5月に一時帰国をしてからもうすでに2ヶ月経ちました。日本には酒、しょうゆ、みりん等、すばらしい食文化がありますよね。なので、帰国してから頻繁に料理をしています。両親が共働きで帰宅が遅いため、両親が帰ってきたときにすぐ夕食をとれるようにしておきたいという理由もあり、色んな料理に挑戦しています。今まで作った料理の中からいくつか、またいずれ紹介しようと思っています。
日本で食べる食べ物は、どれも工夫をしています。他国の料理が雑というわけではないのですが、日本の料理は食材の味や色、形を最大限生かし、それはその食材に対する敬意の表れでないかとふと思うときがあります。僕はいつも「いただきます」を言う時、その料理を作ってくれた人に対するお礼の気持ちと、その食材に対するありがたみの気持ちを込めています。
日本人は世界の中でも特に食を楽しみ、大切にしていると思います。人間が一番敏感な味覚を持った動物らしいので、理に適った素晴らしい人生の楽しみ方だと思います。和食でも創作料理があったり、洋食、中華等世界の料理を楽しんだり、またそれらを和食と合わせてみたりもします。それがまたおいしいのです。例えば、有名な話で、ナポリタン(ケチャップのスパゲティー)という食べ物は日本人が発明しました。そしてあるテレビ番組でこれをイタリア人に味見をしてもらうと、彼らはそれをおいしいと絶賛していました。イタリア料理ではない日本のイタリア料理がイタリア人にうけるのです。僕はアメリカとメキシコでお寿司を食べたことがありますが、それらはその国の人の好みの味に染まっており、あまりおいしいものではありませんでした。
日本には本当に良いところが沢山ありますが、もちろん世界中の国に全てが良いという国が無いように、日本にも外国人の目から見てあまり好まれない点があります。1年間メキシコで生活をし、メキシコの生活や価値観に慣れている僕は、今日本の街を歩いていると、今は少し外国人の日本に対する見方が分かるような気がし、新しい日本を発見することができます。長期留学をする利点はここにもあると、僕はいつでも留学を目指す人に言わせていただいています。
帰国後は授業がなく、基本的には大学には行かないでも良いので、電車に乗ることがありません。しかし先日VISAの申請のため、東京のメキシコ大使館へ行くために、地下鉄に乗りました。電車の中は、どんよりとした雰囲気が充満していました。渋谷や新宿など、人通りがあり娯楽があるところでは人は皆イキイキとするものですが、電車の中での人々の人生に疲れきったような表情を見、とても寂しい気持ちになりました。常に楽しい気持ちでいるということは不可能というのは理解しているつもりですが、誰かがしんどそうな表情でいれば、その場の雰囲気もどんよりし、周囲の方も少なからずそれに影響されてしまいます。メキシコシティーの地下鉄に乗った時は、海外におり、気持ちが浮かれていたからかもしれませんが、日本の地下鉄の電車の中のような雰囲気はありませんでした。そして僕がメキシコシティーに行った時には、もうすでにメキシコ生活も5ヶ月を過ぎようとしていたときなので、あまりメキシコシティーにいても異国にいるという感動は観光客よりは無かったと思います。
日本人はメキシコ人に比べ平均的に目が細い人が多く、少ししょんぼりした顔に見えてしまうかもしれません。しかし僕は顔のせいにはしたくありません。メキシコ人は人生を常に楽しもうとする人が多いです。それに対し日本人は、比較的人生の中で楽しむ時としんどいが頑張る時を区別する人が多いと思います。人生にはもちろんしんどい時があり、その時は楽しい気持ちにはなかなかなれません。僕も最近辛い事が立て続けに起こりました。将来はもっと辛い事が起こるでしょう。しかしそういう苦境に立たされた時にでも自分を忘れず、他人に悪い影響を与えたくはありません。
なので僕は、出来るだけ常に目を見開き、車内の広告をじっくり眺めようと思います。
2 件のコメント:
やっぱり日本食はおいしいなー。料理してんねんな。いつか、食べてみたいわ。
自分も日本に帰ってきた日に外出てバス乗ったり電車乗ったりして思ったのが同じようなことやった。どんより。何かしようとすれば見られている緊迫感(みはっている?)。社会的な責任感がここに現れてるんやなと感じたわ。
そっか、辛いことあったんやな。何かあったら話聞くんでいつでもいってな。
そうやな、周りを光らせることができる輝いてる人間になりたいもんやわ。
日本を考えるきっかけをくれて有難う。
よーへい> うん、ほんまどんよりやんな。皆意識はそんなしてへんのやろうけど。もっと楽に物事考えれるようになりたいもんやわ。
コメントを投稿