそうです。そして僕が行った日はかなり多くの人で賑わっていました。アルゼンチン人が日本庭園??って思うかもしれませんが、僕はなぜアルゼンチン人が日本庭園へ行くのか、その理由が分かりました。アルゼンチンの人々は公園や綺麗な景色の場所でマテ茶を回し飲みし、心を落ち着かせる習慣があります。そしてそれは日本の文化である俳句や茶会の意味と非常によく似ているように思います。だから、アルゼンチンがラテンアメリカの中で日本に一番近い文化を持っているようで、非常に居心地良く感じました。この経験から、日本人は日本の良き文化を身近な所に復活させるべきではないかと思います。」


              • アルゼンチン人の親友の家でのクリスマスパーティーに招待され、ブエノスアイレス州の町の一つ、ラ・ドゥルセの彼の家へ行きました。そしてそのパーティーでは、その家の家族はもちろん、数多くの親戚が集まり、最終的には40人程が参加する盛大なパーティーとなりました。

              「Betoの家系はイタリア人で、イタリアの家庭は親戚を大切にする習慣があるようです。しかも彼の実家はとても小さな農業町なので、皆が近くに住んでいるため、頻繁に食事会をしたり、夜お酒を飲んだりしているようです。親戚付き合いは昔の日本には多くあったように思います。(僕は昔を知りませんが)しかし今は仕事で忙しくなったり、親戚付き合いは面倒という考えが多くなり、親族同士での関係が薄れてきています。しかし血の繋がっている人というのは数多くありません。親族同士しかできない話も沢山あるはずです。だから僕はこれから親戚付き合いを大切にしていきたいと思っています。」



              • 首都ブエノスアイレス滞在中は、メキシコ留学1年目で知り合ったBetoのアパートで居候をし、またBetoの親友であるJuanと3人でよく遊びにでかけました。そしてその滞在中に僕が感動したのが、2人の僕に対する優しさでした。僕は半年ほど前からBetoに、冬休みはアルゼンチンへ必ず行くと言っていたので、彼は僕と少しでもいる時間を作るために、そして僕に出来る限りブエノスアイレスを教えるために、その時書いていた彼の卒業論文を必死に進めてくれていました。また彼は卒業論文を進めると同時に彼の大学の国際交流部で働いているのですが、僕が滞在中に多く休めるように、そこの仕事もできる限り事前に進めてくれていました。そしてBetoが仕事でどうしても家にいれない時は、彼の親友であるJuanに連絡し、僕をどこかへ連れていくように頼んでくれていました。しかしJuanもあるマスコミ会社の翻訳の仕事をしているので、Juanが僕と遊びに行く時には、彼も事前に仕事を早めてくれていたり、彼の上司に早く退社できるようにしてくれていました(上司に嘘をつき、仕事を休んでくれた時もあります)。そして彼らと出かける時は、必ず1日中歩き続けました。そしてブエノスアイレスやアルゼンチンに関する色々な事を話してくれました。1日中歩いていてもしんどいという言葉は決して言わず、いつでも楽しそうに、そして日本の話もいつも興味を持って真剣に聞いてくれました。

              • またBetoはクリスマスの時、僕を彼の実家へ招待してくれ、僕の事も事前に、彼の家族だけではなく、彼の親戚全員に話してくれていたのです。なので僕が彼の実家に着いて、彼の家族や親戚の皆と初対面をしたときには、皆はもうすでに僕の名前や、どうしてBetoと知り合ったか、僕は今どこで何を勉強しているかなどを知っていました。そして、愛情を持って歓迎してくれ、クリスマスの夜は一晩中日本や僕についての質問攻めに合いました。しかし、そこまで僕や僕の国に興味を持ってくれることが非常に嬉しかったのです。だから、僕もできるだけ皆の質問に答え、本当に楽しい時を過ごしました。またそのクリスマスパーティーでは、初対面の僕のために沢山のプレゼントも用意してくれていました。それもBetoの両親だけではなく、彼の祖父母や彼の叔父、叔母からもです。(彼は彼の家族や親戚だけでなく、彼の町(人口2000人なので、ほとんどの人はその町の人なら誰でも知っているようです)の人に僕の事を話してくれていたので、僕が彼と歩いている最中、彼の知り合いに会うたびに、町の人は僕に優しく接してくれました。そして、僕がその地に来たことを本当に喜んでくれました。(彼らの話によると、日本生まれの日本人がその地を踏んだのは、その土地の歴史上僕が初めてかもしれないと言うのです。それ程田舎でした。)

              「僕はアルゼンチンで人の温もりと優しさを沢山受けました。そこで僕は、人は人に優しくされると、とても幸せな気持ちになり、次は自分が他人に優しくし、自分が感じた幸せな気持ちをその人にも感じてほしいと思うようになると言うことを学びました。だから僕は今後、僕の周囲の人が、僕が感じた喜びを感じることができるよう、人に優しくしていこうと思います。」





               そして最後に、僕はこの冬休みにウルグアイの綺麗な海、ペルーの天空の都市マチュピチュ、アルゼンチンの広大なイグアスの滝とカラファテの、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスと同じ面積を持つ氷河といった自然や人が作り上げた美しい世界遺産をいくつも観てきましたが、僕にとって一番美しいのは人類だということに気づきました。

              2008年1月14日月曜日

              日本と各国の違いから学べること (メキシコ合衆国)

              • メキシコの多くの企業は、2時から5時の間に、約2時間ほどの昼食休憩があり、その間に労働者は自宅に帰るか同僚と一緒に食事をとり、その後1時間昼寝をするか会話をゆっくりと楽しみます。

              「日本では仕事は朝から始まり、中には忙しいため、昼食を抜いて仕事をする人も珍しくはないと思います。そして残業は日常生活の一部となっている労働者もかなり多いと思います。残業の理由も様々で、仕事が山積みだから、上司が残っているから先に帰りずらく、等。このような日本の仕事の習慣のおかげで、日本の社会は短期間で急成長を遂げました。そして現在では世界の経済界をリードする存在となり、世界各国から注目を受けています。しかし、その日本の労働者は、自分のためや家族のために費やせる時間をはたしてどれ程持っているのでしょうか。 僕は基本的に、人生楽しく笑って過ごそうと思っています。笑う時間が多い程、僕にとって人生楽しく過ごせるということを経験しているからです。なぜなら、メキシコでは日本での生活よりも笑う時間が多く、僕自身日本にいるよりメキシコにいる方が生き生きしていると感じるからです。そのため、メキシコでの学業の方が身になっていると思います。(それは結局自分が日本で自分を噴気できていないという事なのですが)なので僕は、日本で働くことになった時、意識して人生を精一杯楽しく、常に笑顔を忘れずに過ごしていきたいと思っています。そして自分が楽しく、周囲の人にも好影響を与えることができれば尚更良いと思います。」

              • 人と挨拶をするとき、男性は同性には握手かハグ、異性には頬を合わせてキス。女性は同性、異性両方にキスをします。

              「この習慣はメキシコだけではなく、中南米の多くの国、そしてヨーロッパにもあるようです。人と人との距離感は世界各国様々で、日本は世界の中でもかなり離れているように思います。それには相手を尊うという日本独特の文化があるからです。相手を敬う気持ちからお辞儀が生まれ、そこからある一定の距離間が生まれたのだと思います。これは日本にしかない素晴らしい文化であり、僕たちはこれを大切に後世に伝えていかなくてはならない日本の宝物の一つだと思います。 そしてメキシコでは、その人と人との距離がかなり近く、それによって日本よりも相手と打ち解けやすくなるように僕は感じます。そのため日本人より他人を敬う気持ちが欠けていると思いますが。しかしメキシコの挨拶の習慣から、初対面でも今までよりもう少しだけ積極的に話しかけ、相手を知ろうとする勇気と好奇心が必要だと思いました。そうすることによって、より多くの人を知ることができ、またより多くの知り合いと呼べる人、また友達と呼べる人を持つことができるようになると思います。」

              • スーパーマーケットには、多くの小学生が働いてる姿をよく目にします。

              「日本の労働基準法では、{児童の健康及び福祉に有害でなく、かつ、その労働が軽易なものについては、行政官庁の許可を受けて、満十三歳以上の児童をその者の修学時間外に使用することができる。映画の製作又は演劇の事業については、満十三歳に満たない児童についても、同様とする。}となっています。すなわち、13歳以上の児童は、学習を優先し、学業に影響が出る場合や自動の健康を害する場合は仕事をしてはならないというように規定されてあります。しかしメキシコでは、大手スーパーのSorianaは深夜10時になっても小さな小学生がカートをなおしたり、客の購入物をビニール袋に入れたりと働いています。彼らは何時に寝、何時に起きるのでしょう。また、学校の宿題をしたり、親とその日学校で友達と遊んだことや何を学んできたのかを話す時間はあるのでしょうか。そして彼らの親は、子供とコミュニケーションをとる時間がないため、 子供の事はおそらくほとんど知らないのでしょう。メキシコの国民全体の約70%は貧民であり、スーパーマーケットで働くことすらできない人も沢山います。その人達はどうするのでしょう。道で道行く人にお金をねだります。寒さで足が腐っている人もある教会の前で見かけました。これが現実です。  僕はこの人たちに同情はしたくはありません。この人達は一生懸命生きているのですから。しかし、全力を尽くして助けたいと思います。今の僕には助ける力など全くありません。だから今は自分の恵まれている人生の中で、自分が恵まれた環境で生きていることに感謝する気持ちを決して忘れず、そして少しでも人のために将来何ができるかという事を常に考え、その目標に繋がることを今実践しなければならないと思います。」

              • メキシコには多くの先住民が生活し、彼らの文化を守りながら生活しています。だから、メキシコのどの場所に行っても、必ず違う何かを見つけ、学ぶことができ、文化が国を非常に豊かにしています。

              「メキシコの友達に日本の事を教えてと尋ねられ、日本特有の文化を話す機会がよくあります。僕は必ず初めに、食事について話します。なぜなら日本の食事は他の国にはない、健康的で、しかも人間の特徴である味覚と視覚の両方で楽しむという、人間の機能を思う存分使って楽しむことができるものだからです。これは海外にはない、日本が自慢できる特有の文化です。しかし仕事の話になると、いつも寂しい気持ちになります。日本は以前は農業、林業が盛んで、企業でも年功序列制度が主流でした。しかし第二次世界大戦後、アメリカ志向が広がり、日本企業はアメリカの実力主義を取り入れるようになり、他人をけ散らしてでも上にのし上がるという社員が増え、企業はとにかく売上や成績だけを重視するようになり、人間味が職場から減り、結果貧困の差が大きくなってきているように思います。文化が守っていた日本の生活レベルの均等が、文化を失うことによって日本人の安定が崩れてきているのです。この話はメキシコ人の友達にはしたことがありません。好きな日本の悪い部分を知られたくないからです。しかし、日本の文化は着実に失われていることは事実です。服装を見ても、夏下駄を履く人を見ることは非常に少なくなりました。あの音は厚い日に、気持ちを涼しくしてくれるさせてくれるのですが。 僕は今日本にいないため、日本にいる時よりも日本独自の文化をよりはっきりと見ることができます。だから、自分が今感じる日本の文化をよく考え、今後少なくとも僕がその文化を実践していきたいと思います。」

              • 多くの大学生は金曜日と土曜日の夜は、友達とディスコに行き楽しみます。

              「多くの日本人大学生は、週末はアルバイトをしていて友達と一緒にいる時間がないというのが一般だと思います。メキシコと日本の大学生の大きな違いは、メキシコの学生でアルバイトをしている数が日本に比べて非常に少なく、日本人がアルバイトにかけている時間をメキシコでは学生同士遊んで楽しむということです。その結果、メキシコ人の方が人づきあいがうまいような気がします。少なくとも、平均的に見ると、メキシコの大学生の方が人との付き合いの経験を日本人の大学生よりも多く持っています。もちろんメキシコの夜のディスコには様々な危険が存在し、お酒も沢山飲むので健康的な場所ではありません。しかし、人と人との付き合いを知っている人が将来社会で活躍する、もしくは社会でうまくやっていくことが出来ると思います。日本で多くのいじめや社交性に欠けている人が増えてきている今日、大学生活で人との関わりの大切さをもっと重視するべきなのではと感じます。」

              • 友達に家に招かれたり、ホームステイ先に初めて訪れたとき、メキシコでは必ずEstas en tu casa.と言われます。また、そこを去るときも、Ya sabes que tienes tu casa.と言われます。

              「"Estás en tu casa." は英語で "You are at your home." という意味であり、"Ya sabes que tienes tu casa aquí." は英語で "You already know that your have your house here." という意味になります。とても温かい言葉だと思いませんか?もしこの言葉がただの習慣であり、それを言った人がそこまで深い意味を込めて言っていなかったとしても、その習慣自体から人の温もりを感じませんか?友達や知り合いがその人たちの重要な人生の一部を自分の家で過ごしてくれるのです。そう考えると、その人達のためにこの時間を最高のものにしたいと思うのは当然のことなのでしょう。」

              • チラシ配りの時、受け取る側はgraciasと言う人が多いように思います。

              「日本でもメキシコでもチラシ配りはよく目にします。日本ではチラシを受け取らない人がかなり見受けられます。その人の中には、ゴミになるから、どうせつまらない情報だからを考える人が大半だと思います。また、こんな楽な仕事をして金儲けをするなんてと腹をたてて、そのためチラシを受け取らないという人も中にはいるでしょう。しかし僕たちは決してそのチラシを配る人たちの本当の気持ちを知りません。もしかすると、その人たちは本当に良い情報を少しでも多くの人たちに提供したいと思いチラシを配っているかもしれません。もしくは、そのチラシ配りの人たちの中には、子供がいるが自分は職業に就くことができず、就職活動の合間をぬって少しでも自分の子供にミルクを飲ませるために一生懸命働いている人もいるかも知れません。そう考えると僕は、たとえそのチラシがキャバクラのものであったとしても、受け取らないわけにはいかないという気持ちになります。 またメキシコでは、チラシを受けとる時に、一言ありがとうという人が日本に比べて多く見られます。おそらく日本ではチラシ配りの人にありがとうと言う人はほとんどいないでしょう。少なくとも僕の今までの人生で、ティッシュをもらう人以外にありがとうと言う人は見たことがありません。しかし、その人がもし精一杯チラシ配りをしているのなら、ありがとうと言われるとどう感じるでしょう。 今日、日本だけでなく世界の多くの人が真剣に他人の気持ちになって考えるということを忘れているような気がします。自分の利益のためだけを考える結果、他人を助けることなどせず、少しでも自分が贅沢できる方法を考えるのです。その結果貧困の差が起きるのです。貧困の差が日本よりも激しいメキシコで1年半住み、人の心を大切にするということを学びました。」


              注)ここに僕が書いている外国から学べることは、僕の海外の経験から、自分、もしくは日本、世界全体が今後向上できると考える要素であり、僕自身、そして僕が大好きな日本や世界がより人々にとって居心地の良い場所になってほしいという願いを込めて挙げています。日本の悪口を言っていたり、日本を嫌っているということは決してありません。

              2008年1月7日月曜日

              日本と各国の違いから学べること (アメリカ合衆国)


               この冬休み(1か月間)に、南米の様々な国(アルゼンチン、チリ、ペルー、ウルグアイ)へ行ってきました。僕が留学や海外旅行が好きな理由が、日本とその訪れた国の違いをはっきりと見たり感じたりできることです。そして今回もはやり、多くの日本との違いを各国で見つけることができました。そしてその違いから、僕は日本人が忘れかけている大切な事を学ぶことができると思います。

               今までにおとずれた国(アメリカ、メキシコ、キューバ、エクアドル)を含め、日本との違いと、そこから何を学べるかを毎ブログ1カ国ずつ紹介していきたいと思います。(なお、これから僕が紹介する例は、僕が実際に体験したことに基づき、それがその国全体の文化や習慣ではない可能性があることをあらかじめ了承しておいてください。)

               初回は、僕が高校3年生の夏から約1年間留学していたアメリカ合衆国についてです。

              ・ 僕のホームステイ先は、ボランティアで学生を受け入れています。ですから、その家庭が僕を受け入れる事によって、お金はいっさい受け取りません。食事、水道、ガス代はすべてその家族持ちで、高校で食べる昼食代もその家庭の両親が僕に毎月決まったお金を与えてくれていました。

              ・ 高校ではKey Clubという、年間を通してボランティア活動を行うクラブがあります。そこでは生徒が集まって、いつどういった活動ができるかを考え、それを実行します。


              ・ 教会の活動でもボランティアが盛んに行われ、僕はテネシー州の貧しい地域に教会関係者と訪れ、そこの家などの修復作業を手伝ったり、クリスマスに、昔はその教会に通っていたが、健康上の都合により通えなくなった人の家や、病院、老人ホームへ訪れ、色々な会話をしたり、クリスマスソングを皆で一緒に歌ったりしました。

              「アメリカではボランティア活動が人々の生活の一部になっていると感じました。日本ではアメリカ程気軽にボランティア活動に参加できる機会が少ないように思います。もちろんボランティアが人生の全てではありませんし、ボランティア活動をする人だけが善のある人間たということも決してありません。しかし日本人の中には、ボランティア活動に関わりたいのに、出会う機会が少ないが故に、結局それを実際に行動に移せないという人が多くいると思います。(実際に僕の友達の中にもそういう人がいます)ボランティア活動をしたければなぜしない、と思う人もいるかも知れませんが、ボランティア活動を一から組織し始める事は本当に時間と労力を費やします。そして、学業や仕事で忙しいが、少しでもボランティア活動に関わり自分が出来る事を精一杯したいと思う人には、日本ではなかなか簡単にそれを行うことはできないのです。出来たとしても、その活動を見つける機会がアメリカに比べ、断然少ないのです。ボランティア活動の普及が、日本の社会全体が、より人々の希望に応える事ができる方法の一つではないのかなと思います。」

              「また、ボランティア活動を通して、非常に素晴らしい経験ができます。これは教会の行事で、クリスマスに病院に訪れた時の話です。僕たちはその日の最後に、一人の老人を訪ねました。その人はもう90歳近く、耳は少しは聞こえるがしゃべることができず、体も動かすことができない状態になっていました。僕はその時18歳で、そういう健康状態の人間と対面するのは初めての経験だったので、初めは少し戸惑っていたのをよく覚えています。そして僕たちがその老人の娘さんと会話をし、その後クリスマスソングを歌い出すと、3曲目位から左手を少しだけ動かして一緒にリズムを取り始めてくれたのです。耳は少ししか聞こえず、全く体を動かす事ができなかった人が、僕らの歌で元気を取り戻してくれたのです。その瞬間その老人の娘さんは泣き出し、僕らも皆感動し、泣きながら、でも楽しく歌を歌えたのを覚えています。これはボランティア活動を通してしか感じることのできない、人間対人間の素晴らしい経験だったと思います。もし僕が中学校の先生になったら、僕のボランティア活動の経験を少しでも自分の生徒に伝え、もし数人の生徒がそれに興味を持ったら、少しでも協力して、生徒がボランティア活動に参加できる環境を作ってやりたいと思います。」

              ・ アメリカの高校ではスポーツクラブが年間3つのシーズンに分かれており、僕は夏はサッカー、冬は水泳、春はテニス部に所属しました。そして文化部も併行して所属することが許されており、僕はKey ClubとModel UN-clubに所属していました。

              「僕は今まで文化部には一度も入部したことがありませんでした。そして水泳部もテニス部も経験がありませんでした。しかしアメリカの高校で、一気に4つの新しいものに挑戦することができました。日本の学生は、大抵は中学校や高校の3年間、1つの部活を全うすることに意義があると感じます。それは確かにそうです。一つの事を毎日、3年間やり遂げるということは決して簡単なことではなく、そこから我慢をする強さと達成する喜びを学びます。しかしそこから自分の他の、自分ではまだ知らない可能性を見つけ出すことはなかなか難しいと思います。その点アメリカの高校では、色々なスポーツや文化部を体験することができ、自分には何が一番合うのか、自分は何が得意で何が苦手か、また様々な世界を知ることができます。僕は高校は3年間サッカー部に所属していましたが、今メキシコでは、サッカー以外にテニスも大学でレッスンを受けています。アメリカで僕は、一度に様々な運動や活動をする楽しさを学ぶことができました。その結果、日本に帰ってからは、バドミントン、ゴルフやゲートボール等、今まで全く体験したことがなかったスポーツにも挑戦し、そこで様々な人や、様々な考えを知ることができました。」
              (ちなみに、上にある写真は僕がアメリカ留学時代に通っていた高校です。)

              2008年1月6日日曜日

              冬休み

               メキシコ2年目の前期が無事終わり、ついに念願のアルゼンチンに到着しました。まぁアルゼンチンに来たのは12月9日の事なのですが。アルゼンチンに来てからは、アルゼンチンの友達と遊びに行ったり、旅行に行ったり、とにかく1日1日を大切に、楽しめるだけ楽しんでいるので、全くブログを書く時間がありませんでした。アルゼンチンにいる間にも、来期の授業を選らび、登録しなければならなかったというのもあり、ブログは少しお休みしていました。しかし、違う国にいると、常に色々な事を経験し、学び、感じるものです。そして、今までアルゼンチン以外に、ウルグアイ、ペルーで感じた事をその都度メモに残していたので、それをこれから少しずつブログで紹介していこうと思います。

               そして、この冬休みに旅行した写真をもう一つのブログに載せているので、そちらもよければ覗いてみてください。その写真を見て、僕が行った場所に行ったことのない方が少しでもそこへ行ったような気持ちになって頂ければ、僕にとっては非常に嬉しいことです。

              http://hey-my-buddies.spaces.live.com/

               僕が訪れた場所:

                ブエノスアイレス(アルゼンチン)
                イグアスの滝(アルゼンチン、ブラジル)
                モンテビデオ、プンタ・デル・エステ(ウルグアイ)
                ラ・ドゥルセ(アルゼンチン)
                サンティアゴ(チリ)
                クスコ、マチュピチュ、リマ(ペルー)
                カラファテ(アルゼンチン)

              (ペルーの写真は、my spaceの1か月に投稿できる写真の枚数の限度を超えてしまったので、まだ全てを載せていません。もちろんカラファテの写真は、1枚も載せることができていません。2月に入れば、できるだけ早く載せようと思っています。しかし、1か月に722枚も写真を載せる人は中々いないでしょう。)