2007年11月26日月曜日

え・・・・・チ、チキン!?


 うそや~~~~~~ん!!どこのお土産??????

今はしんどい時期なので

 今メキシコの大学では、前期の終りに近づき、学生は最終課題に追われる日々を過ごしています。僕の家には今僕を除くと2人の大学生がいるのですが、二人とも今日(日曜日)は一日中部屋にこもっています。僕も彼らと同様、先週は課題をひたすら進める生活で、今週はその課題を終わらせ、発表しなければなりません。そして来週は学期末試験期間が始まります。

 メキシコの学校では、アメリカやヨーロッパの多くの大学とは違い、先生はたくさんの宿題を出します。その理由を先生に聞くと、「メキシコ人は自分で課題を見つけ、勉強しようとしないから。」だそうです。なので、メキシコの大学のいくつかが依然、教育改革として、教育システムが進んでると言われているスウェーデンのある大学の教育推進システムを導入しました。しかし、「自習」「家庭学習」を基本とするスウェーデンの教育論は、自ら学ぶという習慣がついていないメキシコ人には効果的に働くことはありませんでした。改革とは、上から下へ一方通行に進めるものではなく、上と下が横一線になり、お互いに意見を出し合いながら、そしてお互いの立場を理解しながら進めていくものだと思います。臨教審(臨時教育審議会)や文部科学省は今まで教育改革として、たくさんの改革を実行してきました。しかし、教育現場にいる多くの教師の意見を聞かずに進めた教育改革は、教育現場の混乱を生み、結果的には学力低下や、その他多くの問題を作ってしまいました。(例 ゆとり教育)

 これからの日本の教育改革では、まず上がしっかり現場の意見を聞き、現場の現状に基づき改革を推進する必要があります。学校レベルの改革も、教室レベルの改革も、先生たちの意見、子どもたちの意見を真剣に聞き、それに応える事ができるようなものになるべきです。

 少し話はそれましたが、僕は今学期4つの授業を履修していて、英語の授業では、最終レポート(外国びいきについて)と、日本とメキシコの大学生の生活の違いから学べる事について撮ったビデオのプレゼンテーション、もう一つの英語の授業では、日本の学校の先生に対する保護者や地域の住民の人たちからの「いちゃもん」の研修の最終レポート、教育改革の授業ではその「いちゃもん問題の理由、事例、解決」についてのプレゼンテーションとレポート(約15枚)と、実際に幼稚園へ行き、問題解決を研究する授業では、自分たちが見つけた問題とその解決方法を、教育心理学や様々な理論を踏まえ、レポート(約20枚)とプレゼンテーション。(プレゼンテーションが多い分、試験は英語の一つしかありません!!)



 日本でも、年末で会社や大学は忙しいシーズンです。なので皆さん、ここでこの曲を聴き、少しばかり心を休めてみてください。井上 陽水の「少年時代」です。


http://youtube.com/watch?v=ffTRxd23Nl0&feature=related

2007年11月22日木曜日

これ、一瞬で分かりますか?

 The cheese the rat the cat the dog the man beat saw chased ate was green.

 これを一目で分かった人は、かなり英語のセンスあると思います。少なくとも僕より。簡単に説明しますと、

The cheese was green.

The cheese the rat ate was green.

The cheese the rat the cat chased ate was green.

The cheese the rat the cat the dog saw chased ate was green.The cheese the rat the cat the dog the man beat saw chased ate was green.

となるわけです。ちなみに日本語での意味は、「人に叩かれていた犬が見た猫が追いかけていたネズミが食べたチーズは緑色だった。」です。

2007年11月16日金曜日

ダンゴ虫


 メキシコに来て約1年4か月が経ち、周りで起こる、日本ではなかなか見ることができないことに刺激を覚えない、いわゆる「普通」になってきている中、2年目の留学は、この地に慣れることに努力をするよりは、この地と日本との違いとこの地の特徴をよく考えようと意識しながら過ごしています。

 そして、今日も一つ、今まで普通と思っていた事を発見しました。それは、ダンゴ虫です。日本にも沢山ダンゴ虫はいます。僕も小さい頃はよくダンゴ虫を見つけては、庭に穴を掘り、そこにむやみに集めていました。そして上から土で埋めていたので、もちろんダンゴ虫は死んでしまいます。そして次の日、死んでいるダンゴ虫を見て、またダンゴ虫を集めに行き、同じ行為を繰り返します。しかし小さい頃の僕は、決して、どのようにすればダンゴ虫を殺すことなく集めることができるかということを学ぶことはありませんでした。なぜ僕はその遊び(?)を何度も繰り返していたのかが分かりません。その繰り返し行為を楽しいと思っていた僕は、ある意味天才でしょうか。

 このブログを初めてから、何かと疑問に思うことを見つけては、たとえ小さな事でも調べたくなってしまいます。だから、今回はダンゴ虫の生態について調べようと思い、googleで検索しました。

 いつもはすぐに調べたい事が出るgoogleですが、ダンゴ虫の場合は、「ダンゴ虫」と検索すると、1番目にダンゴ虫の上手な飼い方、そして2番目にダンゴ虫の退治の仕方が載っていました。飼い方の次に除去の仕方ですよ。こんな虫、聞いたことがありません。人々からすごく愛され、人々から毛嫌いされる虫、ダンゴ虫。

 飼い方のページでは、家の作り方、餌が載っています。家の作り方は、土をしき、少し湿らせ、その上に餌にもふとんにもなる落ち葉をしく。餌は落ち葉だけでなく、何でも食べるので、野菜や煮干しをあげてみるとのアドバイスがあります。チーズまで与えてみようとも書かれてあります。ダンゴ虫にチーズですよ。少し愛しすぎではないですか??

 そして次のページでは、駆除方法がたくさん書かれています。カボチャを置いておけばそこに巣を作るから、数日後にかぼちゃごと捨ててしまえば良いというのはまだゴキブリに対する親切心が伺えますが、他にはホームセンターでダンゴ虫専用の駆除剤を購入している人や、その駆除剤の名前を詳しく紹介している人、タバコの吸い殻を置き、ダンゴ虫を徐々にニコチン中毒にさせ、駆除するという方法を教えている人もいます。ダンゴ虫が触れない、でも殺すのは可哀そうと思う心優しき人は、ペットボトルのキャップをかぶせ、仕事帰りの旦那さんを待つという方法をとっているそうです。

 始めは、ダンゴ虫はなぜ丸くなるのか、どのように丸くなるのか、ダンゴ虫の平均寿命などを調べたかったのですが、これだけダンゴ虫に対して好き嫌いがあからさまに表わされているのを知ると、元々持っていた目標が消えてしまっていました。







 ちなみに、大好きなダンゴ虫を結果的に沢山殺していた僕は、一体何者なのでしょうか。

2007年11月15日木曜日

質問です。 I have a question for you guys. Tengo una preguntita.

Hi, guys. How are you doing? I have a really important question now. Usually I write this blog in Japanese and I still will do so for further ones, but for this time I'm going to write it in English, too, in order for you to understand what this content means and for me to receive your answer to this question, which I would like to utilize for my career in the future. So, I ask you guys to make some comments to my doubt. If you don´t feel good to leave your comment here on this blog, you can also send to my e-mail account. Thank you.



Hola, todos. ¿Qué tal? Se me ocurrió una pregunta cuando hablaba a cerca de la motivación para el aprendizaje de segundo idioma (puede ser tercer, cuarto o más). Normalmente escribo ese blog en japonés, pero para esta vez escribo en español también para que puedan entender lo que quiero decir y que yo pueda recibir sus comentarios, los cuales voy a aplicar (por lo menos considerarlos) a través del resto de mi carrera. Si no se siente seguro de dejar sus comentarios aquí en ese blog, también pueden mandármelos a mi correo electrónico. Gracias.



 先日授業で、第二言語学習の動機について話し合いました。そして、僕と10人のメキシコ人との間で、第二言語は、その習得自体が目標であってはならなく、それを将来の目標の道具として使うことを目標に学ぶべきであり、その姿勢で学べば効率が良くなるという意見で一致しました。日本の多くの英語、他の言語の教育者の中にもそのような考えを持ち、中にはそれを書籍としてその考えを普及させようと考えてる人もいます。



 しかし、実際に言語を、子供にどのように、目標ではなく道具として教育すれば良いのかと悩んでいます。僕の場合は、スペイン語を学ぶ始めの動機は、アメリカ留学の時までさかのぼります。僕がアメリカの高校へ留学生として行った時は、親友がメキシコ人でした。彼はもう数年アメリカに住んでいたので、英語を何の問題もなく話していたのですが、彼の両親はほとんど英語が話せませんでした。しかし彼らはよく僕を食事やパーティーに招待してくれ、本当に良くしてくれました。僕はいつも僕の友達を通し、彼の両親にお礼を言っていたのですが、本当に親切にしてくれていたので、いずれか彼らに彼らの母国語でお礼が言いたいと思い、大学ではスペイン語を勉強しようと決心しました。そして大学に入学後は、日本の教育に利用できることを、メキシコの教育の中から学び見つけるために、スペイン語学習に励みました。今はメキシコの教育法や教育の意図を学びながら、スペイン語も更に磨きをかけていっています。



 僕はこのような動機を持っていたので、スペイン語の学習はいつでも楽しく、もっと知りたいという欲望がありましたが、中学校に入学後、初めて必須強化の中に英語が入り、「学ばなければならないもの」として英語を受け止めている生徒に対して、どのように「英語は道具として」という考えを植え付けながら授業を展開していけば良いのでしょうか。



 その考えを植えつける事を重視しなくても学べることはあるのですが、今回のブログは、この質問の一つに限定させていただきます。





Now it's an English version. One day we discussed the motivation for second language aquisition (it can be third or more), and how a teacher should teach students a foreign language in order for students to learn and aquire it better. We have agreed that he/she should teach a language as a tool to achieve students' goals in the future, which we though would motivate them to learn more.

Actually, what motivated me to learn Spanish first can be found when I was in the United States. I went to Wisconsin for one year as a foreign exchange student when I was a high school student. At that time, my best friend was from Mexico, who already had lived there for more than five years, which means he spoke English very well. We always hang out and also he invited me to his house various times. As I've been to his house, I got to know his parents and they also invited me to dinner and party. So, I used to tell them how thankful I was through my friend, who obviously spoke English and Spanish, because his parents hardly spoke English. However, as they treated me as if I were their son, I started to feel like expressing my feeling to them directly in their mother toungue. That is why I decided to learn Spanish in the university.

After I entered the university, I found another motivation for learning Spanish: learn Mexican education and compare it with Japanese to find some benefits that there exist in Mexican but not in Japanese, with which I would be able to know what I should do to make my English class a better one.

As I had enough goals to motivate me in Spanish aquisition, I was always happy and eager to learn Spanish more as well as culrue and history of Spain and Latin America. But how should a teacher guide Japanese middle school students, who start to learn English, which is a obligatory subject, have a idea that "learn English as a tood for the future goal", which we think would motivate them to learn English better and more effectively? Some students like to study English because it's a brand new one that they almost had no idea before, however, there are other students who don't like to learn English because it's a obligation, which restrict their freedom, and because it's new one, which require them to memorize more than other subjects that they used to learn in primary school.


Finalmente escribo en español. A lo mejor ya saben más o menos lo que se trata ese tema si ha leído la versión en inglés, pero de todas formas voy a describirlo para que lo capturen mejor.

En una de mis clases hemos discutido la motivación del aprendizaje de segunda lengua. Pusimos de acuerdo que la mejor motivación que los alumos puden tener para poder aprenderlo con mayor efectividad sería considerar el idioma, que aprenden, como una herramienta para lograr el objetivo del futuro.

De hecho, la motivación que me permitió decidir aprender español en la universidad se remonta hasta cuando era estudiante de preparatoria y fui a Estados Unidos por un año aprovechando el intercambio. En ese tiempo, mi mejor amigo de allá era mexicana que ya había vivido ahí por más que cinco años, es decir, podía manejar inglés sin ningún problema ni error gramatical. Hemos pasado mucho tiempo juntos y, varias veces, me había invitado a su casa. Como he visitado a su casa tantas veces, llegué a conocer a sus padres muy bien y ellos también me han invitado a la cena y la fiesta a veces. Siempre decía "gracias" a ellos a través de la traducción de mi amigo porque casi no hablaban inglés. Por eso quería agradecerles directamente en su idioma materno cuán feliz me sentía convivir con ellos.

La otra motivación que tengo ahora es querer aprender el sistema educativo de México y comparar con el japonés para caputrar lo bueno de México que le falta en la educación en Japón, por lo cual podría mejorar mis clases de inglés en la escuela segundaria japonesa en el futuro.

Como tengo suficiente razones por los cuales aprendo español, siempre estoy feliz y siento querer aprender más. Pero ¿cómo debería un maestro enseñar inglés, que es la materia obligatoria que no era en la primaria, a los chicos de primer grado en la escuela segundaria en Japón? ¿Cómo un maestro puede educar a los alumnos para imponerles la idea de que "aprender inglés considerándolo como una herramienta para lograr su objetivo en el futuro"? A unos alumnos les gusta inglés porque es la materia nueva y sólo les interesa la novedad. Sin embargo, hay otros que odian inglés porque hay muchas cosas que aprender y memorizar más que otras materias que ya habían aprendido anteriormente en la primaria.

2007年11月10日土曜日

日本人大学生とメキシコ人大学生の生活の違い

 今僕はメキシコの大学で、現地の生徒と一緒に英語の授業を履修しています。そしてそのクラスの最終課題として、グループで調べたいテーマを決め、そのテーマに関する10分程のビデオと撮り、その結果自分たちが何を学んだかを発表するといものがあります。そしてそのテーマを僕のグループは、せっかく僕が日本人なのだから、日本とメキシコの違いについて何かを考えようということになりました。



 次に、何の違いについて調べるかということになり、自分たちが一番身近な大学生の生活についての違いついての研究に決定しました。そして僕たちは次の様に、日本とメキシコの大学生の生活をまとめました。(設定は木曜日です)



日本



     授業が終わる

        ↓

    図書館に行って勉強

        ↓

     アルバイトに行く

        ↓

    夜12時に家に帰宅

        ↓

   宿題を終わらせ、夜遅く就寝。





メキシコ



     授業が終わる

        ↓

    図書館に行って勉強

        ↓

 友達の誘いでコーヒーを飲みに行く

        ↓

 そこでその夜、ディスコへの誘いがある

        ↓

宿題があるにも関わらず、ディスコへ行く


 論理的に考えれば、日本人学生の行動が正しいと思われる方が多いかと思います。しかし僕たちは、どちらの行動からも学ぶことがあると考えます。

 メキシコ人には、勉強に対する意欲が足りません。学生は何を優先すべきかという事に気づく必要があります。しかし、友達の誘いは断ることが嫌いです。だから、多くの人と仲良くする術を知っている人が多いように思います。現実、メキシコ人は平均的に、日本人よりも友達や知り合いが多いと思います。そして社会では、勉強の知識よりも人間関係をうまく築く能力が大切かなとも思います。

 例えば、今朝郵便局へ行くためにタクシーに乗りました。そして運転手さん(おっちゃん)から「どこから来たん?」と話しかけられました。日本人なら、話したくないからその質問だけ答えて終わりという場合があると思います。しかしメキシコ人は、そこから長い会話が大抵始まります。僕も色々な人と話をするのが好きなので、話をし、そのタクシーを降りる時におじちゃんは「君と話せてほんまに楽しかったわぁ。また君が乗ってきてくれる日を楽しみにしてるわな。あ、そうそう。記念にこれ持って行って。」と言い、聖母マリアの小さいカードをくれました。宗教を大切に思う人が多いメキシコでは、多くの人が何かしら宗教に関する物を身につけたり、部屋に飾ったりしています。そして、その大切な聖母マリアの小さいカードを僕にくれました。初対面ですよ。しかも僕、カトリックじゃないんですよ。僕がカトリックを信仰しないことを知った上で、その人の大切な物をくれるんですよ。そのカードの価値は、論理的に考えれば、そのおっちゃんが持っていた方が確実に高いことは百も承知なのに。しかし、結果としてそのカードは僕にとってもすごく価値の高い物なのです。だって、そのおっちゃんの優しさをいつでも感じる事ができるからです。

 外国にいて日本を大切に考えていると、より外国の良い文化を学べるのだなと思いました。

ご報告。


 前回の更新(10月4日)から、全く更新できずにいました。別に病気になっていたのではありません。この写真を見てくれればよくお分かりになるでしょう。実は、パソコンが壊れました。そして、すぐに日本の両親に新しいパソコンを送ってもらうよう頼みました。すぐに送ってくれたのですが、さすがそこはメキシコ。きっちり、1週間で届くはずだったのが、結局3週間かかりました。パソコンを待つストレスとパソコン無しでの課題の作業にかなり疲労が溜まっていましたが、ようやく届きました!!!
 パソコンを待っていてしんどそうにしている僕にお母さん(メキシコ)は「大丈夫。絶対着くから。メキシコの公共の仕事は、休みの時間がたくさんあるから、そんなすぐには届かへんねんで。私の時やって、アメリカの家族が物送ってくれた時も、1週間以内のはずが1か月半かかったんやから。心配するだけ損やて。」と言ってくれました。まったくなぐさめになりませんでした。
 そしていざパソコンが届き、メキシコの郵便局の受取のハンコの日付を見てみると、そこには「10月31日」の印が・・・ パソコンはおとつい受け取りました。なんちゅー仕事や。しかし、それでも誰も必死になって怒る人がいないのが、メキシコを住み良い国にしている理由の一つなのでしょう。時間にルーズで、仕事も適当。だから心に余裕があり、様々な文化を持つ人々を心から受け入れ、少しメキシコのスペイン語を話すと「もうお前はメキシコ人やな!!」とすぐに言えるのでしょう。他人の多少のミスに諦めることができ、受け入れることもできるメキシコ人を、僕は少し羨ましく思います。
 しかし、いくらopenなメキシコ人であり、いくら陸上競技ではトランクスをはくとはいえ、日曜日の夕方に下着用のトランクスにダルダルのT-シャツでジョギングをするのはあまりにも衝撃的です。
p.s. 今は学期末で、課題が山積みなのですが、この1か月の間にブログに書きたくなったことがたくさん見つかったので、またちょくちょく更新していきます。あと、写真ばかりを載せているブログにもまた200枚程新しい写真を載せましたので、よければご覧ください。

2007年10月4日木曜日

具志堅 用高


 世界王座を13度防衛し、今もその回数は日本記録に残る、伝説のアフロヘアーと口ひげのライトフライ級ボクサー、具志堅 用高。そのアフロヘアーに蝿が止まり、その蝿がアフロから抜け出せなくなり死んでしまったという伝説も持つ具志堅 用高。

 彼は14度目の世界王座防衛戦で敗れた相手の母国メキシコに、女性服のチェーン店を出していたのか!?


 僕は犬が大好きです。昔僕の家族は1匹の犬を飼っていました。本当に可愛くて、いつも妹のようにかわいがり、一緒に遊んでいました。しかし僕がアメリカに留学中に天国に旅立ってしまいました。アメリカのお母さん、現地の数学の先生と一緒に泣いたのを今でもはっきりと覚えています。

 先日、メキシコ人の友達の家であった誕生日会に招待されました。その友達はベラクルス出身なのですが、ベラクルスという街はメキシコの南東に位置し、海沿いにのびる縦長い州です。そこでもチワワ(メキシコ原産)を2匹飼っており、朝起きては犬と戯れていました。大きい方が1歳4ヶ月、小さい方は6ヶ月で、やんちゃで活発でした。しかし、チワワはなぜここまで目と顔のバランスが悪いのでしょうか。そこが時には不細工に見え、でもかわいくもあるのです。不思議な犬です。

 それ程の犬大好き人間の僕でも、犬が少し嫌いになった時があります。1週間程前、その日は昼テニスの練習があり、夕方はフットサルの試合があり、夜は8時からサッカーの試合、その後友達とクラブにという、非常に多忙な日でした。そして22時過ぎ、僕がサッカーの試合から一旦家に帰っているとき、数匹の野良犬と遭遇しました。「あぁ~~~、犬かわいいなぁ~~~。また飼いたいなぁ~~~。この子らも家で飼われたら人にめっちゃなつくんやろなぁ~~~。」などと考え犬と目が合った瞬間







 追いかけてきました。全速力で、しかも尋常ではない吠え方で。何もしていない僕でも、あれだけ吠えられれば、何か彼らに対して悪いことをしたのかと真剣に考えてしまう程でした。僕はその日の疲労があったにもかかわらず、全速力で逃げました。走っている最中「これ噛まれたら狂犬病なるでなぁ~」「一瞬止まって、顔おもっきり蹴ろかなぁ」等、必死な中にも冷静間がありました。しかし犬は3匹で追いかけてきたので、たとえ1匹を倒せても、他の犬に噛まれれば「狂犬病」というのが頭にあり、とりあえず思いっきり走りました。そして、勝ちました。野良犬との追いかけっこに勝利しました。この時初めて、サッカーをしていて良かったと思いました。これでたとえ、狩猟用の犬に追いかけられても、僕は狩られることはないなと喜びました。

 しかしその疲労はすさまじいもので、その後のクラブでは、グラス2杯の酒で、ダウンでした。


 犬には勝てても、酒には惨敗でした。

2007年9月21日金曜日

川の中を走る車


 これはメキシコシティー(メキシコの首都)の写真です。メキシコシティーには、一部浅い川を渡らないといけない道路があります。日本ではありえないですよね。
 嘘です。これはただ雨が降っただけです。ただ雨が降っただけで、下水道がまだ発達していないメキシコシティーのある場所では、すぐに道路が水でいっぱいになってしまいます。ま、どっちゃにしても、日本ではありえないですよね。

おじいちゃんとぼく。


 なんかこの風景、すごく喜ばしくないですか?杖をついて歩くおじいちゃんの手を持って、一緒に歩いてあげる小学校低学年位の孫。おじいちゃんはさぞかし嬉しいんやろなぁ~と思って、一人でにやけて、その後ちょっと泣きそうになってしまいました。

メキシコのスーパー


 メキシコにはスーパーマーケットよりも小さい、ミニスーパーというものがあります。スーパーマーケットは遠いし、多きすぎて歩くのに疲れるし、という人が利用するお店です。でもそこで納得せずに、少し考えてください。(スペイン語を勉強してる人は特に。) superやのにminiです。大きいのに小さいお店です。なんかよう分からんようなってきました。

メキシコのレストラン


 スペイン語でレストランは、RESTAURANTE(レスタウランテ)です。でもメキシコのレストランは、RTAUANTと書くみたいですね。

メリーゴーランド


 これが本当のメリーゴーランドやねんなて思いました。

2007年9月20日木曜日

メキシコ赤ちゃんマネキン

 いくら活発な時期でも、赤ちゃんは決して相撲はとりません。しかも、外国の赤ちゃんです。日本の赤ちゃんですら、自国の国技を知ってる子はいません。また、この服・・・少し味方を変えれば、阪神タイガースです。阪神タイガースファンの外国の赤ちゃんが相撲。ちょっと無茶しすぎです。

メキシコエレベーター


 このエレベーターは、右斜め下に降りて行くそうです。やのに上がる時はまっすぐです。いずれは建物の外に出ていってまうでしょう。

え??


 う、牛??

メキシコマネキン


 マネキンでも女性なんです。ちゃんと服は上まで着させてあげてください。


 男性でもそれは同じです。

2007年8月27日月曜日

日光浴



 去年モンテレーでホームステイをしていた家庭には、他にもアルゼンチンとカナダからの留学生とも共に暮らしていました。そして日差しの強いモンテレーで彼らはよく家のベランダで日向ぼっこをしていました。彼らに誘われ僕も何度かモンテレーの体に突き刺さるような日差しを体全体に浴びた経験があります。あのベランダは僕ら専用のビーチでした。

 日光は1998年までは日本の母子手帳に、子供の日光浴の必要性が書かれていました。しかし最近、日光浴が原因で発症する皮膚癌が問題視され、外に出る時は必ず日焼け止めクリームを塗る人が増えてきているのを考えると、本当に日光を浴びるのは良いのか、日光をどの程度浴びればよいのかと考えてしまいます。今回はこの疑問を検証していきます。

 日光には、カルシウムの吸収を促すビタミンDを合成する働きがあるのは事実のようです。しかしその働きを得るためには、夏の正午の日光を手に2~3分浴びるだけで良いのです。また日光を無理に浴びなくとも、かつおやいわし等の青背の魚、干ししいたけ、卵黄などの栄養分を積極的に摂取していれば、ビタミンに関しては日光を浴びる必要性は無くなります。骨の老化を防ぐためにも日光浴は必要だといわれてきましたが、必要な栄養分を積極的に取り、適度な運動をする方がよっぽど大事だということです。

 また、紫外線による影響は歳をとってから現れるものです。したがって、紫外線対策は幼い頃から始めておいた方が効果的です。赤ちゃんの頃は紫外線の影響を受けていないため、メラニン色素が薄く、強い日光を浴びればすぐ火ぶくれや熱を引き起こしてしまいます。また新陳代謝が活発なため、傷つけられたDNAを含む細胞分裂も盛んに行われ、中高年になってから皮膚がんを発症する確立も高くなるといわれています。

 紫外線というものは命に関わる、非常に怖いものだったのですね。メキシコにいる僕は日本にいる時以上に紫外線に気を配らなければならないとつくづく思いました。そしてあと1つ、非常に興味深い情報を見つけましたので、紹介しておきます。それは日光と脱毛に関するものです。(よっしー、ちゃんと読んどけよ)

 薄毛は遺伝的要因が強いのは事実です。しかし日光により薄毛が促進されます。薄毛の人には元々毛根に含まれる抗酸化物質が不足しがちであり、紫外線の影響で活性酸素が発生すると紫外線防御機能が働かなくなり、薄毛を促進してしまうのだそうです。

 血統的には一流サラブレッドの僕、更にメキシコという日差しの非常に強い場所にいる僕・・・





 どないしたらええんやぁ~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!
 そして今もう一度上の写真を見ると、こいつらがアホに見えてなりません。

メキシコに帰ってきて



 18日が経ちました。僕が今住んでいるプエブラという町は、教会がたくさん存在することで有名です。メキシコ国内で最大級の教会もあります。特にプエブラ州のチョルーラという町には、365もの教会があり、1年中別の教会に行くことができるという話まで作られるほど、たくさんの教会があります。(この教会の数字は正しくありません)そして、そうした宗教の強い街に住む人も非常に強くカトリックを信仰している人が多く、教会の中にはカトリック教徒以外は入れないものまであります。

 プエブラに来る前に僕は、もちろん次のホームステイ先はプエブラの家庭だけあって、毎週日曜日にはミサに行ったり、信仰の強いカトリック教徒なのだろうと想像していました。しかし宗教に全く興味の無い僕は、プエブラに着いてからも全くその分野に関する会話はしていませんでした。しかし到着4日後、僕がお母さんとメキシコ中を旅行したいという話をしていると、プエブラの話題になり、遂には教会の話へと続いていきました。実はお母さんは、特にカトリック教を信仰しているのではなかったのです。国民全体の約90%がカトリック教徒というメキシコでは、宗教を持たないのは稀なことで、実際宗教を持たないメキシコ人の友達はお母さんを含めて4人だけです。

 お母さんはプエブラやチョルーラにある様々な教会について教えてくれました。しかしその話をしている時のお母さんには、いつものようなのり気な表情がありませんでした。お母さんの表情を見極めた僕は、教会をどう思っているのかという質問を投げかけてみました。そしたらお母さんは「教会は綺麗で静かですごく素敵な場所。内装も素晴らしい彫刻に金、銀がふんだんに使われ、中には唖然としてしまう位見事な教会もある。でも、教会の周りや道端では、貧困によって食べ物がなく、お金を恵んでもらおうと座っている人が山のようにいる。メキシコは現在も非常に貧民が多く、その人達の事を考えると、教会に行くことを拒んでしまう。だって教会の中にある金や銀を少しでもその人達が手にすることができれば、それで生き延びることができるのだから。だから私は教会に行くと悲しくなってしまうの。神は私達の心の中にいるのだから、家の中でも道端でも、どこでも神を信じ、祈ることができる。私がもし大統領になれたとしたら、メキシコ国内にある教会のほとんどを売りさばきたい位。そうすれば貧困問題も少しは解消されるのだから。メキシコの政治は混乱状態。賄賂はいくらでも行われているし、政治家は金ばかり目当てで、国民の事などなんとも思っていない。」

 その話を聞いた翌日に大学主催の留学生対象プエブラ観光ツアーに参加した僕は、プエブラにあるメキシコで一番大きな教会に入ったとたん、ものすごく悲しい気持ちになり、ほとんど誰とも話をすることができませんでした。本当に、半端な金の量ではないのです。とても綺麗です。がしかし、綺麗がゆえに悲しくなることもあるのだなと、生まれて初めてそう感じました。

 その話の後お母さんは、こんな話もしてくれました。
「今世界で一番の富豪は誰か知ってる?アメリカ人のビル・ゲイツを抜いて、今一番お金持ちなのはメキシコの電話会社”Telmex”の社長なのよ。メキシコの家から家の電話料金は知ってる?1分間10ペソ(約110円)よ。メキシコの政治家や富豪達は、平民は貧民からお金を巻き上げて、人生を楽しんでるの。」

 日本では、家から家の電話は1分間10円もしません。これらの問題の他にも環境問題、麻薬問題、教育問題等多くの大きな問題をかかえるメキシコ。しかし、だからこそこの国に住んでいて常に興味深く物事を見れるのも事実です。これからも小さなことにも目を光らせ、少しでも自分の将来のため、そして大好きなメキシコのためになる何かを見つけ、学び、実践していきたいと思います。

2007年8月22日水曜日

ザーサイきゅうり

1.きゅうり(2本)を切り、大葉(3枚)を切り、そこに塩(小さじ2分の1)を入れなじませます。

2.ザーサイ(3分の1パック、好みの量)を入れて混ぜ、できあがり。



 これも写真はありません。すみません。きゅうりとザーサイというレシピを偶然見つけ、これは!!!と思いすぐに実践してみました。ザーサイは多めの方がおいしいです。

照り照りチキン



1.醤油、酢(共に50cc)に砂糖(40g)を入れます。

2.鶏もも肉を広げて丁度収まる鍋に(1)を入れ、鶏肉の皮を下にして入れ、強火で煮ます。沸騰したらすぐに弱火にし、そのまま10分間煮ます。(蓋はしない)

3.かなり泡がたってきたら、鶏肉をひっくり返し、10分間煮ます。

4.最後にもう1度皮を下にし、2~3分焦げないように煮て、できあがり。

 照り焼きチキンがこんなにも簡単にできるとは!!!と驚かされたレシピです。しかし少し目を離すとすぐに焦げてしまうので、この料理をする時は出来るだけキッチンから離れないようにするのがコツです。そして僕はこのタレでなすも煮てみました。これもまたおいしかったです。

豚巻きオクラ

1.醤油、酒、みりん(共に大さじ1)を混ぜ合わせ、豚バラ薄切り肉(200g)に下味をつけておきます。

2.3分程湯がいたオクラ(12本)のヘタを切り落とし、(1)の豚肉を巻き付けます。

3.フライパンに薄く油をひき、(2)を焼けばできあがり。


 写真はないのですが、これはおくらの新しい食べ方だなと思いました。今までずっと家で、湯がいたオクラを醤油でしか食べたことのなかった僕にとっては、これは画期的な料理です。これからもオクラの様々な料理を見つけていきたいと思います。オクラの粘り家が色んな料理に使えることが分かりました。

ピーマンの肉詰め ・ 中華風スティックきゅうり



ピーマンの肉詰め

1.ピーマン(9個)を縦半分に割り、種を除いておきます。長ネギ(3分の1本)は細かくきざみます。

2.ボウルに合い挽き肉(300g)、長ネギ、卵(1個)、パン粉(大さじ3)を入れてよく混ぜ合わせます。

3.(2)の肉を半分に切ったピーマンに、隙間の無いようにギュッと詰めていきます。
4.フライパンにサラダ油を適量ひき、(3)のピーマンを、肉のほうを下側にして並べ、中火でこんがりと焦げ目がつくまで焼きます。

5.別のフライパンにお湯(250cc)を沸かし、煮立ったら、たしの素(大さじ1)、醤油(大さじ2)、みりん(大さじ2)、砂糖(大さじ1)を入れて混ぜ、(4)の肉詰めをピーマンを下にして並べます。蓋をして5~6分弱めの中火で煮込みます。

6.肉に完全に火が通れば器に並べ、残った煮汁に水溶き片栗粉を入れ、好みのとろみをつけます。器に並べた肉詰めにこのタレをかければできあがり。


 これは色々な人に食べていただきましたが、かなり好評でした☆玉ねぎではなく長ネギを使うのがいつもとは違い、このような使い方もできるのかと参考になったレシピです。






中華風スティックきゅうり

1. きゅうり(1kg)をスティックの形に切り、大きめのボールの中で塩もみをします。出てきた水分は捨てます。

2. しょうゆ(100cc)、酢(150cc)、砂糖(大さじ2)で味付けをし、重石をのせてきゅうりがかぶるくらいに水を足し、冷蔵庫に半日~1日置きます。

3. お好みでごま油の量を調節してできあがり。


 このレシピも鶏肉ときゅうりの料理同様、家にきゅうりがた~~くさんあった時に出会ったレシピです。おやつ感覚でも食べれるので、沢山作っておいてもすぐに無くなってしまいます。

鶏肉ときゅうりの塩炒め



1. きゅうり(2本)は塩で板ずりした後、縦半分に切ってスプーンで種をくりぬき、1.5cm幅の斜め切りにします。

2. 鶏肉(150g)は一口大に切り、片栗粉をまぶしておきます。中華スープ(30ml)の素はお湯で溶いておきます。

3. にんにく(1片)はみじん切り、鷹の爪(1本)は半分に折って種を抜いておきます。長ネギ(2分の1本)は1cm幅の斜め切りにします。

4. フライパンに油と(3)を入れて弱火で炒め、香りがたってきたら鶏肉を加え、火を強めます。鶏肉にだいたい火が通ったらきゅうりと長ネギを加え、全体を炒め合わせます。

5. スープを加え、水分が少なくなるまで1,2分火を通します。鶏肉にまぶした片栗粉でとろみがついてくるので、焦がさないように時々混ぜます。

6. 塩で味を調えればできあがり。


 これはきゅうりが家にたくさんあった時に見つけたレシピです。鶏肉ときゅうりの一見ミスマッチな料理ですが、ぜひぜひお試しください。

ちんげん菜のかに玉あんかけ



1.ちんげん菜(小3株)は葉と茎に切り分けておきます。(ちんげん菜が小さい場合はそのままでもよい)

2.ボウルに鶏がらスープ(小さじ1)、薄口醤油(少々)、片栗粉(大さじ2分の1)、水(1カップ)を合わせておきます。

3.フライパンにサラダ油を熱し、(1)を炒めて皿に取り出します。

4.(3)のフライパンにサラダ油を熱し、しょうが(10g)を炒め、溶いた卵(2個)を流し入れて炒め、半熟の炒り卵になれば、ほぐしたカニかま(100g)と(2)を加え、塩と胡椒で味を調えます。煮立ってとろみがついたら、(3)のちんげん菜の上にかけ、できあがり。

 肉料理の横にそえてみました。しかしこれがおいしすぎて、肉よりもちんげん菜を先に食べてしまいました。カニかまの変わりにカニのむき身を使えば、更においしいと思います。


 ちなみに左にあるのは豚の生姜焼きです。このレシピは以前に投稿してありますので、良ければ参考にしてみてください。この豚の生姜焼きもおいしいですよ。

冬瓜のえびあんかけ ・ とろり衣の鶏肉とちんげん菜のマヨ炒め


冬瓜のえびあんかけ

1.冬瓜(8分の1個)を厚めに皮を剥き、3~4cmに切り、皮側に格子状に切り込みをいれます。鍋にたっぷりの水、塩、酒とともに冬瓜の下茹でをします。

2.だし汁(2カップ)、酒(大さじ2)、みりん(大さじ1)、薄口醤油(小さじ2)に下茹でした冬瓜を入れ、沸騰後は弱火で煮ます。

3.えびは殻を剥き、下茹でしておきます。枝豆は茹でたものを鞘から出し、薄皮も剥いておきます。

4.仕上げに生姜汁、水溶き片栗粉(共に適量)を加えてとろみをつけ、えび、枝豆とともに盛り付けできあがり。


 僕がこれを作ったのは7月の終わりで暑かったので、冷蔵庫でキンキンに冷やしていただきました。冬瓜といえば面倒といった固定観念がありましたが、それ程手間もかから、冬瓜好きの僕にとってはありがたい経験でした。
とろーり衣の鶏肉とちんげん菜のマヨ炒め

1.鶏肉(適量)は食べやすい大きさに切り、塩、酒少々で下味をつけます。

2.ちんげん菜(適量)も食べやすい大きさに切ります。

3.下味をつけた鶏肉に小麦粉をたっぷりめにまぶします。

4.フライパンにマヨネーズを入れ、鶏肉に焼き色をつけながら炒めます。

5.半分位火が通ったら、ちんげん菜の芯の部分を入れ炒めます。

6.最後に葉の部分を入れ、中華スープの素(適量)、塩少々で味をつけて出来上がり。器に盛り、粗挽き胡椒をふります。
 下味の塩、中華スープの素は少なめが丁度よい味付けになります。マヨネーズで炒め物というのはすごく便利ですね。

牛肉のオイスターソース炒め



1.牛肉(200g)は薄切りにして、オイスターソース(小さじ1)、醤油、砂糖、うまみ調味料、胡椒、片栗粉(共に少々)、酒(小さじ1)、全卵(大さじ2)、油(大さじ2)で下味をつけます。その際、全卵、片栗粉、油の順にまぶして衣付けします。

2.ブロッコリー(8本)の軸は両方から十字に切り込みを入れ、にんじんは飾り切り(8枚)にし、赤ピーマン(2分の1個)、白ネギ(10cm)、アスパラ(2本)は一口大に切ります。ブロッコリーの軸、人参、アスパラはサッと湯通しをしておきます。

3.鍋に油を入れ、(2)の材料を160℃位でサッと揚げ、次に肉を180℃位でほぐしながらサッと揚げておきます。

4.熱した鍋に(3)を入れ、オイスターソース(大さじ1)、酒(小さじ2)、塩(小さじ2分の1)、砂糖(小さじ3分の2)、うまみ調味料(少々)、スープ(大さじ2)、片栗粉(適量)を加えてできあがり。

 肉に下味をつける際に、味があまり濃くなりすぎないように気をつけてください。僕はそこで少し味が強くなりすぎてしまったので、ご飯の上にのせて食べました。

ゴーヤーチャンプルー



1.もやし(1袋)、人参(2分の1本)をごま油とツナ缶の油で炒めます。

2.もやし、人参がしんなりしてきたら、一口大に切ったキャベツ(5枚)を入れ、更に炒めます。

3.全ての食材がしんなりすれば、ツナ缶(1缶)を入れ、溶き卵(3つ)を流し込みます。

4.最後に、好みの太さに切ったゴーヤー(大1本)を入れ、ごま油を少し加え、さっと炒めればできあがり。



 これは姉の友達(沖縄出身)から教わったレシピです。一人であまり料理はしたくない、でもがっつり食べたいと思った時によく作る料理です。野菜が沢山食べれるといった点でも、非常に便利な料理です。

鶏肉とカシューナッツ炒め




1. 鶏もも肉(150g)を塩、胡椒、ごま油(共に少々)、片栗粉(小さじ1)、卵白(1個)で下味をつけ、ピーマン(2個)、パプリカ(赤)(1個)、ゆでたけのこ(80g)は2cm角に、ねぎ(3分の1本)は1cmの長さに切ります。

2. 中華鍋に油(大さじ1)を熱し、ピーマン、パプリカを炒め、湯と塩(少々)を加えて炒め、さっとゆでて水気をきります。

3. 中華鍋に油を多めに熱し、(1)の鶏肉を入れて炒め、油をきります。

4. 中華鍋に油(大さじ2)を熱し、(1)のねぎ、にんにく、しょうがのみじん切り(共に2分の1片)を炒めて香りをだし、(2)のピーマンとパプリカ、(3)の鶏肉、(1)のゆでたけのこを加えて炒め合わせます。

5. (4)に塩、胡椒、味の素(共に少々)、オイスターソース(大さじ2)、醤油(大さじ1)、砂糖(大さじ1)を加え、水溶き片栗粉でとろみをつけ、カシューナッツ(1カップ)を加えて炒め合わせば、できあがり。


 自分で作ったもので久しぶりに「あ、これうまいわ」と心底思えた料理です。これを一口食べた母は感動の余り、徒歩約10分の距離に住む祖母を電話で呼び出し、これを食べさせていました。それで来る祖母も祖母です。僕はこのような温かい家庭で育ちました。

甘辛なす煮



1. なす(3本)を縦半分、横半分の4つに切り、皮に切れ目を入れ、水に浸してあくを取ります。醤油(大さじ2)、砂糖(大さじ3)、酒(大さじ1)、だしの素(小さじ山盛り1)を合わせておきます。


2. 油を熱したフライパンに、皮を上にしてなすを並べて焼きます。身がきつね色になったら何回もひっくり返し、ころころ炒めます。


3. (1)の調味料を入れ、中火にしてさらに炒めます。調味料がなすになじんだら水(100cc)を入れ、クッキングペーパーで落し蓋をし、弱~中火で煮ます。水気がなくなれば更に100ccと、4等分した大葉(5枚)を入れ、やわらかくなるまで煮ればできあがり。




 本当においしいです。大葉のかおりがなすにしみこみ、甘みと絶妙にマッチしています。作り方のこつとしては、調味料でなすを炒めてから水を加えることで、味がしっかりとなすにしみこみます。本当におすすめの一品です。

いんげんと豚バラの中華風炒め ・ 水菜と長ネギのかき玉



いんげんと豚バラの中華風炒め

1. フライパンにサラダ油を熱し、長ネギみじん切り(大さじ2)、生姜みじんぎり(1片)、にんにくみじんぎり(1片)、鷹の爪(2分の1本)を入れ、香りがたってきたら豚バラ薄切り肉(250g)をほぐすように入れて炒めます。肉の色が変わったら、醤油(大さじ2)と砂糖(小さじ1)で味をつけます。


2. あらかじめ固めに茹でて冷水にとり、半分に切って水気をよくとっておいたインゲン(300g)を(1)に入れ炒め合わせます。油が回ったら醤油(大さじ1)と最後にごま油(大さじ1)で香りをつけてできあがり。  




 このレシピは基本的に醤油と砂糖しか使わないので、メキシコへ帰ってもできる!!と思い、作ってみた料理です。外国でも味わえる日本の味、貴重です。




水菜と長ネギのかき玉


1. 長ネギ(2分の1本)は、斜めの薄切りにして、水菜(1把)は食べやすい大きさに切ります。


2. 鍋に水(600g)を入れて長ネギを入れて煮立たせ、中華スープの素(小さじ1.5)、塩、胡椒、醤油(共に少々)を入れ、水菜を茎のほうから先に入れ、サッと火を通します。


3. 割りほぐしておいた卵を、鍋の中に溶いていき、できあがり。




 もう1品作りたいけど、そこまで作る元気がないというときは、この簡単スープを試してみてください。

2007年8月16日木曜日

多忙な日と履修完了



 かなり多忙だった今日は、授業の最終登録の日でありました。朝8時半に起床し、朝ごはんはお母さんと二人。硬めの目玉焼きを2枚のとうもろこしの生地のトルティーヤで包み、その上にフリホーレス(黒豆)の潰したものをのせた朝食を二人でしゃべりながら食べました。本当においしかったです。今週末はお母さんのメキシコ料理と僕のビーフシチュー、クリームシチューで日本人の友達6人、外国人の友達9人、お母さんの友達数人をもてなすパーティーを家でするので、今朝はその事について話していました。そして突然お母さんの友達からお母さんに電話があり、今日4時半からプエブラ州の政府主催の女性のフォーラムがあるとの誘いがありました。そのフォーラムでは有名なスペイン人の小説家の他、多くの著名人が女性に関して話をし、その後は夕食会があるとこのことで、一気にお母さんのテンションが上がりました。それを聞いた僕もそのフォーラムに行けば、女性に関する事を多く学べると思い、一緒に行けないものかと尋ねていました。基本的にそのフォーラムは女性しか行くことができないのですが、ダメもとで一度お母さんの知り合い(フォーラムの責任者の一人)に頼んでみると言ってくれました。今日の授業は3時45分に終わるので、それでは必ず4時には家に帰ってくると約束をして家を出ました。

 僕は先週末、次の授業を仮履修しました。

     言語学習
     言語の取得
     第二言語での論文の書き方
     教育の発展
     英語での様々な論文の書き方

 去年1年間メキシコでの留学経験がある僕は、少しでも格好がつくように、全てメキシコ人対象の授業、しかも留学生が取れる最も多い授業数、5教科を履修しようと思いました。しかし1つの授業は英語なので、まぁ大丈夫だろうと思い、それ以上にやっと僕の学びたい事が学べると、授業の心配よりはワクワク感の方が勝っていました。

 そしていざ授業へ出席してみると、「教育の発展」以外は全て英語での授業だったのです。初めの3つの授業は言語学の授業であり、将来英語の先生を目指す生徒ばかりが受ける授業なので、英語で授業を行うと後で説明を受けました。僕も中学校の英語の先生になりたいので客観的に見れば最高の環境にいることになるのですが、メキシコの大学に来て全て英語となると話は別です。今日の5時までに履修を完了しておかないといけない僕は、今日最後の授業中ず~っと焦っていました。どの授業をどの授業と変更すれば良いのか、スペイン語で行われている授業の中で自分の専門教科はあるのか、時間帯は全て調整がつくのか・・・最後に行われた授業が3時45分に終わり、それから急いで家に電話をし、お母さんに今日楽しみにしていたフォーラムはこういう理由で行けなくなったと告げ、そこから教育学部のオフィスへ行き、教育学部の授業でスペイン語で行われているものを調べ、それらの授業の内容を各先生から聞き、次に残しておきたい授業と教育学部から取りたい授業の時間を見比べ調節し、4時45分に履修を完了することができました。

 安心した僕は急にお腹が空いてきました。今日は昼も授業を色々調べに行っていたので、昼ごはんを抜いていたのです。家にインターネットがないため、とりあえず大学で今週金曜日の夕食会に招待する友達全員に、何時に大学のどこで待ち合わせをするというメールを打ち、自分のメールを確認し、家に着いたのは7時頃でした。空腹で目が半開きになっていた僕はとりあえず豆を食べ、トマトを頬張り、それからお母さんが作ってくれていた夕食を食べ、それでも食べ足りなかった僕は、マヨネーズ、ハム、トマト、玉ねぎ、アボガド、レタスでサンドイッチを1つ作って食べました。今日は本当に疲れました。

 すこししたら妹(18歳)が男の子と2人で家に帰ってきました。その男の子が帰り妹に「今のん彼氏か?」と聞くと、「違うに決まってるやん!ただの友達。」と言いはるのです。あれは絶対に彼氏だと思います。ま、そんなことはどうでもいいのですが、妹とその後しょうもない話で盛り上がっていると、お母さん、お父さん、兄ちゃんが帰ってきました。そしてブワ~~~~~~ッと話し出したかと思うと「なお、ほなまた明日~~~」と寝に行きました。僕がこんな家族がだ~~~~~~~~い好きです。本当に良くしてくれ、両親は我が子、妹は実の兄ちゃん、兄ちゃんは実の弟のようにかわいがってくれています。明日はテニスの授業を取るため履修登録をしに行き、授業のあとは今週の金曜日のための買出しに行ってきます。

 最後に、最終的に履修した科目を紹介しておきます。授業数は4つにしました。

     教室内のプロジェクト(実際に小学校、中学校へ行き、各教室内の問題などを調べ、その原因と解決策を調べる授業)
     第二言語での論文の書き方
     教育の発展
     英語での様々な論文の書き方
     テニス

 前期はとにかくしっかり勉強し、来期は実際に地元の小学校へ行き、英語を教えたいと思います。また、来期は今よりも難しい授業も出来れば取ろうと思っています。だんじりを曳いてる気分(死ぬ気)で頑張ります


 ちなみに、その女性のフォーラムは20日以内にまたあるらしく、次は参加させていただけることになりました!!


 p.s. 写真は先週末に友達とプエブラ州のチョルーラという街に行ってきたときのものです。

なすときのこのサラダ



1. なす(1本)は5ミリ位の斜め切り、しめじ(2分の1パック)は子房に分ける。エリンギ(2本)も斜め切り、レタス(4分の1玉)はちぎって冷水につけてから十分に水気をきっておく。


2. 醤油、酢、砂糖(共に大さじ2)、ごま油(大さじ1)をよく混ぜておく。


3. フライパンにサラダ油をひき、なすとしめじを焼き色がつくまで焼く。


4. レタスと(3)を皿に盛り、(2)をかけてできあがり。

 きのこが大好きな人、自分が好きなきのこを沢山入れ、自分だけのきのこサラダを作ってみてください!

焼きなすとそぼろのあんかけ蕎麦



1. サラダ油で鶏挽肉(100g)を炒め、酒(大さじ1)と塩(少々)をふり、調味して取り出しておきます。


2. なす(2本)は半分に切り、格子に包丁を入れ、(1)のフライパンに少し多めの油を熱し、なすの切り口を下にして焼き、裏返して皮も焼きます。


3. (2)にかつおだし、又はそばだしを適量加え煮込み、なすがしんなりしてきたら(1)の鶏そぼろと醤油を加えて味がしみこむまで煮込み、水溶き片栗粉でとろみをつけます。


4. 蕎麦(2本)を規定の時間茹でて湯をきり、皿に盛り付けて(3)をかけ、かつおぶしをふりかけてできあがり。

 なすとそばがどうしても食べたくなり調べたところ、なんとこのようなすばらしい料理が見つかりました。なす、そば、どちらもヘルシーでおいしく食べれます。

ロールキャベツ



1. キャベツ(8枚)を熱湯でしんなりするまで茹でます。


2. 茹で上がったら芯の厚みをそぎ切ります。


3. 玉ねぎ(半分)をみじん切りにします。


4. パン粉(2分の1カップ)に牛乳(大さじ2)を加えておきます。


5. ボウルに合挽き肉(200g)、卵(1個)、パン粉、塩コショウ少々、ナツメグ(あれば)を入れて、粘りが出るまでよく混ぜ合わせます。


6. キャベツを広げてボウルの肉を軽くまとめてのせて包み、その周りをベーコンで包み爪楊枝を刺し、キャベツが剥がれないようにします。


7. 鍋に水(2カップ)、コンソメスープの素(1個)、ローリエ(1枚)を入れます。


8. 鍋に出来上がったロールキャベツの巻き終わりを下にして並べます。


9. 強火で煮込みます。


10. 煮立ったら中火にしてアクを取ります。


11. 落し蓋をして30分位煮込んだら出来上がりです。

 これは父の大好物でもあります。少し面倒ですが、手が込んでいるだけのことはあると思います。

レタスのソース煮



1. レタス(2分の1玉)を大きめに手でちぎります。


2. 豚ばら肉(100g)は5~6cmの長さに切り、酒(大さじ2分の1)と醤油(小さじ1)をふって下味をつけます。


3. フライパンを熱してサラダ油をなじませ、(2)の豚肉を入れてほぐし炒め、火が通ったら(1)のレタスと水(1カップ)、かつおだし(小さじ2分の1)、ウスターソース(4分の1カップ)を加え10分程度煮ます。片栗粉を同量の水で溶いて加え混ぜ、薄いとろみをつけて火を止めます。


4. (3)を器に盛り、かつお節を盛ればできあがり。


 レタスがたくさんあり、でもレタスだけでは食べにくい時に最適の料理です。沢山レタスも食べれ一石二鳥です。

新じゃがのそぼろあんかけ



1. 新じゃがは皮付きのままよく洗い、半分に切って茹で、さやえんどうも下茹でして細切りにします。


2. 鍋にサラダ油を熱し、鶏挽肉(100g)をパラパラになるまで炒め、水1カップ、コンソメ1個(1本)、醤油大さじ2分の1、砂糖小さじ1、酒大さじ1、おろし生姜小さじ2分の1を加えて煮立て、水溶き片栗粉でとろみをつけます。


3. フライパンにサラダ油を熱し、(1)のじゃがいもをころがしながら炒めます。


4. (3)のじゃがいもの油をきってご飯の上に盛り、(2)のあんをかけ、(1)のさやえんどうを飾ります。

 普通のじゃがいもでも応用がききます。簡単に、でもがっつりと食べたい時におすすめです!!

2007年8月15日水曜日

豚の生姜焼きと鶏砂肝のバター焼き



1. 豚(生姜焼き用よりも分厚目で大き目のもの)の筋(脂分)に切り目を入れ、ビンの底で肉全体をたたく。
2. だし汁(生姜大さじ2~3、酒、醤油、みりん、砂糖それぞれ大さじ3)に肉を5分間漬ける。
3. 5分経てば水気をとり、玉ねぎ、ピーマンを塩少々で味付けし炒め、取り出す。
4. 肉を強火で素早く痛め、取り出す。
5. 出汁を煮詰め、全部戻す。
6. 最後にゴマをふり、出来上がり。

少し硬い肉でも、ビンでたたいて筋を潰すことによって、かなり柔らかくなります。これは豚の生姜焼き以外にも活用できます。
 鶏すなぎものバター焼き
1. 砂肝(12個)の白い筋を指で剥ぎ取ります。
2. 水で洗って水気をふきとり、3~5ミリの厚さに切ります。
3. にんにく(2片)は薄くスライスをし、玉ねぎ(1個)は5ミリ位にスライスします。
4. フライパンを熱してバター(大さじ1.5)を溶かし、にんにくを炒め、香りが立ったら砂肝を入れ、焼き付けるようにして焦げ目をつけ、香ばしさを出します。
5. 玉ねぎを加えて炒め、しんなりしたら塩コショウで調味します。皿に盛り付け、好みでレモンの絞ってできあがり。

 砂肝はいつもクレイジーソルトで炒めて食べているのですが、たまには違う食べ方もいいかなと思い、探してみました。新しい砂肝、ご賞味あれ!!

かつおのたたきサラダと梅チャーハン



1. かつおの切り身に塩をふる
2. フライパンに油を少ししき、皮目をしっかり焼く。身は軽めに焼く。
3. 水に通さず、冷蔵庫で冷やす。
4. かつおが冷えたら、皿にレタスを盛り、かつおを盛る。トマトを添え、オニオンスライスを真ん中に盛り付ける。その上にサラダ水菜をのせ、上からゴマだれをかける。かつおにはマヨネーズを添える。
5. できあがり!!!

 ゴマドレッシング

 白ゴマ60g(すりゴマ50g)、みりん50cc、醤油50cc、砂糖25g、りんご酢20cc、旨味調味料小さじ4分の1を混ぜる。

 マヨネーズ

 卵黄3つをよく混ぜ、サラダ油80gをちょっとずつ加えながら混ぜる。卵黄とサラダ油がよく混ざれば、塩小さじ2分の1、りんご酢大さじ1、からし、旨味調味料、ガーリックパウダーをそれぞれ大さじ4分の1、こしょう少々を足し、さらに良く混ぜる。


 市販のゴマドレッシングとマヨネーズでもおいしいとは思いますが、出来ればそれを自分で作ってみてください。全て自分が作ったと思うと、おいしさも更にUPです!!


 梅チャーハン


 市販のチャーハン粉で普段どおりにチャーハンを作り、そこに梅肉を入れただけのとても単純な料理です。しかしいつものチャーハンとはまた違った味が味わえます!!

豚バラ大根



1. 大根と豚バラ肉(かたまり)を別々に20~30分湯がく。2つの鍋に米を一掴み入れる。
2. 湯がいた後は、冷えるまで水にさらす。
3. 肉の水気をとり、食べやすい大きさに切る。
4. 肉に醤油をまぶし、肉の全ての面を焼き目がつくまでフライパンでよく焼く。
5. だし汁600cc、酒100cc、醤油100cc、砂糖大さじ9を火にかける。
6. 沸騰すれば、一口サイズに切った大根と肉を入れ、落し蓋をする。
7. 1時間程煮込めば、具を全て取り出し、水溶き片栗粉を出汁に入れ、とろみをつける。
8. 皿に具と出汁を盛り付け、できあがり。

 少し重曹を入れるとより肉が柔らかくなりました☆ これはご飯が進みますよ!!熱湯で少し薄めて、ラーメンの麺を入れてもおいしかったです。

レタスを楽しむためのサラダ

 レタスがだ~~~~~~~~~~い好きな人、是非これを試してみてください。なんと材料は、レタス だけです。

1. まずレタスはキレイに洗い、次に氷水で冷やします。
2. ドレッシングは、粒マスタード小さじ2分の1、酢大さじ1、醤油小さじ1半、オリーブオイル大さじ2、こしょう少々です。
3. 冷えたレタスの水分をペーパータオルでとり、レタス自体に塩コショウ(少々)で下味をつけます。

 これでできあがりです。小腹が空いた時に最適な簡単料理です☆

My 料理の数々

 日本に2ヶ月半もいて、何もしてなかったと思われるのも癪(しゃく)なので、一気に日本でしていた料理を紹介しておきます☆今日はこれだけですが、この数日間に次々紹介していきます。時間がある時や少しいつもとは違う物を食べたいと思った時は、参考にしてみてください。僕が作った物ばかりなので、難しいものは一つもありません。

2007年8月10日金曜日

メキシコの常識(2)

 「下水管の修理などは政府が管理しているせいか、近所に通達なく突然工事が行われます。そしてその工事の最中はその地域は断水状態となります。以前僕がシャワーを浴びてる最中(夕方5時半頃)から行われ、頭にシャンプー、体に石鹸が残ったまま一晩過ごしたという嫌な思い出があります。結局シャワーをできたのは、次の朝6時でした。政府は住民の事などどうでもよいみたいです。」(モンテレーでの話) 

メキシコの常識(1)

 「少し大雨になると、大抵の道は必ず洪水状態になります。なぜなら、下水溝がなぜか脇道にそってではなく、脇道から1メートル位離れたとこにあるからです。そして雨水はその下水溝にはほとんど流れ込まず、大量の水は大通りへと流れます。そしてその通りには水が溜まりに溜まり、えらいことになってしまいます。」(モンテレーでの話)

メキシコへ帰郷

 8月6日の午後2時40分にメキシコシティーの空港に到着し、そこからバスに乗りプエブラに着き、午後7時頃に自宅(ホームステイ)に着きました。ほんまに疲れました。しかし救いもあります。それはここの気候です。プエブラは1年目にいたモンテレーとは違い、とても気候が良いところです。メキシコなので太陽の日差しは強いのですが、風が涼しいのです。モンテレーは周囲を大きな山で囲まれているため熱を持った空気がこもり、風も生温く、気温も40度を頻繁に越していました。しかしプエブラは高地(2400m位??)にあるので、周りに大きな山はなく、風が吹き抜け、新しい風が入ってきます。なので日光がある場所は多少暑くても、日陰に入っただけでクーラーがかかっている部屋のように、少しひんやりとします。

 昨日は授業の履修の仕方やビザの登録の説明があるオリエンテーションがあり、今日は実際に授業の履修とビザの登録をしました。明日、明後日にはその2つは完了する予定です。

2007年8月5日日曜日

メキシコブログと日本ブログの違い

 最近ふと、僕がメキシコにいる時のブログと、日本にいる時のブログの違いを感じました。日本にいる時のブログの内容は、東京のパン屋さんのことであったり、おかんのことであったり、どうでもよい事を書いていました。(帰ったらおかんにしばかれそうやな) メキシコにいる時も基本的にはどうでもよい内容だったのですが、メキシコでのブログは、どことなく物の見方(視野)が広かったのかなと思います。なにより、メキシコにいたときの方が色々なことに気付き、日本にいる時はあまり自分の周りに対してあまり興味を持っていなかったのか、ブログの数が急激に減ってしまっていました。(日本に帰ってから少し大変だったというのもありますが) そこで、僕は「ほんまに“しょぼい”人間やな」と思いました。周りの環境が変わらない限り、自分の考えも自分で変えることができない人間だということです。普段の慣れた生活からは、なかなか多くの事を学ぶことができない人間ということでもあると思います。こんな“しょぼい”人間にとって、留学という機会は自分を成長させるまたとないチャンスです。だから、高校でふと留学を思い立ったり、大学でも2年留学を選んだのでしょう。

 この1年で、自分を精一杯成長させるために、色んな事に挑戦してみたいと思います。そして、もっと周りに気を配り、自分で自分を良い方向へと変えられる人間になれるよう、日々色々と考えていきます。もちろん、このブログを読んでくれている人にとって興味深いものを出来るだけ沢山書いていくつもりです。

2007年7月8日日曜日

国を明るくするコツ

 5月に一時帰国をしてからもうすでに2ヶ月経ちました。日本には酒、しょうゆ、みりん等、すばらしい食文化がありますよね。なので、帰国してから頻繁に料理をしています。両親が共働きで帰宅が遅いため、両親が帰ってきたときにすぐ夕食をとれるようにしておきたいという理由もあり、色んな料理に挑戦しています。今まで作った料理の中からいくつか、またいずれ紹介しようと思っています。

 日本で食べる食べ物は、どれも工夫をしています。他国の料理が雑というわけではないのですが、日本の料理は食材の味や色、形を最大限生かし、それはその食材に対する敬意の表れでないかとふと思うときがあります。僕はいつも「いただきます」を言う時、その料理を作ってくれた人に対するお礼の気持ちと、その食材に対するありがたみの気持ちを込めています。

 日本人は世界の中でも特に食を楽しみ、大切にしていると思います。人間が一番敏感な味覚を持った動物らしいので、理に適った素晴らしい人生の楽しみ方だと思います。和食でも創作料理があったり、洋食、中華等世界の料理を楽しんだり、またそれらを和食と合わせてみたりもします。それがまたおいしいのです。例えば、有名な話で、ナポリタン(ケチャップのスパゲティー)という食べ物は日本人が発明しました。そしてあるテレビ番組でこれをイタリア人に味見をしてもらうと、彼らはそれをおいしいと絶賛していました。イタリア料理ではない日本のイタリア料理がイタリア人にうけるのです。僕はアメリカとメキシコでお寿司を食べたことがありますが、それらはその国の人の好みの味に染まっており、あまりおいしいものではありませんでした。

 日本には本当に良いところが沢山ありますが、もちろん世界中の国に全てが良いという国が無いように、日本にも外国人の目から見てあまり好まれない点があります。1年間メキシコで生活をし、メキシコの生活や価値観に慣れている僕は、今日本の街を歩いていると、今は少し外国人の日本に対する見方が分かるような気がし、新しい日本を発見することができます。長期留学をする利点はここにもあると、僕はいつでも留学を目指す人に言わせていただいています。

 帰国後は授業がなく、基本的には大学には行かないでも良いので、電車に乗ることがありません。しかし先日VISAの申請のため、東京のメキシコ大使館へ行くために、地下鉄に乗りました。電車の中は、どんよりとした雰囲気が充満していました。渋谷や新宿など、人通りがあり娯楽があるところでは人は皆イキイキとするものですが、電車の中での人々の人生に疲れきったような表情を見、とても寂しい気持ちになりました。常に楽しい気持ちでいるということは不可能というのは理解しているつもりですが、誰かがしんどそうな表情でいれば、その場の雰囲気もどんよりし、周囲の方も少なからずそれに影響されてしまいます。メキシコシティーの地下鉄に乗った時は、海外におり、気持ちが浮かれていたからかもしれませんが、日本の地下鉄の電車の中のような雰囲気はありませんでした。そして僕がメキシコシティーに行った時には、もうすでにメキシコ生活も5ヶ月を過ぎようとしていたときなので、あまりメキシコシティーにいても異国にいるという感動は観光客よりは無かったと思います。

 日本人はメキシコ人に比べ平均的に目が細い人が多く、少ししょんぼりした顔に見えてしまうかもしれません。しかし僕は顔のせいにはしたくありません。メキシコ人は人生を常に楽しもうとする人が多いです。それに対し日本人は、比較的人生の中で楽しむ時としんどいが頑張る時を区別する人が多いと思います。人生にはもちろんしんどい時があり、その時は楽しい気持ちにはなかなかなれません。僕も最近辛い事が立て続けに起こりました。将来はもっと辛い事が起こるでしょう。しかしそういう苦境に立たされた時にでも自分を忘れず、他人に悪い影響を与えたくはありません。




 なので僕は、出来るだけ常に目を見開き、車内の広告をじっくり眺めようと思います。

2007年7月7日土曜日

本当の願いは叶わない。

 4月下旬に祖母が亡くなりました。誰も予想していなかった、突然の死で、僕はまだメキシコにいたので通夜、葬儀に出席できず、最後の対面をすることができませんでした。

  誰も予想していなかったというのも、実は去年の8月中頃に祖父の癌が見つかり、すでに余命(最短3ヶ月、最長1年)を告げられていたので、家族は皆祖父を心配していて、祖母の事は、身体は若干弱ってきていたのですが、まず命に別状はないと安心していました。祖母は自分の旦那の癌という悲しい現実に直面し、非常に辛い思いをしていたに違いありません。しかし祖母は骨や関節が弱く、一人で歩く事もままならなかったので、癌に身体を冒されている祖父が祖母の看病をしていました。祖父は自分の会社があるので80歳を過ぎても辞めることができず、癌が見つかってからも働き続け、会社から帰ってくると祖母の看病と、本当に大変だったと思います。もちろん家族は皆助け合うものですが、そこまで屈強に立たされていた祖父の妻を想う気持ちの強さと優しさには、真似をしようとしてもそう簡単に出来るものではありません。

 ある日祖母が祖父にふと「なぁお父さん、一緒に死のや~」と言ったらしいのです。そしてそれからすぐに、本当に祖母が亡くなりました。後で父に聞くと、祖父は妻を亡くした悲しみの反面、「こんな簡単に死ねるんか」と羨む気持ちも少しは持っていたそうです。その頃はもうすでに癌がかなり転移しており、以前に比べて25kg程痩せ細っていました。

 妻を亡くした祖父が5月の始めに癌のカテーテルの手術を受けるというのを両親から聞き、僕は帰国日を早めました。そして祖父が手術を受ける当日に帰国することができ、術後2日目にお見舞いに行きました。その時ひさし振りに再会した祖父と僕は、術後2日目で体力も物凄く消耗しているにもかかわらず、約1時間半話をしました。そしてその2日後、祖父は脳梗塞を併発し、口元を右半身に障害が残り、理解はできるものの話す事がほとんど出来なくなりました。2日前までは普通に人と会話できていたのが、急に人に自分の言いたい事を伝えることができなくなり、本当に不甲斐ない気持ちでいっぱいだっただろうと思います。

 祖父と1時間半話しをした時に初めて祖父の人生を詳しく教えてくれました。祖父は今まで本当に辛い経験をしていました。簡単に紹介しておきます。

 祖父は戦争で、青年時代は戦闘機の部品を作る工場に勤めていました。始めは部品を作る材料なども豊富でしたが、戦争が長く続くにつれ、材料に底がつき、多くの代用品を使うようになったそうです。エンジンを動かすガソリンも少なくなってきていたので、混ぜ物でまかなったそうです。そこですでに祖父はもう日本は負けるという事に気づいていたと言っていました。

 数年そこで働いている内に徴兵され、中国へ行きました。祖父は中国で2度死ぬ寸前の経験をしたと教えてくれました。中国で船に乗っている時、敵軍の攻撃に会い、祖父の乗っていた船は沈没し、そこで1度目の死ぬ思いをしています。その時は間一髪救出されました。そして次の経験は、また船の中での出来事です。友達と昼食を食べようと船上を歩いている途中艦載機がその船に爆弾を落とし、祖父の近くで爆発しました。祖父は奇跡的に助かりましたが、祖父と一緒に歩いていた友達は、祖父が気が付いたときには、船の最上階まで吹っ飛び、亡くなっていたのです。

 終戦が近づいていた時には日本からの支給品は全く届かなくなり、食べ物がなくなった日本の兵隊は、中国で車の整備などをして生計をたてていました。

 そして祖父が帰国した時には、街はボロボロで、祖父は兄弟を沖縄戦線で亡くしていました。祖父は祖父の父と二人、荒れ果てた地を耕しながら生活していました。

 その後祖父は税務署で働くことになり、その後税理士の資格を取り、自分の会計事務所を持つまでになりました。そして自分の手でその事務所を大きくしていきました。

 これは祖父の人生の苦労のほんの一部分です。そこまで苦労した祖父は人の痛みを自分の痛みのように分かる人でした、だから癌でしんどい身体でも妻の看病ができたのではないかと思います。本当に優しい祖父です。

 祖父にはあと数年、元気に生きてほしかったです。僕はずっとこれだけを思っていました。祖父は今までに本当に辛い経験ばかりしてきました。なので、仕事を引退した後は祖母と2人で人生を思う存分楽しんでほしかったのです。しかしその願いは叶いませんでした。

 仕事を引退し、これから人生を楽しもうとした直後に癌が見つかり無理が出来ない身体だということを知り、そして妻を亡くしました。







 今は天国で祖母と二人、楽しく過ごしていることを望みます。この望みだけは本当に叶っていてほしいです。

2007年6月20日水曜日

オレおかん

 オレのおかんは某企業でばりばり働いてます。フルタイムで働きながら、よくここまでオレを育ててくれました。朝8時には家を出、帰りは7時位。昔は晩御飯も作ってくれていましたが、最近は少し体の調子が悪く、堺東の高島屋か津久野のイトーヨーカドーで惣菜を買ってきてます。しかし家事も仕事の傍らちゃんとこなします。夜遅くまで皆の洗濯物をし、毎晩寝るのは1時半です。オレのおかんは世界のおかんの中でも結構やり手やと思います。

 しかしそんだけ働いているので、よう食います。結婚当時の写真を見せてもーたら、今は昔の面影すらありません。毛が多い事位が昔の共通点で、おとんはよう「だまされた」と言うてます。
 なんばの高島屋では地下(食料品、菓子)、堺東の高島屋では2階(菓子)が大好物です。よくおかんとは買い物に行くのですが、「なお~、これめっちゃおいしいねんで。この前パパがこれはおいしいわ言うて食べててんで。あの反応薄いパパがな」と言いながらえげつない量のお菓子を買います。おとんにようおかんは「もう食うなや」とか「また買ってきたんか」と言われてるので、最近は自分の好みだけではなく、少なくともおとんに喜ばれ、自分も欲しいものを買うようにしています。「この前パパがこれはおいしいわ言うて食べててんで」を言い訳にお菓子を買います。最近のおかんの口癖はこのフレーズになってます。(おかんの買うもんはほんまにおいしいく、あんまり言うたら買ってきてくれへんようなるんで、あんまりオレから悪口は言いにくいです)

 おかんはとにかくよう食います。最近はよくオレが家事をしてます。洗濯物を干すのはおかんの仕事ですが、取り入れはオレの仕事です。(よう忘れますが) あと晩御飯は、オレが料理するのが好きなので、できるだけするようにしてます。そして、この前はカツオのたたきのサラダと梅干し炒飯を作りました。
 オレはその日卓球の練習に行っており、その間におかんが帰ってきていました。その日はおかんは少し帰りが遅く、オレが料理してるて知らんかったので、晩御飯を自分で買ってきていました。おかんが買ってきたもの、それは「キャベツ1玉」。キャベツだけです。「今晩はキャベツだけにしよーおもててん。ダイエットせんとあかんやん?最近キャベツダイエットはやってんもんな。」
 しかしオレが帰ると、ちゃっかりと、そしてしっかりとサラダと炒飯、食うてました。

 「なお~、このかつおのサラダ、めっちゃおいしかったわ~。せっかくダイエットしよーおもてキャベツ買ったのに、ダイエットでけへんな。」
 「どん位食うたん?」
 「半分位かな。」
 「そうなんや。ほなまぁ残りはオレ明日の昼にでも食うとくわ。」
 「うん、分かった。」

 次の日見ると、かつおがあと4切れしか残っていませんでした。確か15切れ位はあったと思うのですが。おかん、ダイエットになったあらへん。「半分」という意味をしっかり勉強しなおしてほしいです。

2007年6月13日水曜日

東京のパン屋さん


 東京は本当に物価が高いですよね。東京は金があればとても楽しい所ですが、金がなければただの人ごみのように感じてしまいました。やはり僕にはお金をあまりかけずに楽しめる和歌山がぴったりのように思えます。

 しかし、東京には良いところもあります。物価が高い分、そこで売られている質は良いものでなければなく、少しでも他に劣れば、すぐにそれは消されてしまいます。大阪は食い倒れの町だと言われていますが、質の良い食べ物は東京の方がより簡単に見つけられることができます。

 以前このブログで登場した、僕が釣りに行く時にいつも同行してくれる、僕が尊敬する人、パン屋さんが、東京へ行くなら必ずパンを食うてこいと言われたので、今回いくつかのパンを食べ比べてみました。その店とパンを紹介します。

 Levain (ルバン)

 自家製天然酵母のパン屋さんといえば、まずこのお店の名前が挙がる程の名店です。この店では、ここの味をわかってもらったうえで買ってほしいと、お店を訪れるときりたてのパンが手渡されます。それを何種類か食べた上で、自分が気に入ったパンを買うことができます。
 僕はカンパーニュ(全粒粉50%)とメランジェ(全粒粉25%)をいただきました。カンパーニュは程よい酸味があり、レバーのテリーヌと非常に合いました。国産の中力粉、全粒粉、塩と水だけで作られているので、麦そのものの味を楽しみたいのであれば、このパンが最適であると思います。
 メランジェは、くるみとカランツと呼ばれる干しぶどうをふんだんに混ぜ込んだ贅沢なフルーツパンです。くるみの香ばしさと麦の香ばしさ、そして自家製カランツのほど良い甘さと麦のやわらかな酸味が合わさり、絶妙です。

 僕の知り合いのパン屋さんに天然酵母の作り方を教えていただきました。

 「無添加のパンにするためには、天然酵母にしなければなりません。天然酵母は果物、野菜をある一定の温度で一週間から二週間に渡り発酵させ、その絞り汁を粉と合わせ練る。また寝かせては粉を足す。この動作を一週間繰り返す。これが天然酵母フランスではルヴァンドイツではライ麦のサワー種。イタリアでは乳酸菌のパネトーネ種各国製法の違いはあるその国の気候、温度湿度により酵母菌の住みやすい環境が各国違うから!さて本題です。酵母菌は何?物を腐敗させると何が出る?ガス!腐敗=発酵 その物にはバクテリアや細菌ほか色々入ってる。それらの物が天然酵母です。」 

 皆さん、本物のパンを食べるなら、ぜひルバンへ!!

 ルバン
 東京都渋谷区富ヶ谷2-43-13
 03-3468-9669


 アンゼリカ

 東京のカレーパンといえばここ。テレビにも雑誌にも何度も取り上げられているここのカレーパンは、ずっしりと重く、むっちりした弾力のあるパン生地で作られています。うまみがぎゅ~っと凝縮された味わいのカレーは店長が研究を重ねられ、季節ごとに若干変えられているらしいです。もちろん冷めてもおいしいカレーパンです。(SMAP中居くんの大好物だそうです。運が良ければお店でばったり遭遇できるかも!?)

 アンゼリカ
 東京都世田谷区北2-19-15
 03-3414-5391

2007年6月12日火曜日

親友の帰国


 スペインに1年間留学していた僕の大学の親友が先日帰国しました。留学前はいつも大学で「親友4人組み」としていつでも一緒にいたのですが、一人はアルゼンチン、一人はスペイン、一人は日本に残り、僕はご存知の通り、メキシコに留学していました。アルゼンチンへ留学していた子は今年1月に帰国しており、僕は6月9日に帰っていたので、3人で僕ら親友グループ最後の1一人を、関西国際空港へ迎えに行きました。(早朝5時45分でした)

 その子は全く変わっていませんでした。髪形以外は。やはり親友は一緒にいないと楽しくないですね。メッセンジャーでたまにチャットをするのも楽しいのですが、一緒にいると楽しさは倍増です。1年半ぶりに4人全員集合し、朝食は親子丼などを食べ、ボーリングをしようとラウンド1へ行くも朝早すぎで開店してなく、結局おとなしく皆帰りました。

 その子が関空で、僕らにお土産をくれました。その子曰く、お土産を買ったのは家族と僕らのためだけだそうです。そーゆー気配りが嬉しいですよね。別に高いものでなく、実用性も特にないものでも良いのです。いつも一緒に居て、慣れきっている親友に対する気配りというのが嬉しいものなんです。今回その子が気づかせてくれた事は、本当の親友とは、親友の喜ぶ事を理解し、それを素直に実行できる人だという事です。

 


 

 いただいたステッカー「Besame el culo」は、車の後ろに貼らせていただいています。

2007年5月17日木曜日

1年ぶりの再会の晩餐


 

 5月9日の夜8時に大阪の伊丹空港に到着し、先日約1年ぶりに大学入学当時から仲の良い親友と会い、遊びに行きました。久し振りに彼が色んな面で頑張っている姿を見、「友達ってやっぱええな」と思いました。そして、その日、本当に嬉しいことがありました。僕が留学に行く前までは、彼の部屋はそれ程整理されてなく、食事もバイトが忙しいため、コンビニの弁当が当たり前の生活をしていました。しかし僕はその日彼の部屋に泊まり、料理などほとんどしなかった彼が夜12時半から晩御飯を僕のために作ってくれました。2つとも手の込んだ料理で、ご飯もわざわざ炊いてくれ、その晩飯は本当においしかったです。しかし2品も料理をしてくれたため、晩飯を食べ始めたのは深夜1時半でした。しかし、本当は疲れていて、夜遅くに料理をする気もそれ程無くてもおかしくない状態の中、嫌な顔一つせず料理をしてくれたその気持ちがすごく嬉しかったです。友達の事を本当に想える友達を持っている僕は幸せだなと思いました。


 下記にその2つの料理を紹介しておきます。本当においしいですよ!!!しかし、彼が作った2品には負けると思います☆



☆豚肉とれんこんのしょうゆ炒め☆

材料(2人分)
豚ロース薄切り肉  200g
れんこん  250~300g
万能ねぎ  3本
白いりごま  大さじ2
酢  大さじ1
下味用
 塩、こしょう  各少々
 酒  大さじ1
サラダ油  大さじ2
調味料
 酒、しょうゆ  各大さじ1半
 砂糖  大さじ半

1. ボールに酢と、水3カップを入れて混ぜ、酢水を作る。れんこんは水洗いをして皮をむき、縦半分に切って横に幅3mmに切る。酢水のボールに入れて3分ほどつけ、ざるに上げて水をきる。

2. 万能ねぎは水洗いをし、根元を5mmほど切り落とす。長さを半分に切って重ね、幅2~3mmに切る。

3. 豚肉は重ねたまま幅5cmに切り、手で1枚ずつほぐしながら「1」とは別のボールに入れる。下味用の材料を加え、よくからめる。

4. フライパンにサラダ油を強火で熱し、豚肉を入れて木べらでほぐしながら炒める。豚肉の色が変わったらレンコンを加え、炒め合わせる。

5. 全体に油が回ったら調味用の材料を入れ、混ぜながら1~2分いためる。汁気がほぼなくなったら火を止め、ごまをふる。大きく混ぜて器に盛り、万能ねぎを散らす。


☆チキンと野菜のケチャップ炒め☆

材料(2人分)
鶏もも肉  1枚(250g)
しめじ  1パック(100g)
ブロッコリー  小1株
下味用
 酒、しょうゆ  各大さじ1
 こしょう  少々
調味料
 トマトケチャップ  大さじ3
 酒  大さじ1
 タバスコ  少々
オリーブ油  大さじ2
塩  少々
小麦粉  適宜
こしょう(粗びき黒こしょう)  少々

1. しめじは堅い根元を1cmほど切り落とし、手で1本ずつにほぐす。

2. ブロッコリーは水洗いをし、茎の堅い部分を切り落とす。茎の部分は厚めに皮をむき、回しながら包丁を斜めに入れ、細長い乱切りにする。上部は茎に包丁を入れて小房に切り分け、縦半分に切る。

3. 鶏肉は皮の面を下にして、横長にまな板に置く。縦に深さ5mmほどの切り目を4~5本入れ、筋を切る。縦半分に切り、包丁を斜めに入れながら横に厚さ1cmに切ってボールに入れ、下味用の材料を加えてよくからめる。別のボールに調味用の材料を入れ、混ぜ合わせておく。

4. フライパンにオリーブ油大さじ1を中火で熱し、ブロッコリーを入れてさっと炒める。全体に油が回ったら塩をふり、水大さじ3を加えて煮立て、ふたをして1分ほど蒸し茹でにする。ふたを取ってざるに上げ、水気をきる。

5. 鶏肉の汁気をペーパータオルでさっと拭き取り、小麦粉を全体にまぶしつける。余分な小麦粉は、はたいて落とす。「4」のフライパンをペーパータオルで拭いて、オリーブ油大さじ1を中火で熱し、鶏肉を入れて2分ほど炒める。鶏肉の色が変わったらしめじを加え、1分ほど炒め合わせる。

6. しめじが少ししんなりとしたら強火にし、「4」のブロッコリーを戻してさっと炒める。

7. 全体に油が回ったら「3」の調味用の材料を加えて手早くからめる。火からおろして、器に盛り、こしょうをふる。



いただておくんなまし♪♪

2007年5月5日土曜日

食べてすぐ寝ると牛になる

 5月2日に留学1年目の授業の全日程が終了し、たった今一つの授業の最終課題を仕上げてしまいました。授業があった日々は、朝授業へ行き、昼1時に家に帰って昼食をとり、その後2時半から始まる授業に急いで行くというということが習慣でした。しかし授業が終わってからというもの、朝は基本的に7~8時の間に起き、ゆっくりメールのチェック等をし、12時には昼食をとります。そしてその後、スポーツ番組でいつもサッカーの試合を放送しているので、それをゆっくりと観ます。そうすると、毎日必ず、激しい睡魔に襲われます。「食べてすぐ寝ると牛になる」という諺を信じてる僕は(スペイン語で「牛」は"vaca"(バカ)というので、「食べてすぐ寝るとバカになる」とも勝手に思っています)、なんとかその睡魔に打ち勝とうと毎日努力をしています。しかし到底僕のような弱々しい気持ちが睡魔という名の悪魔に勝てるわけもなく、寝てしまいます。最近夜なかなか寝付けない僕は、たまに2時間半の昼寝をとってしまうこともあります。これは昼寝ではなく、睡眠の領域に達していると思いますが。そこで僕は目が覚めると、いつもこう思います。「あ~、また太っても~た。」「またあほなっても~た。」(これ以上あほになるのはほぼ不可能だと思いますが)しかしそこで、「本当に食べてすぐ寝ると太るのか。」「なぜ食べてすぐ寝ると太るのか。」と疑問にも思います。この疑問を持った人は少なくないのではないでしょうか。ということで、今回はこの疑問を解明してみました。

 まず始めに知っておかなければならないのは、食後眠くなるのはごく自然な体の反応だということです。食物にはグルコース(ブドウ糖)と呼ばれる糖分が含まれており、その糖分が脳細胞に作用することによって、人間を覚醒状態に保つために必要なオレキシンというたんぱく質の成分を妨害します。要するに、眠気が襲う原因は、覚醒作用が働かなくなるからなのです。しかしいくら自然な体の反応だとはいえ、その眠気に従い昼寝をとり、太ってしまったり、体に害を及ぼすのは避けたいという人が多いと思います。なぜ食後の睡眠は人の体を太らせてしまうのでしょうか。

 食後の睡眠はカロリーを蓄積させやくします。吸収された食べ物は体の中に残り、睡眠によって消費するエネルギー量が減少すれば、それだけ体にカロリーが残り、その結果度が過ぎれば肥満の原因となります。しかし、食後30分から1時間程度の睡眠では太る原因にはなりません。

 実は食後の睡眠は、健康と良い生活習慣に効果的なのです。学校や会社で昼食後、非常に眠く、勉強、仕事に差し支えがある経験をしたことはありませんか?僕は必ず5限目、6限目の授業は寝ていました。そして放課後の卓球(中学生時代)、サッカー(高校生時代)の部活の練習に備えていました。(これは言い訳です)しかし適度の昼寝は、眠気を軽減させ、その後の集中力と意識を高めてくれ、勉強、仕事が効率良くなります。そして、昼食後の昼寝は自律神経を整える働きがあるので、ストレス解消にもつながります。また眠気が軽減されると、行動が活発になり、エネルギーの消費量が増え、痩せやすい状態にもなります。スペインやメキシコ、中南米の国の多くは、多くの会社や店は、2~5時等毎日長い昼休みがあります。その間に1日の中で一番重たい食事をします。その後昼寝をしたり、家族や友人と会話を楽しんだりします。このような習慣は、日本人の感覚では「ぐーたら」と思われがちですが、実はこれは人生を楽しむ上では非常に大切な事のようです。

 皆さん、もし時間に余裕のある人は、少しの間昼寝をとってみてください。そして、より健康になり、人生も楽しみましょう!!


 




 僕は昼寝を2時間半もしてしまっているので、肥満にまっしぐらですね。

2007年5月3日木曜日

1年目終了


 関西外国語大学にはたくさんの留学プログラムがあり、昨年からメキシコ2ヵ年留学が始まりました。その第1期生として、僕ともう一人の友達が選ばれました。昨年の8月の始めから授業が始まり、本日、5月2日に1年目の授業が全て終わりました。この留学プログラムは1年目と2年目の大学が変わるので、今年通った大学ではもう授業を受けれないことになります。ここの大学はラテンアメリカ(カナダ、アメリカ以外のアメリカ大陸にある国々)の中で最大で一番優れている大学だと言われています。この大学はInstituto Tecnológico y de Estudios Superiores de Monterreyと言い、メキシコ人はTecやITESMと省略化し、非常に多くのメキシコ人に知られています。Nuevo León州Monterrey校(親キャンパス)をはじめ、メキシコの32州に対して、キャンパスは全国に34校あります。この大学は特に科学技術の研究が盛んで、中米、南米からも多くの学生が留学に来ます。

 僕はメキシコに教育学を勉強しに来たので、この大学は基本的に僕の目的には適してはいません。しかし僕が1年目にこの大学を選んだ理由は、留学生の数とその留学生のための授業の豊富さです。この大学は、400~500人、多いときでは600人近くの留学生を毎年受けいれています。もちろんスペイン語がほとんど分からない学生や、理系の学科には全く関係のないことを勉強している学生も来ます。よって、それらの学生にも満足させるための授業が多く、先生、授業内容の質も非常に高いのです。この大学ではもちろん自分のスペイン語の能力を伸ばす事も目的ですが、この大学で勉強したかった一番の理由は、これだけ多くの留学生を満足させる授業を展開する先生達は、どのような教授法で、どのようにスペイン語を外国人に分かり易く教えているのかというのを体験してみたかったからです。僕は将来中学校の英語教師を目指しているので、学生のうちに様々な言葉の教え方を見ておきたかったのです。ここの大学では前期と後期で授業が変わるのですが、両学期共スペイン語の授業はとりました。そして後期は、1つだけメキシコ人の学生のための授業を受講しました。その授業では、プロフェッショナルな場での表現の仕方を学び、メキシコ人により自分のキャリアに合ったスペイン語の表現方法を学ぶことができます。その授業では、メキシコ人がメキシコ人にスペイン語を教える方法を見つけることができました。

 他にも様々な授業を受講しました。

<前期>


  • Español Avanzado 1 (スペイン語の文法)

  • Cultura de México (メキシコの文化)

  • Historia de México (メキシコ史)

  • Cultura Mesoamericana (メソアメリカの歴史と文化)

  • fútbol soccer (サッカーの練習とトレーニング)

<後期>


  • Composición 3 (アカデミックな文章の書き方)

  • Estrategias de Negociación en México (メキシコでのビジネスの仕方)

  • Estrategias de Traducción (スペイン語⇔英語の翻訳)

  • Expresión Verbal en el Ámbito Profesional (プロフェッショナルな場での表現)

  • fútbol soccer 

 前期はまだメキシコの生活リズムや習慣が分からなかった上に、スペイン語での生活にも慣れていなかったので、何も考えず、授業の課題や友達、家族との会話を必死にしていました。しかし、とにかくメキシコの文化に適応しようとする姿勢や、歴史、文化などの授業によって、比較的早く生活に慣れることができました。そしてそこから、メキシコに住むためには、そしてメキシコでの留学を充実させるためには、メキシコ人の価値観で物事を考える事が大切だということが分かりました。(これは前回のブログの内容に関係します)


 後期は授業の内容が難しくなり、課題も非常に多くなりました。また本も合計2冊(1週間に1冊)読まされました。(後期の初めに電子辞書が壊れ、ペーパー辞書で単語等を調べました)後期での一番の収穫は、メキシコ人だけのクラスの授業の進め方と、外国人に対しての授業の進め方を比較できたことです。また、メキシコ人の授業に対する姿勢も見ることが出来ました。授業の進め方は、メキシコ人の授業はとにかくグループワークです。授業中でもグループワークが中心で、必ず毎回30分は2人か3人と組み、課題をこなします。日本の中学校では、それは不足していると思います。先生の話を聞くだけ、黒板に先生が書いたのを写すだけでは、先生が落語家並みの話す技術を持っていない限り、生徒は確実に自主性を無くし、退屈します。授業で生徒の自主性を養うことによって、家庭での自習(予習、復習)に繋がると思います。そしてメキシコ人の生徒は、とにかく発言します。授業の内容とは全く関係ないことでも発言します。時にはしゃべりすぎな生徒もいますが、基本的に先生も、たとえ生徒が授業の内容を反らすような発言をしたとしても、黙らすような事はほとんどしません。そこで黙らしてしまうと、授業中に発言することは悪いことだと生徒が考えてしまうからだと、その先生は言っていました。授業が参加しない授業は、授業ではないと僕は思います。生徒は授業に参加できなければ、何も学べません。そして、集中力も、話を聞いているだけでは決して持ちません。僕はその先生の意見を聞き、すぐに日本の生徒の授業中の態度を想像しました。日本では、授業中静かに先生の話を聞き、ノートをキレイな字でとる生徒が良いとされています。ノートをきれいにとる生徒はたくさんいます。しかしその生徒全員がテストで良い点数を取っているかと言えば、そうではないのが現状です。テストの点数だけでその生徒は判断してはなりませんが、授業の内容を学んだかどうかはテストの点数に反映されます。授業の内容に関係ない話をしていれば、生徒と先生の関係が「なぁなぁ」になってしまうと思う人もいるかもしれません。しかしそれは、その先生が生徒の「なぁなぁ」な態度を許しているだけなのです。メキシコの生徒は必ず先生を呼ぶ時は"Sñor@, Maestr@(英語でのMr., Ms. やProfessorにあたります)を必ず付けますし、英語は敬語はあまりありませんが、スペイン語では敬語があり、必ずその敬語を使います。日本の生徒は「○○○やんなぁ~、先生?」と良く言い、それを許してしまっている先生も多いですが、メキシコでは決してそのような言葉遣いは耳にしません。生徒が先生に対して常に敬語を使えば、彼らの多くは無意識の内に先生を敬うことになるでしょう。日本ではよく生徒同士で先生の話をする時には、先生の名前を呼び捨てで呼びますが、メキシコでは必ず「先生」、又は「~先生」と言います。


 メキシコ留学の1年目で学んだことはこれだけではありませんが、とりあえず今回のブログでは、教育関連でメキシコで学んだ事を書かせていただきました。

2007年5月2日水曜日

試練

 人生には数多くの試練がありますよね。そしてその試練とは、人によって種類や大きさが異なります。自分では試練と思う事でも、他の人にしてみれば何でもないということもあるかと思います。少し今までの人生の、「僕にとっての試練」を思い出してみます。

<保育園時代>

  • 近所の公園の鎖に足をひっかけ頭から地面に落ち、その後嘔吐をする。(頭を打って嘔吐をするのは、すごく危険な場合があります)
  • 保育園でキックボードを楽しんでいると、コンクリートの上ですべり、頭を打ち、血を流し、先生の車で近くの病院へ行く。そこで数針縫う。

<小学生時代>

  • 算数のドリルの宿題を何回も連続で忘れ、先生に会うのが怖くなる。
  • 友達と喧嘩をする。
  • 姉ちゃんと頻繁に喧嘩する。
  • ピアノの習い事で、全然練習せず、上達しないので、先生にいっつも怒られる。
  • 習字教室でずっと友達としゃべり、先生に怒られる。
  • 水泳の授業。
  • 朝のマラソン。
  • マラソン大会。
  • ドッジボールのチームで、毎週しごかれる。
  • 毎年2学期が始まる4日前から、夏休みの課題と読書感想文におわれる。
  • 学校全体に、好きな人がばれる。

<中学生時代>

  • だんじりの青年団で、酒を頑張って飲む。
  • 成績不振で、卓球部を1学期分休部させられる。
  • 初めて市の個人戦で、ベスト16で負ける。
  • 毎年2学期が始まる4日前から、夏休みの課題におわれる。
  • マラソン大会。
  • マラソンの練習。
  • 鯛が急に釣れなくなる。
  • 鯖が急に釣れなくなる。

<高校生時代>

  • サッカー部に入部し、周囲との差を実感する。
  • 毎日6時に起き、朝練へ行く。
  • 内転筋を痛め、内出血する。
  • 足首を痛める。
  • オスクッド病が悪化する。
  • とりあえず怪我が多く、満足に練習ができない。
  • マラソンの練習。
  • マラソン大会。
  • 高校最後の試合で、自分のミスで2失点し、チームが負ける。
  • 親戚の大好きなおばあちゃんが亡くなる。

<アメリカ留学時代>

  • 言いたい事が言えない。
  • 挨拶の仕方にとまどう。(友達一人一人によって、握手の仕方は様々なのです。)
  • サッカーを始めるが、すぐに太ももの筋肉が痛み、断念する。
  • 語学力が上達しない。それによりプレッシャーを感じる。
  • 愛犬ミクが死ぬ。

<外大生時代>

  • 大学の始めの授業で、クラスメートの多くがスペイン語を知っているのに焦る。(僕はholaすら知りませんでした)
  • 非常に鯛が釣れなくなる。
  • 親友が亡くなる。
  • 塾のバイトが始まり、毎日3時間睡眠の生活が1年続く。
  • 留学プログラムの選考試験(書類審査、筆記試験、面接(英語)、面接(日本語)、面接(日本語))
  • 塾の生徒の期末試験と、大学の自分の期末試験が重なる。
  • 塾に一度遅れる。
  • だんじりを引退する。

<メキシコ留学>

  • 語学力が上達しない。
  • 課題におわれ、自分のしたい勉強ができない。
  • サッカーの最後の試合で、チームメートが2人退場になる。
  • 前期の最後に終わらせた37枚のレポートを、メール機能の不都合で期限までに提出できず、結局受け取ってもらえなかった。
  • 親友とも別れ。
  • ペルー旅行が、航空会社の手違いにより、空港で行けないことがわかる。その一週間は家で過ごす。
  • 彼女と離れ離れになる。

 他にも今までにたくさんの試練があります。他人にしてみれば「鯛釣れへんから何やねん」と思われるかも知れません。しかし、鯛釣りは朝の3時半に家を出、5時半に出船し、陸に帰ってくるのは昼の12時です。そして料金も一人1万2000円です。現在は直也君特別料金にしていただいていますが、以前は高校生ながら1万円きちんと払っていました。眠たい目をこすり、冬は体感気温0度になる海の上でじっと魚を待ち、1万円払ってもぼうずのときもある。悲しくなりますよ。しかしまた行ってしまう。釣りバカですね。

 その他の僕が今上記に挙げた試練も、他の人が見れば「大したことあらへんやん」と思われるかもしれません。しかしそれは自分の価値観だけで相手を判断してることになります。他人を理解するには、他の価値観を知る事が必要で、自分が他の価値観で物事を考えることができるようになることが必要です。そしてそれを出来る人が、本当に「他人に優しい人」だと思います。

 試練は人を、精神的にも体力的にも成長させます。試練を乗り越えようが乗り越えまいが、かならず人はその試練に立ち向かうことで成長します。試練に立ち向かうことはしんどいです。その事以外は何も考えられず、自分に集中してしまいます。そして試練を乗り越えようとする時は、稀に他人に迷惑をかけることがあります。僕は他人に迷惑をかけるのが嫌いです。ですから、他人に迷惑をかけて目の前にある試練を乗り越えても、僕は自分が成長したとは思わないことにしています。まずはその試練に立ち向かう前に、乗り越えるためには何をし、何が必要か。そしてそれによって周囲に人にはどのような影響を与えるか。その影響を与えないで試練を乗り越えるためにはどのような方法が適切か。このような予定を立ててみます。そしてその通りに動けば、試練を乗り越えることができると思います。もし試練を乗り越えることが出来なくても、他人のことを考えることによって、人として優しい心を持つことができます。

 試練の周りにも試練はあります。その試練にもきちんと目を向け、目に見えない試練にも立ち向かっていけば、将来素晴らしい大人になれるのではないかと思います。

2007年4月30日月曜日

水は大切

 人間の体の60%は水でできています。新生児は80%が水です。体を構成する最小単位の細胞に至っては、たんぱく質、核酸、糖質などの生体高分子と呼ばれるもの、更に脂質や様々なイオンなどが複雑な構成によって組み合わさっていますが、これらの要素を組み合わせているのも水なのです。(この場合の水はゼリー状で、原形質と呼ばれます)ある細胞は70%が水のものもあります。これらの細胞が20兆以上集まり、体は構成されています。
 トマトは90%、りんごは85%、魚は75%、くらげは96%が水です。人間の体の部分で言えば、血液の90%が水というのは納得できますが、人間の脳も80%が水です。目の網膜も92%は水で、人は水に物を写して見ていることになります。そう考えると、いかに人間にとって水が大切かということが分かります。

 しかし僕は先日、これ以上に水の大切さに気付く体験をしました。

 ある日僕は夕方6時頃、サッカーの授業から家に帰ってきました。いつもはすぐにシャワーを浴び汗を流すのですが、この日はほぼ何も食べていなかったので、シャワーの前に食事を済ませました。そしてまずは頭を洗い、次に体を洗いました。僕はトリートメントをするので、シャンプーを流し、トリートメントを付けたまま体を洗います。そして、頭のトリートメントと体の石鹸を一緒に流します。体を洗い終え、シャワーで洗い流そうとしたその時、「プスッ、プスプスッ・・・」 エンストにも似たこの音。エンジンの代わりに、水がストップしてしまったではあ~りませんか。その後シャワー室で水が出るのを、約15分間待っていましたが、その日は寒く、なぜかシャワー室の窓は開いていて閉める事ができないので、そとの寒い空気もスースー入ってきます。寒さに我慢できなくなり、タオルで体についた石鹸をタオルで拭き、無理やり服を着ました。頭のトリートメントは乾いてリーゼントの70年代の不良みたいになり、体の石鹸も乾いて体中がかゆ~~~くなり、ものすご~~~~~~~~~~~く気持ち悪かったです。結局体を洗えたのは、次の日の朝の5時半でした。その日はとりあえず夜1時までは起きていたのですが、水が出る気配がなかったので、仕方なく寝ました。しかし体と頭のかゆみで熟睡できるはずもなく、30分おきに目が覚めていました。

 水が止まった原因は、家の近くの下水道の工事が原因で、次の日の朝大学へ行く時に、道に大量の水が流れ、メキシコの暑さにも乾ききらない位の量の水がありました。下水道関係はすべて政府の管理下にあり、工事のために水を止める時も付近の住民には何も知らせません。これは今回に始まったことではなく、前期も7回位はありました。メキシコの政府は多くの問題があり、賄賂も日本以上に存在しています。そしてそのような政府は国民の事を考えれることなどできないのが現状です。

 メキシコ人はかわいそうですね。そして日本に生まれて政府に不平ばかりを言う日本人の人たち、もう少し視野を広げ、客観的に日本を見る必要があるのではないでしょうか。悪いところを見つける前に、良いところを見つけるべきだと思います。人、国を嫌いになる前に、好きになろうと努力をしましょう。それを出来ずに、その人、その国をよく知らずに不平ばかりを言う人は、無責任な人となると思います。そういった点では、今の生活に満足しているメキシコ人は、すごく心が広く、豊かなんでしょうね。
 

2007年4月28日土曜日

急性アルコール中毒

 前回に引き続き、アルコールについてです。飲み会、特に若者の集いには、必ずと言って良い程「一気飲み」が行われますよね。特に大学の入学シーズンには、新入生の歓迎会で、新入生には一気飲みをさせるの伝統があるサークルや部活なども多くあるようです。その時に頻繁にニュースになるのが、急性アルコール中毒による死亡事故です。なぜ一気飲みをすると急性アルコール中毒になるのか。僕はこれをずっと疑問に思っていました。なので、前回アルコールについて書いたので、その流れで今回は急性アルコール中毒の原因と怖さについて調べてみました。

 急性アルコール中毒の原因は、短時間のアルコールの多量の摂取であり、お酒に強い弱いには関係しません。アルコールは脳を麻痺さす性質を持っており、アルコールを大量に摂取すると、そのアルコールは呼吸や心臓の働きを制御する脳幹部にまで到達し、最終的には生命に関わる脳の中枢部分までも麻痺させ、呼吸機能や心拍機能を停止させて、死に至ります。

 血中アルコール濃度が0.4%を越えた場合、1~2時間で約半数が死亡します。そして、急性アルコール中毒患者は、45%が20代の若者です。

 通常、飲酒すると「ほろ酔い期」「酩酊(めいてい)期」「泥酔期」「昏睡期」という風に、徐々に血中アルコール濃度が上がるので、足元のふらつき、目まい、頭痛などの症状と共に自分自身である程度は飲酒量をコントロールすることができます。しかし、飲酒開始から血中アルコール濃度が上がる(酔ってくる)までには約30~60分と時間がかかります。なので、自分で酔った自覚が出来るまでの短時間に危険な量のアルコールを摂取してしまうと、「ほろ酔い期」「酩酊期」と通り越し、一気に「泥酔期」「昏睡期」に到達してしまいます。飲み始めから1時間~1時間半以内に泥酔状態、昏睡状態になった場合、また酒量としては、日本酒1升、ビール10本、ウィスキーのボトル1本程度を1時間で飲んだ場合は急性アルコール中毒を疑い、すぐに救急車を呼んでください。

 「ほろ酔い期(陽気、反射の鈍れ)」に血中エタノール濃度は0.05~0.08%、「酩酊期(まっすぐ歩けない等)」には0.10%、「泥酔期(立つことが出来ない、記憶の低下)」には0.20%、「昏睡期(意識の低下)」には0.30%、そして死に至る場合は0.40%となります。この数字から分かるように、よく「昨日の記憶ないわ。」って言っている人は、もうすでに昏睡期にあり、あと0.1%の血中エタノール濃度の上昇で急性アルコール中毒になる可能性が非常に高くなるということです。

 予防法は、一気飲みはせず、強制もせず、飲み始めて30分程はゆっくり飲み、アルコールの吸収を抑えるタンパク質や脂肪分を含んだつまみを食べることです。

 治療法は、とりあえずすぐに救急車に連絡することが先決です。そして、体が冷えないように毛布をかけてやり、嘔吐、吐血、舌が喉に詰まる場合があるので、体は必ず横にしてあげてください。あと、水分を取らす時は、スポーツドリンク等電解質を多く含む物は避けてください。



 ちょっとでもこれを読んで、お酒の怖さを知ってもらえれば幸いです。 お酒は強要せず、自分のペースで、楽しく飲みましょう☆


 しかし、一人で夜、パソコンを使いながら飲んでいて、ポテトチップスを取ろうとした拍子に瓶を倒し、パソコンにビールがこぼれ、顔を真っ赤にして必死に焦ることのないように気をつけてください。

2007年4月26日木曜日

頭が~んが~ん、胸どっくんどっくん。

 「外国人は酒に強い、日本人は酒に弱い。」「なんで外国人はあんな飲めんねん。」

 留学している人、外国人の友達がいてる人等は、必ず一度はこう思った事があるでしょう。ある日サッカーの授業で友達が僕に「先週何してた?オレ友達と酒飲んで、腹パンパン。」と言ってきました。一晩で、一人でビール20缶以上空けたらしいのです。さすがにしんどかったみたいですが、酔った様子はありません。僕は、ビール1缶飲めば、頭がガンガン、胸がドクドクしてきます。その場の雰囲気にもよりますが、普段はビール3缶飲めばおしまいです。なので、基本的に誰かとお酒を飲むのは嫌いです。たまに一人では飲んだりもしますが、誰かと飲むと、必ず僕よりは強いので、自分のペースで飲めず、お酒を楽しむ事ができないからです。お酒に弱いのが恥ずかしいというのも理由で、誘いにはよく断ります。「男なら絶対に酒に強い。酒に弱い男はひ弱。」という偏見が多いのも事実ですからね。
 しかしお酒に弱い人は僕だけではない。お酒に弱く、人前でお酒を飲むのが恥ずかしいと思い、友達の誘いを断ってしまう人は世の中に大勢いると思います。そんな彼らに(自分に対しても)、断る「言い訳」をさずけましょう。


 まず「外国人と日本人の差」ですが、これは本当にあるみたいです。アルコールは体内に入って、アセトアルデヒドという物質になります。そしてその物質を肝臓内で分解する役目のものが、アセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH)です。このALDHの量、性質には、遺伝により個人差があります。ALDHには2種類あります。「ALDHが多く集まらないと働かないタイプ」「ALDHが少量でもせっせと働くタイプ」です。そして外国人(特に欧米)は、95%以上の人が、後者、特に強いALDHを持っています。日本人はたとえ後者を持っていても、それは欧米人のものと比べると、働きが弱いものとなります。そして日本人の多くは、前者「ALDHが多く集まらないと働かないタイプ」を生まれつき持っています。だから外国人は日本人よりもお酒が強いのです。
 アセトアルデヒドは頭痛、吐き気、紅顔を促します。肝臓内でアセトアルデヒドが分解される速度が遅いほど、頭痛、吐き気、紅顔が頻繁に起こります。このような症状が出る人は、無理にお酒を飲むのは控えた方が良さそうです。たとえ頭痛、吐き気が来なくとも、すぐ顔が真っ赤になる人は、お酒には弱い体質ということになります。

 「お酒は鍛えれば強くなる」と言われますが、それは事実なようです。しかし、お酒に弱い人が強くなった時こそ危険だと感じなければならないのも事実です。アセトアルデヒドは、ミクロゾームエタノール酸化酵素(MEOS)という物質でも分解されます。そしてこのMEOSは、鍛えられれば強くなります。しかしMEOSを使いすぎると肝障害を起こし易くなるので、やはりお酒に弱い人は、健康を大切にするのであれば、あまり無理をするべきではありません。そしてMEOSは強くなっても、数週間お酒を断てば、元に戻ってしまいます。


 誰でも、自分のペースでお酒を飲むという事が一番大切なようです。そして、調子に乗って、テキーラショットを7杯し、夜をグアダラハラ(メキシコの都市)の路上で過ごさないようにしてください。いくらキレイな女子が隣にいても、路上にはついて来てくれませんよ!!

 今度友達に酒を勧められたら「オレのアセトアルデヒド脱水素酵素あんまよう働かんくてや、やからオレ酒あんま飲まれへんねん」と軽く言い訳してみましょう☆

「浜省」

パン屋さん: 「今度浜省のライブあってな、今日の朝から嫁さんにチケット予約の電話してもらうよう言うてんねん。でも多分無理やろな。すぐ完売やもん。」
僕: 「そんな浜省てええん?」
パン屋さん: 「オレが唯一CD全部持ってる歌手やな。浜省の曲には深い意味あってな。浜省はずっとロックでアメリカに憧れてて、突然ギター1本持ってアメリカ行ってまうからな。かっこええわ。」

 僕は10歳の頃から和歌山の加太へ鯛釣り(船)に通っています。そして、始めは父と一緒に行っていたのですが、それから数年後、同じ船に乗るパン屋さん(11歳年上)と仲良くして頂き、最近はパン屋さんと釣りに行っています。朝3時にパン屋さんが、仕込みを終わらせて一睡もせず僕の家に迎えに来てくれ、半分以上寝ながら加太へ連れて行ってくれます。そして、パン屋さんは釣り中、釣れる時間はすごい集中力を発揮し、釣れなくなれば船頭さんと話をするか、居眠り(熟睡)するか、「なお~、パン食うか?」と言ってきます。しかしパン屋さんのパンは本当においしいので、その誘いにはいっつも「うん、頂戴。」と、僕は遠慮の知らない子になってしまいます。行きの車の中でもパンをくれ、たまに「今回何かちゃうやろ?何やと思う?」と、パン利きをさせてきます。僕はただの素人なのですが・・・しかし僕は、パン屋さんのパンを頻繁に食べているせいか、段々と味の違いが分かるようになってきています。「今日のヘロバキ(フランスパン)、塩分ちょっと多い?」「この食パン、生クリーム大目にした?」など、えらそうな意見を言い、たまに当たっています。それ位パン屋さんのパンはおいしいです。
 それはともかく、パン屋さんの車の中でいつも流れている曲は、浜田省吾の「I am a father」です。加太へ行く1時間半、この1曲だけがリピートされます。何度もです。そして僕は以前浜田省吾を知らなかったので、なぜ浜省がそれ程好きなのかを聞くと、上記のような会話になりました。パン屋さん曰く「浜省は政治等に対して、今まで批判的な歌が多かったけど、この"I am a father"は、親父の気持ちが入った、すんごい柔らかい曲や。」だそうです。(事実、浜省の曲には、自分の行き方そのものへ懐疑を投げかけたもの、父親の被爆体験、日本や戦争を歌ったものなどが多い。)この曲が流れるのは1日だけでなく、確か1年中ずっとこの曲がパン屋さんの車の中でリピートされていたような気がします。それ程聞くと、僕も浜省が大好きになってしまいました。好きなものについてはとことん掘り下げていかないと気がすまないタイプの僕は、今回、浜省について調べました。浜省に興味のない人も、一度これを読んでみてください。そして共感はせずとも、「本物のミュージシャンやなぁ~」と思って頂ければ幸いです。


<浜田省吾>
 1952年、広島に生まれる。そして11歳の時に、ラジオでビートルズの"Please Please Me"を聞き、音楽の虜となり、姉の誕生日プレゼントのギターを取り上げ、ギターの練習を始める。

 高校時代は野球部を辞め、フォークソング部に入る。学校の生徒会役員になり、学生運動にも多く参加し、ベトナム戦争を進めるアメリカに加担しながら広島平和記念式典に参加した当時の佐藤栄作の行動が矛盾するとして起こった激しい反対運動にも参加する。

 1972年、神奈川大学法学部に入学するが、学生運動が盛んな時期で、大学がよくストライキなどで休校されることが多く、このような大変な時期に親に仕送りしてもらってまで大学に行く意味が無いと感じ、大学を中退する。

 1973年、下宿を引き払う日、下宿先前にあった大学構内で、神奈川大学の派閥と他の大学の派閥との激しい争いが起こる。火炎瓶が飛び交い、構内に多くの死傷者が転がった場面を、浜省は朝まで見た。そして広島へ戻り、仲間とバンド「愛奴」を結成。バンドではドラムを担当し、デパートの屋上や地元のテレビでの地道な活動の結果、次の年には吉田拓郎の全国ツアーのバックバンドを務めるまでになった。

 1975年、浜省はバンド内での自分の存在や、シンガーソングライターへの憧れから、愛奴から脱退する。

 1976年にはアルバム「生まれたところを遠く離れて」、シングル「路地裏の少年」でソロデビュー。矢沢永吉や竹内まりやのコンサートの前座を務めるようにもなる。この頃は予算の都合上、ギター1本で全国を巡演する。レコード店の店頭、スーパーの催し、バーのカウンター・・・歌えるとこではどこでも歌った。

 1979年には日清カップヌードルのCMで書いたシングル「風を感じて」が10万枚を越える売り上げを記録し、82年には初の日本武道館でのコンサートをする。この時浜省は、武道館にお客さんが入るかという心配とプレッシャーに押しつぶされそうになっていたが、結果はチケットが15分で完売の大成功を収めた。

 1983年、当時所属していたホリプロから独立し、音楽事務所「ロード&スカイ」を設立する。以後、尾崎豊、三浦和良、スピッツなどが所属することになる。

 1986年に発売された2枚組みアルバム「J.BOY」がオリコンアルバムチャートで初の1位を獲得する。(5週連続)1988年の静岡県浜名湖での野外コンサートでは、52000人を動員した。

 1992年、テレビドラマ「愛という名のもとに」の主題歌として発売された「悲しみは雪のように」が200万枚近い売り上げを記録し、初のオリコンシングルチャート1位を獲得する。(10週連続)同時に、過去にリリースされたシングルが次々とチャートインし、浜省ブームが起こる。


 1993年、シングル「アヴェ・マリア/永遠の恋人」をリリース。その印税収入を全て、当時社会問題になりつつあったエイズの治療、研究に寄付した。

 1995年に発売されたシングル「我が心のマリア」のカップリング曲「恋は魔法さ」は神戸を舞台にしたラブストーリーで、その年に発生した阪神淡路大震災の復興を願い、印税収入を全て寄付する。このシングルは、事務所の後輩であるスピッツらと共に作成。

 1998年には20世紀から21世紀をまたぐツアー「ON THE LOAD 2001」が4年がかりの構成でスタートし、全国127ヶ所196公演を行い、60万人もの動員数を記録する。

 その後も音楽活動を続け、2006年には初の2枚組みベストアルバム「The Best of Shogo Hamada Vol. 1/ Vol. 2」を発売。また同年にツアーON THE LOAD 2006 - 2007をスタートさせている。

 浜田省吾に影響を受けたという後輩アーティストは数多く、尾崎豊、スピッツ、福山雅治、桜井和寿、吉田栄作など。シングル、アルバムは共に今までに27枚をリリースし、コンサートは1976年から2007年現在まで合計1466回を記録する。テレビで名前を売るのではなく、コンサートで直接音楽を聴いてもらい、観客と接することを大切にする浜省は、真のミュージシャンと言えるでしょう。




 パン屋さんのパンまた食べたいなぁ~~~~~~~~~。

 最後にヘロバキパンの説明ですが、パン屋さんはいつも睡眠不足(パンの仕込みのためいつも睡眠時間は2~3時間)のため、僕と会う時はヘロヘロなのですが、フランスパンはバキバキッといい音を立てるので、僕の父と一緒に名づけました。


TVニュース観るたびに 子供達が巻き込まれた事件
ドアの外 すぐそこまで近づいてること感じて眠れない
嘆いてるひまなんか無い 命がけで守る
チャンピオンじゃない
リーダーでもない
妻と今日一日を 無事に過ごせたことを祈ってる
I am a father.
子供が幼く尋ねる 「何故人は殺しあうの?」
抱き寄せ 命の儚さに熱くなる胸の奥
He was so lonely in the days of youth.
He never thought of fatherhood.
But now his life is like a Merry-go-round.
迷ってる暇なんか無い 選んだ道進む
ムービースターじゃない
ロックスターでもない
明日は今日よりも 良い日になることを信じてる
I am a father.
かつて夢見る少年だったこのオレも 今ではFahter.
(ほんまにええ親父の歌ですよ。親父になった気持ちで聞いてみてください。)

2007年4月25日水曜日

今日の昼ご飯 3

ぜ~~~~んぜんブログ更新してませんでした。前回のブログを読んで「あ、忙しかったんやな」って思って頂ければ幸いです。とりあえず、最後のプレゼン2つ、終わりました!!!(今日1つプレゼンをして、明日もう一つプレゼンします。)あとは、5月9日にテスト(ほぼ勉強の必要なし)と、10日までにメキシコの英雄Cuauhtémocの物語(スペイン語)を、英語に翻訳して提出すれば完全に終わりです。5月2日に授業は全て終了するので、それから翻訳を始めようかなと思っています。




 それでそれで、先週の日曜日の昼飯の話ですが、今回は時間も無いということで、簡単ポトフを作りました。忙しかったというのもそうなのですが、他にもこれを作った理由があります。お笑いの陣内 智則さんが会見で「紀香さんは料理が得意で、その中でもポトフがすごいおいしいです」とオノロケで話していたという記事を読み、「こんなん負けてられっか」と思い、ポトフにしました。そう、紀香さんには負けてられません。陣内、みとけよ。




 ということで、良ければこのレシピを参考に、何か工夫して作ってみてください☆本当に簡単なんですけど、おいしかったです。具をいっぱい入れるのがこつですね。いい出汁が出ます。(なので、今回は分量は表示しません。個々の好みに合わせて作ってみてください!)




☆肉団子入り野菜いっぱいポトフ☆




1. 玉ねぎ、人参、じゃがいも、マッシュルーム、レタス(キャベツの方がおいしいと思います)を適当な大きさに切る。




2. パン粉、卵、玉ねぎのみじん切り、塩、こしょうを入れ、ミートボールを作る。




3. 沸騰したお湯にミートボールを入れ、表面が白くなれば野菜+もやしと、ローリエ、コンソメを入れる。




4. ゆっくり煮込み、野菜が柔らかくなれば出来上がり。




5. 皿に盛り、パセリをふる。




6. おあがり☆



 これを作って思ったのですが、ポトフは本当に簡単です。白ワインなどを入れればもっとおいしくなると思うのですが、それでも簡単です。紀香さんは、ずぼらさんですか??

2007年4月18日水曜日

"Huskies"


 僕がいるInstituto Tecnológico y de Estudios Superiores de Monterrey "La Universidad de Tecnológico de Monterrey"(モンテレー工科大学)では、大学内で、様々なスポーツのリーグ戦が行われ、そのスポーツにはここの大学の生徒なら、卒業生でも参加できます。そして僕は、前期はサッカー、フットサル、テニス、卓球のリーグ戦に参加しました。卓球は優勝、テニスは準決勝敗退、フットサルは準々決勝敗退、サッカーはリーグ戦で負けました。どの競技でも、まずは予選リーグで総当たり戦を行い、その後上位チームによるプレーオフ(準々決勝、準決勝、決勝)が行われます。

 去年僕が所属したサッカーチーム(2部リーグ)は、サッカーの授業の生徒で構成されていましたが、今年はHuskiesという、数年前から続くチーム(1部リーグ)に誘われました。このチームは皆レベルが高く、後期はサッカーに専念するため、テニスと卓球の参加を断念した程です。このチームでフットサル(1部リーグの上)にも参加しました。

 今期はサッカー、フットサルとも12チームが参加し、予選リーグ11試合を戦いました。結果、サッカーは4位、フットサルは6位で予選を突破しました。そして、先週(4月11日)にサッカーの準々決勝、昨日(4月17日)にフットサルの準々決勝がありました。結果は、どちらも敗退となり、このチームと一緒にサッカーをすることはもう無くなってしまいました。もちろんチームメートとは今後も連絡を取っていくつもりですが、やはり僕の情が移ってしまったチームともうサッカーを出来なくなると思うと、とても寂しい気持ちになります。

 僕はHuskiesを通して様々な事を学びました。一番重要なことは、冷静になるということです。選手2人が退場になるときもありました。気温3度の中での試合もありました。その時も、選手同士で励ましあい、混乱している選手がいれば全員で彼を助け、見方のために自分を犠牲にする。自分がパスを受けなくても、味方が入り込めるスペースを作る動きをする。そして、絶対にしんどいとは思わない。サッカーをする以上は楽しむ。普通の生活でも活かせることばかりを学んだ気がします。だから、このチームから離れなければならないことは、非常に悲しい事なのです。

 しかし昨日で全ての試合が終わり、あと2週間で今期の授業が終わります。留学1年目が終わるということです。そして、学期末テストや、学期末のレポート、研究、たくさんしなければならないことがあります。唯一のメキシコ人のクラスでは、「日本の外国語教育の歴史と発展」のレポート(約1200字)とプレゼンテーション(約15分)、翻訳のクラスでは、メキシコの歴史の文章(約1200字)をスペイン語から英語に翻訳、ビジネスのクラスではグループで一つ企業をメキシコで立ち上げる過程をレポートとプレゼンテーションでまとめることが課題であり、僕のチームはラジオを立ち上げることになり、僕はメキシコの外国人がメキシコ内に投資をする際と、ラジオに関する法律を調べる担当になり・・・・・・・ほぼ全てあと5日で仕上げなければなりません。その他にも宿題が出たりします。悲惨です。でもなぜか凹まないんですよね。それはメキシコで勉強をしているから。自分が大学に入る前からの目標だった「メキシコ2ヵ年留学」を必死に努力し、自分の力で勝ち取ったチャンスだから。毎日睡眠時間3時間を耐えたから。何でも自分のためになると感じるから。忙しくなればなる程、元気が出てきます。この気持ち、やる気もメキシコに来ないと学べなかった事でしょう。人がする行動には、何か意味があるのです。ただしんどいだけではないのです。本当にしんどい時、自分はこれをすることによって、何を得られ、何を学べるのか。それを見つける能力があれば、何に対しても全力で取り組めるようになります。そしてその能力を、僕は過去の目標にいることで学ぶ事ができました。

 


 あと2週間、死ぬ気で頑張ります。




 でもやっぱり、法律は大嫌いです。こんなんしたないです。誰か助けてください。